くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (栃木県)

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栃木県宇都宮市塙田5丁目。蒲生神社表参道の脇に参道があります。
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社号標。
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信楽焼。
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参道石段。
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石鳥居。
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石灯籠。
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手水石らしき石。
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御蔵山古墳(宇都宮市指定有形文化財・平成9年3月21日指定)標柱…『この古墳は、6世紀前半ごろ造られた全長約62m、高さ約5mの中型の前方後円墳で、前方部を西北西に向けている。周辺からは土器や埴輪の破片が出土している。墳丘は三段になっており、下半分は山をけずって形を整え、上半分は土を盛り上げて築いている。古墳のふもとに「古棺記」、頂上に「雷神社」がある。神社を造るとき、前方部と後円部の上面の部分が約1mほどけずり取られている。』
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不明の石。
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社名「雷神社」と刻む石塔。
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12.5
古棺記。状態はいいです。明治17年の県庁舎建築に際して、八幡山の南(二里山)から石棺が出土しました。石棺は古墳時代のもので、中から黄土と短剣・菅玉等の副葬品を検出。黄土は甕に収め御蔵山に埋め、副葬品は博物館に納めて処理。石棺の出土からその処置までの経過を記した碑。
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『古棺記 下野國河内宇都宮之地有小丘焉日二里山方遷栃木縣廰於宇都宮相其地闢榛莽焚茅茷剷髙填低以夷之而發一石棺長六尺餘横二尺五寸開而覩之中有黄土搜得短劔一口管玉十個臼珠十二顆及似齒骨者五六枚意是貴族之壙焉時期明治十七年五月五日也黄土悉歛之瓮器物皆納之博物舘棺面無一字跡不知何人之墳也質諸古老徴諸舊史不著也然以棺之與玉劒考之蓋千年外物云或日下毛野國造之族未知其果是也明治二十一年十二月二十八日栃木縣知事從五位勲六等樺山資雄特納黄土於棺以殪(異体字・ヤマイダレ・うず-める)於御藏山之下焉』
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14.5
更に石段を上ります。墳丘は三段になっているようです。
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不明の石。
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石段上の鳥居。
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石灯籠一対。
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18.5
紀年銘は文政10年。
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『當社境内ニ接スル山林五畝十八歩ヲ戸祭町大渕友之真君敬神ノ意ヲ以テ獻地セリ依テ之ヲ表彰ス』
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『皇太子殿下・雅子妃殿下御成婚記念植樹・真榊壹対』平成15年6月吉日。
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雷神社は御蔵山古墳頂上に鎮座。
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社殿。
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拝殿向拝神額。
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案内板より…『主祭神:大雷神。例祭:4月15日。宮司:二荒山神社宮司。氏子:1200戸。由緒沿革:当神社は寛永年間(1624-44)に、塙田村の農民が嵐除・雷除の守護神として、村を挙げて建立したものと伝えられ、市指定史跡御蔵山古墳(前方後円墳)の墳丘上に鎮座する。明治43年5月、同所字百目鬼無格社琴平神社を合併。平成4年11月に社殿を改築した。配神として大物主命を祀る。明神造石製鳥居二基・石製狛犬一対・石製灯篭三基がある。参道脇に樺山知事の古棺の記の石碑がある。例祭には氏子総代会員が多数参列し、防雷と五穀豊穣を祈り氏子の安寧と神恩感謝の祭りが斎行されている。』
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狛犬一対(昭和35年4月・上野秀文)。
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26.2
