くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

東北地方の神社仏閣を中心に、歴史的建造物等々を適当に紹介しております٩(ˊᗜˋ*)و

石田三成の次男である石田重成は豊臣秀頼に小姓として仕えます。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで三成を初めとする西軍が大敗し、居城佐和山城も落城、津軽信建の助けにより乳母の父である津山甚内らと共に陸奥国津軽に逃れます。津軽では杉山源吾と名乗り、津軽氏の保護の ...

以前の記事:『騎兵第八連隊之跡』 生活協同組合コープあおもりが、旧陸軍第八師団の乗馬練習場だった建物を活用して営業する松原店(弘前市松原)の店舗建て替えを検討しているそう。老朽化と耐震性の問題から致し方ない決断らしいです。 これまで色々と弘前の戦争遺跡 ...

詳細は以前の記事を参照ください。 『岩木山神社 (青森県弘前市百沢)』 『岩木山神社社務所 (青森県弘前市百沢)』 『奥富士出雲神社・稲荷神社・白雲神社 (岩木山神社 / 弘前市百沢)』『守山神社 (森山 / 弘前市百沢)』 五本杉。 奥富士出雲神社。 大黒様と ...

徳川将軍家墓所に向かいます。 見えてきたのは鋳抜門。 増上寺鋳抜門標柱より…『増上寺は徳川将軍家の菩提寺として、かつては2代秀忠の霊廟を中心とした南廟(現在のゴルフ場敷地)と6代家宣・7代家継の霊廟を中心とした北廟(現在の東京プリンスホテル敷地)があり、 ...

熊野三所大権現宮由来記…『増上寺鎮守中最大なものとして、本殿拝殿あり、大きさ不明なれど東照宮に次ぐものなりと云う縁山志によれば、火災ありしも、明暦以来焼けたる事なし。御神体は熊野本宮大社(家津御子大神)・熊野那智大社(大己貴命)・熊野速玉神社(伊弉諾尊 ...

大鰐町の専称院に行ってきました。 地蔵尊半跏坐像(大正9年6月24日)が迎えてくれました。 その隣には両足尊(昭和58年)。ここから右へ上ると本堂、左へ上ると墓地です。 墓地の方にある観音像。 観音経にある言葉「慈眼視衆生」…慈しみの眼をもって衆生を視る。 ...

増上寺安国殿のすぐ隣りにある西向聖観世音菩薩堂。 江戸三十三観音霊場第二十一番札所。 西向聖観音像。 西向観音像標柱より…『西向観音は、現在三康図書館のある場所にあった観音山に西に向けて安置されていたもので、現在の正則中学校あたりにあった地蔵山に東向き ...

かくみ小路にあった老舗レストラン。大好きなお店でした。海老フライカレーは一度口にしたら虜になります。もう一度食べたい。 外観が焼きチーズドリアみたいな… ナポリタン!最高でした。 ボリュームのあるオムライス! ...

鍛冶町にあった喫茶店。 実績と信頼のブレンドコーヒー純喫茶セシボン! 昭和42年開業。当時はデートで使われるようなオシャレな喫茶店。 人気はやっぱりフルーツパフェ、チョコパフェ、クリームあんみつ。 ピーチパフェ。 そして老舗喫茶店で食べたくな ...

かくみ小路にあったキッチンささはら。シェフは笹原留信さん。リーズナブルかつ美味しいお店でした。特にデミグラソースは絶品。 エビフライ&ハンバーグのセット。 エビフライと豚ヒレカツ! メニューはトンカツ、エビフライハンバーグ、サーロインサラダライス ...

弘前市土手町にあった海老屋カンパニーカリ・マハラジャ。 医薬食同源、美味求真!1992年創業。全国の美味しいカレーの店200店にも選ばれたお店。 最高品質の天然スパイス100%ホールを手作業で加工して使用。 玉葱のみじん切り~熟成~完成まで3週間かけて作られてます ...

弘前市上瓦ヶ町にあったcafe zilch(ジルチ)。 2006年にオープン。 何食べても美味しいし、店内もオシャレでとてもくつろげる空間。ついついまったりしちゃうお気に入りのカフェでした。 ...

富士見湖パークです。 ピンク・白・赤色のベコニア。 目的はアジサイ。 白衣観音霊場方面です。 約4000株あるそうです。青いアジサイが多いですね。 凄い数ですね。 見頃は7月中旬頃です。 ...

『大本山 巨福山 建長寺(神奈川県鎌倉市)』 法堂。 でかっ!法堂は住職が仏の代わって須弥壇上で説法するためのお堂で拈華堂とも言います。本来、仏像は祀りませんが、今は千手観音菩薩を祀っています。 釈迦苦行像は愛知万博のために建立、その後パキスタンイスラム共 ...

大本山 巨福山 建長寺です。全部は紹介できませんが。建長寺は巨福山(こふくさん)建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山です。今から約760年前建長5年(1253)に鎌倉幕府五代執権北条時頼(1227-1263)が建立したわが国最初の禅寺です。建長寺の ...

国道7号線(羽州街道)の鶴ヶ鼻トンネルの下から向かう感じです。余談ですがイザベラ・バードが「断崖の下を通ったが、それは200フィート(約60メートル)にわたって六角柱のりっぱな円柱形玄武岩からできていた。すると突然に、大きな平野に出た。」と記しています。現在、 ...

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