くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

タグ:廃墟

イメージ 20
県道122号線を通って城ヶ倉方面を目指します。右手に「おらだぢの山」という石碑があり、その先の分岐点を左に行けば茂みの中に「八甲田山神社」の社号標があります。ちなみにこの先に進めば、下湯ダムがあり、温泉ファンの間では有名な下湯ダム温泉たぬきの湯(野湯)があります。
イメージ 19
社号標。
イメージ 18
側面には「昭和24年9月12日厚生大臣許可 主信者須藤ふめ」「敬神會會長倉内政太郎」などの文字が見えます。
イメージ 15
イメージ 16
イメージ 17
八甲田山神社の社号標の場所から遠くに滝が見えます。わかりますか?
イメージ 14
ここ!
イメージ 13
行ってみましょう。
イメージ 11
イメージ 12
居繰ノ滝といいます。
イメージ 10
落差20mほどらしいのですが、ここからだと下の方が森で見えません。
イメージ 9
遠いなぁ…
イメージ 8
でも頑張れば滝の近くまで行けそうです…
イメージ 7
頑張ればね!!
イメージ 6
私は頑張りません(笑)津軽ジェンヌ姉さんならきっと頑張ります。
イメージ 4
ところでこの付近…
イメージ 2
イメージ 5
廃墟だらけなんですけど。
イメージ 1
イメージ 3
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 50
羽州街道沿い。この辺りは何度も巡っています。
イメージ 49
奥羽本線旧線…矢立温泉付近に残る第六矢立トンネルと橋脚。
イメージ 45
イメージ 46
イメージ 47
イメージ 48
矢立温泉赤湯。
イメージ 42
イメージ 43
イメージ 44
ドアが開いていました。
イメージ 41
一部崩壊。
イメージ 40
近くの無線教習指令塔。
イメージ 37
イメージ 38
イメージ 39
今度渡橋にある廃鉄橋。っていうか今度渡橋(こんどわたり橋)っていう名前が凄いよね。
イメージ 36
第二下内川橋梁。
イメージ 35
下から撮ってみました。
イメージ 33
イメージ 34
ここに線路があったんだね。
イメージ 32
旧陣馬駅跡付近の貯炭槽。
イメージ 31
ここから蒸気機関車に石炭を積み込みます。
イメージ 29
イメージ 30
羽州街道の長走地区。墓所があって…
イメージ 27
イメージ 28
車の墓所もあります。
イメージ 25
イメージ 26
伊多波商会自動車リサイクルセンターの敷地が広いため、この地区は廃墟ではなく廃車だらけに感じます。
イメージ 23
イメージ 24
廃車村やー!
イメージ 20
イメージ 21
イメージ 22
圧倒的に軽トラックが多かったけど、珍しい車も見つかりそうだね。
イメージ 17
イメージ 18
イメージ 19
この付近の廃墟群の中でも有名だった建物が崩壊していました。
イメージ 15
イメージ 16
以前の姿。
イメージ 14
上部はほぼ全壊。
イメージ 13
屋根が吹っ飛んでる。
イメージ 11
イメージ 12
第六平川橋梁の橋台を土台としており、廃墟美が感じられる変わった建物でした。
イメージ 10
上部へ。
イメージ 8
イメージ 9
横から見た図。
イメージ 7
近くにあった跨道橋も無くなっていました。立入禁止とあるけど、もはや橋がないので立ち入れません。
イメージ 6
そのすぐ近くにあった「そば処峠」も完全崩壊。
イメージ 5
結構しっかりした建物だったのになぁ。
イメージ 3
イメージ 4
劇的!ビフォー!
イメージ 2
アフター!
イメージ 1
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 1
大館市田代町岩瀬にあります田村鉄工所。
イメージ 2
現在は廃墟ですが洋館風の美しい建物。
イメージ 5
土地は壮大で、かつての繁栄を感じさせます。
イメージ 6
イメージ 11
イメージ 3
田村松助(たむらまつすけ・1881~1958)は1881年(明治14年)、岩瀬に生まれました。
イメージ 7
明治38年、父の鉄工所を引き継ぎました。その後、合資会社、株式会社として組織し、田村鉄工会社を東北有数の大工場にしました。
イメージ 8
鉱工業にはげみながら、1940年(昭和15年)から4年間山瀬村村長を務め、村政の改善や公共事業に力を注いだといいます。
イメージ 12
建物自体はかなり老朽化してきていますが、建物内の残されている物はほぼ当時のまま。
イメージ 4
すぐ向かいにあった建物もとても趣きがありました。
イメージ 10
こちらの建物が何なのかはわかりませんでした。※個人(Tさん)住宅のようです。
イメージ 9
ポチッとクリック宜しくね♪
https://localeast.blogmura.com/aomori/