26.4
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栃木県宇都宮市塙田5丁目。
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参道石段。
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鳥居。
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ちなみにこちらは蒲生神社東参道。
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5.5
正面参道に戻ります。
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社号標。
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しもつけ夢福神。
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「夢福神九難除けめぐり」なるものがあるようです。蒲生神社は第五祈願所。
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夢福神は人々の悪い夢や厄を食べ、良い夢や幸せを与えてくれる獏が化身した神といわれ、苦難(九難)除けとして栃木県内の下野地区にある9つの神社が夢福神を祀っているそうです。
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参道を振り返るの図。
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石段上。参道は続きます。
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シダレザクラ。
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宇都宮青友クラブ35周年記念植樹。
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平成22年11月20日。
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参道右手の森に階段。
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門も見えます。
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境内社かと思ったら墓所でした。
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参道に戻ります。
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右手の建物。
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こちらには…
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祖霊社があります。
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案内板「和算を解き明かしましょう。」…『「和算」という言葉の反対は、西洋の「洋算」。和服に洋服、和食に洋食と同じである。江戸時代も中期になれば、太平の世となり学問が盛んとなってきました。そんな中で発達したのが和算「数学」です。問、答、術(解き方)を額に書いて神社仏閣に奉納したのが「算額」と呼ばれ、絵馬の一種でもあります。蒲生神社は昔より、文武両道「学問」の神社、近年は受験生の守護神として、多くの人達が参拝に訪れています。当社は偉大な先人が考えた「和算」と現代版「数学」をここに掲示致しました。』
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江戸時代版和算(弘化4年9月)。むずっ!!
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現代版数学。
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社務所。
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手水舎。
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印度獨立首唱者丹野清翁之碑。
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碑文…『「MR,KIYOSHI TANNO'S WORK IN THE CAUSE OF INDIA'S FREEDOM WILL ALWAYS BE REMEMBERED.APRIL 1964 LALJI MEHROTRA AMBASADOR OF INDIA IN JAPAN」翁ハ明治八年舊仙臺藩士清貞ノ長子ニ生レ少年ノ頃ヨリ東洋史ニ關心ヲ抱キ三千年来ノ歴史アルアジア佛教ノ開祖釋尊ヲ生ンタ印度民族カ二百年ニ亙リ筆舌ニ盡クセヌ奴隷生活ヲ見ルニ忍ヒス二十五歳ニシテ民族解放ヲ叫ヒ凡ユル苦難ヲ超エテ半世紀ニ亙ル生涯ヲ印度獨立運動ニ挺身セシソノ事績ハ友邦印度民族トノ契リヲ結フ不滅ノ礎石ナリト謂フヘシ翁ハ名利ヲ事トセス邊幅ヲ飾ラス常ニ人類平和共存ノ大道ヲ説キ数々ノ遺訓ヲ残シテ昭和三十七年米寿ノ年歿ス茲ニ翁ノ偉業ヲ稱エ世ニ傳ヘシトスルナリ。昭和39年6月元学習院長山梨勝之進』
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こちらの碑は読みにくかったです。
