くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

黒石のキワを感じることができる東公園。 この階段も黒石のキワの高低差を容易に感じることができるいい場所ですね。 さて、以前にこちらの記事でちょっぴり触れた「落ちても死ねない円筒分水工」を紹介。 まずは「落ちたら死ぬ円筒分水工」の記事を読んでください。 な ...

出間館(いづるまだて)。 平山城。築城不明。城主出間氏。 永正年間(1504~20年)から元亀年間(1570~73年)にかけ、出間氏が居城。 和徳城主小山内讃岐守に攻められ落城しました。 しかしいずれも詳細については不明な部分が多いです。 遺構は一切ありませんが ...

黒石神明宮本殿のすぐ裏手、黒石のキワに名の無い坂道が存在します。 ちょうど黒石神明宮を上ノ坂と挟む形になりますね。 『上ノ坂』 この坂道は袖摺坂とでも言わんばかりの細い坂道で両脇は一般住宅となっています。 湾曲しながら下る細い坂道。 景色も良くてどこと ...

御膳水(ごぜんすい)。 『貞享3年(1686)12月、津軽藩四代藩主信政公より、「紙漉座」新設の命を受けた頭取の熊谷吉兵衛が、良質の紙をつくるには、大量の良水が必要という見地に立って、「御膳水」を含む「富田の清水群」の一郭に「紙漉座」を設けた。現在の紙漉 ...

本尊は釈迦牟尼仏。国誌によりますと、慶安元年、弘前長勝寺3世月寒雲鶴が当地に曹洞宗寺院がないために開創と伝えます。明暦元年、弘前藩より津軽信英が黒石5000石を分封されると菩提寺にあてられました。3代修英が本堂建立。明和3年の大地震により諸堂は倒壊しましたが、黒 ...

大館市花岡町です。 元は岩本の男神女神の麓にあって、真言宗に属し「森昌寺」と号していたそう。天正の頃、七ツ館の現在地に移転したと言われています。 天正2年(1574)12月、花岡城浅利定頼公が秋田実季と戦い戦死し、その後、子息の定友公が当寺を再建し、定頼公を開基 ...

花岡事件そのものについては皆さんご存知でしょうし、ネットでも詳細がいっぱいが出てきますので私は細かく触れません。概要についてはこの記事の最後に軽く掲載しておきます。 (桜木神社方面に見える煙) 事件当時の花岡鉱山経営責任者は戦後、東京電力会長、日本原子力 ...

明治時代から今も変わらず時を刻む洋風建築の時計台。 明治22年(1889)に三原堂の弘前支店として造られたと言われています。第8師団司令部設置に伴い、仙台方面から多くの商人が移住してきました。 大正9年以降、一戸時計店の時計台は中土手町のシンボルとして親しまれ ...

黒森山の中腹にある浄仙寺は、森に囲まれた静かな境内は泉水とあやめの名所で、森の中には郷土の生んだ文人の文学碑が数多くあり、文学の森と称されています。 浄仙寺は文政7年(1824年)是空行者が開山。 是空は中野不動尊境内の洞窟にて断食修行中「これより北の ...

南溜池(南塘・鏡ヶ池)東側の堤下に「新派町」(現桶屋町)が町割りされた寛文十年(1670)前後に造られたと推定されています。 小沢通りとされていた土塁堤上が、藩政後期には土居通りと変わり、この坂上が辻と呼ばれたことから、辻坂と言われ始めたとか。明治になり ...

禅林街にあります「金龍山 盛雲院」。城西大橋からもよく見えますよね。 この日は盛雲院をギャラリーとした「harappa仏教シリーズ」が開催されて映像展示も行なわれていました。 盛雲院の開基は元亀年間(1570~73)に乳井美作(みまさか)とその夫人によって開かれたのが ...

下川原焼土人形は江戸時代の後半に九州筑前で陶器作りを修得してきた初代・高谷金蔵が、下川原に窯を築き、日用品を焼くかたわら冬に人形玩具を焼いたのが始まりで、現在まで約190年以上にわたって受け継がれています。 赤土と砂を調合した粘土を石膏の型枠にはめて形を ...

一見何でもないものがYUKIさんの目を通すと面白く見えてくるブラユキ写真館のお時間です。 まずはご存知、石川小学校PTAのインパクト看板… 「おちると死にます」。眼球も飛び出すでしょうね。 土手町スカイパーク横の路地です。 ここを抜ける路地は昔からあった気が ...

旧岩木町の植田地区西方にあります。 津軽一代様・辰巳です。 藩祖為信が津軽平定の後、最勝院(賀田)五世、眼尊上人に相談し、慶長7年(1602年)に浅瀬石の高賀野山に愛宕大権現を勧請し、祈願所としたのが始まり。 為信は慶長5年、関ヶ原の合戦に出陣し大垣城を攻め ...

乳井神社社殿 (旧毘沙門堂)と板碑群の紹介です。 御祭神は武甕槌命、経津主命、天手力男命。 尾上町(現平川市)猿賀神社の別当をしていた由緒ある寺院で、現在も社殿が弘前市指定文化財。「災いの前兆で手水が白く濁る(乳の井)」との言い伝えからこの名前が付いた ...

大館は扇田道下付近の坂道です。 この辺りは住宅が密集し、細い路地が多く、またちょっとしたキワがあるため、坂道が多く存在します。 勾配はありますが由緒や情緒には欠けます。いや、アウェイの地なので私が詳しくないというだけかも知れません。本当は名前があったり ...

黒石温泉郷山形地区温湯町内にある黄檗宗寺院。津軽三十三観音霊場第二十七番朱印所、津軽八十八ヵ所霊場第三十番札所。 境内の石段を登ると大きな岩があり、それを割って根を四方に広げた楓の樹があります。 風貌が盛岡市の「石割桜」に似ていることから「石割楓」と呼ば ...

明治から大正時代にかけての弘前の酒造界を代表する人物が福島藤助です。 藤助は明治 40年(1907)に酒造りに適した清水が湧く清水町吉田野(現在の吉野町)に福島酒造を、さらに、大正 6年(1917)には近接する富田字名屋場(現在の富田三丁目)に富名醸造を設立。 大 ...

江戸初期に各地に東照宮が造られましたが、弘前の東照宮は早くに勧請した東照宮で、1617(元和3)年、2代藩主信枚が弘前城本丸に勧請し、後に現在地へ移されました。当時6ヶ所にしか認められなかった東照宮を津軽に勧請されたのは凄いことです。御祭神は徳川家康公、天照 ...

護國山久渡寺の227段の坂道。 後半はお世辞にも綺麗に組まれた石段とは言えず、想像以上に体力を消耗します。 結構石段に蛇がいます。踏まないように気をつけましょう。 護国山観音院久渡寺 津軽三十三観音霊場第一番札所です。創建は延暦年間(782~806)阿闍羅山 ...

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