大館と平川市の県境(羽後国と陸奥国の国境)…矢立峠。
イメージ 9
こちらは相乗温泉。営業当時は物凄く賑わっておりました。私の小さい頃の写真を見ると物凄い客で溢れています。※廃業後は超有名巨大廃墟スポットとなりましたが、現在は建物を利用してグループホームが営業されています。
イメージ 16
 「ウォーターコースター、走る水しぶき、目もくらむこの速さ、エキサイティングハードに、あいのり温泉」
イメージ 7
相乗温泉のすぐ向かいにも残されていますが、矢立峠には奥羽本線旧線の廃線が残されていることでも有名です。

写真は矢立温泉付近に残る第六矢立トンネルと橋脚。
イメージ 3
イメージ 15
イメージ 10
イメージ 13
イメージ 11
イメージ 14
こちらは第一矢立トンネルです。
イメージ 4
イメージ 5
イメージ 6
トンネル手前の建物もすべて廃墟です。
イメージ 17
アーチ橋台の上に建てられている不思議な廃墟。
イメージ 18
かつては喫茶店だったとか。
イメージ 19
ある意味芸術です。
イメージ 20
イメージ 22
相変わらず矢立峠には不思議スポットがいっぱいですね。
イメージ 21
イメージ 23
さて、1970年に放送されたNHK『新日本紀行』の「三重連の峠~秋田・青森県境 矢立峠~」では旧線を走るD51形蒸気機関車の三重連や賑わいを見せる相乗温泉プールの映像が収められています。
イメージ 8
相乗温泉の映像はほんの一瞬ですが、「えっ!?ここを機関車が!?」と驚くと思いますよ。動画があるので探してみてください。
イメージ 12
それでは大好きなお蕎麦でも食べて帰ることにします。
イメージ 1
イメージ 2

イメージ 4
松尾鉱山 vol.1 & 八幡平」の記事はこちら。
イメージ 6
前回の記事で書きました通り、最先端設備を備えた施設を持った松尾鉱山の都市は「雲上の楽園」「雲上の理想郷」と称されました。
イメージ 12
また、「陸の軍艦島」と呼ばれるほどその廃墟群は巨大。
イメージ 5
下はちょっぴり離れた場所にある独身寮の外観。
イメージ 1
実際私も半日以上かけたのにすべては回れませんでした。
イメージ 11
じっくりと拝見するのならば丸1日でも足りないかも知れません。当時の1つの町が丸ごと廃墟なわけですから当然と言えば当然ですね。
イメージ 7
閉山後は木造の建物は焼却され、鉄筋コンクリートの建物だけが残されました。
イメージ 10
アパート郡(その他施設除く)だけで11棟。焼却された木造建物は82棟あったいうから、いかに巨大だったのかが伺えます。これは廃墟ではなく立派な産業遺産。
イメージ 8
廊下に差し込む光が美しいです。
イメージ 9
隣のアパートへ繋がる階段。
イメージ 18
大浴場へと続く階段。浴槽は意外に小さかったです。
イメージ 2
アパート郡には廃墟美としての美しさが残っていますが、生活学園側は建物は比較的新しいにも係らず完全に荒らされており、あまり趣がありませんでした。ちなみに生活学園という名は松尾鉱山中学校の閉校後に、盛岡生活学園(盛岡大学)の施設として使用されていた時の名称。
イメージ 17
生活学園&体育館は誰かの悪戯でマネキンがよく移動することから、マニアの間ではマネキンの住む学校とも言われています。かつて廃墟マニアを驚かせた通称「赤い部屋」も有名。
イメージ 3
体育館横のグラウンドはラグビー場だったようです。
イメージ 19
あまり生活感の感じるものは写真に収めたくなかったので撮っていませんが、懐かしいものがいっぱい転がっていたりします。まさにアパート。
イメージ 14
イメージ 15
こんな所に行って怖くないの!?って思われるかも知れませんが、私が訪れた時は「あっ、どうも~こんにちわ~♪」ってまるで登山道のように見知らぬ人と挨拶を交わすくらい開放的でした。
イメージ 13
但し、コンクリの建物もかなり崩れてきており、屋上にいたってはフニョフニョ。そういった意味でのリアル危険度はありますのでおススメはできません。
イメージ 16
ポチッとクリック宜しくね♪
https://localeast.blogmura.com/aomori/

↑このページのトップヘ