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題額は「義人田中正造」かな。
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献木碑(宇都宮市農會)。
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学問の神御柱(おんばしら)…『日本では古来より、大きな柱(御柱)を奉り神様にお願い事をして参りました。この「学問の神御柱」は当神社の学問の神様(蒲生君平)に、皆様の学業向上をお願いする「御柱」です。この「御柱」の横穴に筆記用具を見事に一度で通してください。(難問を通り抜ける)但し、自分の目線より高い横穴に通してください。(夢も希望も大きく、そして目標はより高く)学問の願いは蒲生神社が叶えてくれるでしょう。』
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初代御柱(平成12年建立)。
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鉄灯篭一対。
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かなり錆びてます。
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紀年銘は昭和9年10月吉日。
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社殿前鳥居。
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社殿前に裸の人がいますが気にしないで下さい(下記参照)。
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大正元年、蒲生君平先生九十九年祭執行の際、神社創建の話が起こり蒲生会が結成し、栃木県民あげての賛同により大正15年7月に蒲生神社本殿が竣工。その後、蒲生会は蒲生神社奉賛会となり県下をはじめ全国に多くの崇敬者を得て今日に至ります。蒲生神社例大祭は先生の命日である7月5日に厳粛に行なわれ、毎月5日には月次祭が行なわれています。
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蒲生君平先生は宇都宮市に生まれた江戸後期の学者。祖先が会津藩主蒲生氏郷公であることを知り、蒲生の姓を名乗りました。幼少より学問を好み、多くの先生に学び交わり、全国の天皇陵や旧蹟を巡り、『山稜誌』を著しました。晩年は子弟に学問を教えながら著述に励むも、志半ば46歳をもって江戸で歿しました。明治2年12月、明治天皇は先生の功績を賞し、勅旌碑が建てられ、更に明治14年5月正四位を御贈位されました。
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社殿前狛犬一対。
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昭和12年5月・宇都宮市上河原町・関根榮吉奉納。
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社殿前石灯篭一対(昭和9年)。
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裸の人。
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案内板「蒲生神社」より…『御祭神蒲生君平。御祭神蒲生君平先生は会津城主蒲生氏郷を祖として明和5年宇都宮に生まれた。幼少より父祖の功業に発憤し学業に専念、特に太平記を愛読して忠誠の志を養った。林子平、高山彦九郎らと共に寛政の三奇人として知られる。藤田幽谷、滝沢馬琴、山本北山、平田篤胤らと交わり深く歴代天皇の御陵の荒廃を嘆き、その復興を志して、西国の皇陵を探査修復し山陵志、職官志、不恤緯、今書、女誡国字解、皇和表忠録など、精神文化の上に不滅の偉業を樹て文化10年46歳江戸(東京)で没した。明治天皇は特に先生の勲功を認められ明治2年藩知事戸田忠友をして旧宇都宮市街地入口南新町に先生の勅旌碑を建てさせ、さらに明治14年特者を以って正四位を追贈せられた。神社参拝の各位は君平先生の崇高なるその偉業を讃えて参拝の誠を捧げられたい。平成13年7月5日蒲生神社奉賛会』
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影山銀四郎先生歌碑(昭和47年10月8日)…『「たまきはる いのちのうちのあけぼのを はやはやひらけ大和島山」鶉居洞人』
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日下開山初代横綱力士明石志賀之助碑(明治33年10月・寛永元年初代横綱力士・碑文省略)。
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初代横綱明石志賀之助碑…『初代横綱を称え、第12代横綱陣幕久五郎が建立した碑。明治33年に御本丸に建立されたが、昭和26年、宇都宮相撲協会の手で蒲生神社に移された。陣幕は同時に栃木市に「第二代横綱綾川五郎次碑」も建立した。【明石碑全文(訳)】明石志賀之助は宇都宮藩士山内主膳の子。寛永元年大関となり、三代将軍家光公にその怪力を称えられ、日下開山横綱の称号を賜った。これが相撲横綱の元祖である。(日下開山・初代横綱力士明石志賀之助手形)蒲生報徳講』・『わたしたちの故郷・栃木県宇都宮。永年にわたり培われてきた歴史と文化を研究し、次世代へ伝承していきたいという多くの市民の思いによって、平成17年(2005)10月23日、「歴史文化を伝承する市民の会」が設立されました。このたび当会は、宇都宮出身の初代横綱・明石志賀之助(あかししがのすけ)の石像をここ蒲生神社境内に建立奉納いたしました。明石志賀之助は、江戸時代・寛永年間(1620年代)に活躍した初代横綱で、財団法人日本相撲協会・ご提供の錦絵をもとに実物大(身長221センチメートル、体重225キログラム)の石像を制作しました。地元宇都宮出身の初代横綱・明石志賀之助の誉れを広く伝えるとともに、「相撲のまち宇都宮」として相撲文化の振興を推進し、さらなる街の発展を願うものです。平成19年4月7日歴史文化を伝承する市民の会』
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手形(天下泰平一圓融合)。
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栃木県宇都宮市塙田5丁目。八幡山公園内。入口付近に日蓮宗昭徳山東妙寺があります。
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塙田睦会創立20周年記念植樹碑。
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大鳥居奉納碑(昭和35年4月15日)。
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参道石段。
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石灯籠一対(昭和14年9月25日)。
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狛犬一対(昭和11年9月30日・塚原久治郎)。
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拝殿前石灯籠一対(大正10年1月吉日)。
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8.5
手水石。
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かつての塙田村で村の鎮守。
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村高は「慶安郷帳」207石余(田122石余・畑85石余)、「元禄郷帳」352石余、「天保郷帳」359石余、「旧高旧領」358石余。「旧高旧領」によりますと、村高のうちに真禅寺・能延寺・桂林寺・清巌寺・宝蔵寺など14か寺の寺領計160石余があります。民家は二荒山神社(宇都宮大明神)の東側から大曽方面にかけ点々と散在していました。八河原の1つである精霊河原へ行く道に極楽橋があります。精霊河原は「千阿弥川原」とも称しました。安蘇沼は涸渇して小沼となって残り沼ノ坊の旧跡がありました。寛永12年に長島屋騒動が起こります。これは天候不順による凶作や、米穀商長島屋の横暴に不平をもった百姓庶民が、米価の引下げや米の自由販売を要求したもの。17世紀末頃、宇都宮町の紺屋を当村南部、城高寺門前付近に引き移し「新紺屋町」あるいは「北新町」と称しました。寛文・天和年間のものと思われる「下野国宇津宮城下之図」では、城下町のうち小田町と扇町の間から城高寺に通じる通りに「新こんや町」と記されます。なお、別に「こんや町」が道場宿(茂木)街道沿いの八日市場の北側に見え、この紺屋町に対して新紺屋町と称したものと思われます。また、正徳4年に八日市場の東側に東新町ができますが、これに対して新紺屋町が北新町とも称することになったと考えることができます。「宇都宮町名起源考」によりますと扇町と清巌寺町との間にあったとされる壁町も当村の地内。但し、新紺屋(北新)町・壁町は江戸後期になると史料的に見えなくなり、共に当村に吸収されたものと思われます。寛延3年宇都宮宿当分助郷帳によりますと、日光法会による同宿助郷村のうちに当村が見えます。「改革組合村」では鶴田村組合寄場に属し、天保年間の家数31。宝永8年「宇都宮領九万石高村付帳」によりますと、領内12筋のうち岡本筋に属し、安永年間-嘉永年間頃の「宇都宮領村高御城下迄道法附」では領内6筋のうち塙田条(筋)38か村の1村。嘉永4年の領地替に際し5筋に変更されてからも塙田筋45か村の1村。神社には須賀神社があり、夏祭りである天王祭にはお仮屋が作られて盛大に行われました。他に事代主命・誉田別命を祭神とする八幡宮、大雷神・大物主命を祭神とする雷神社があります。寺院は真言宗能延寺・浄土宗慈光寺・曹洞宗成高寺・時宗本願寺などがあります。
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拝殿。
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拝殿内。
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本殿。
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境内案内板「市民憩の森八幡山公園に鎮まる宇都宮城北の守護の八幡宮」より…『【由緒(由来)】当神社の御祭神は誉田別命(応神天皇)と併せて配神事代主命(えびすさま)倉稲魂命(稲荷さま)を祀り明正天皇の御代寛永18酉歳8月(西暦1641)宇都宮城主が北の守護神として祭祀建立したものと伝えられ奥平美作守が再建したと記され永く武の神として城下の人々の崇敬をうけてきた。旧塙田村の氏神さまとして村人の厚い信仰にささえられて今日へと守られてきている。神域を始め周囲の森は市民憩の場所となり、この御社の名称から八幡山公園と名付けられ桜の名所として多くの花見客が訪れて殷賑を極め広く親しまれている。丹塗の本殿と朱塗の鳥居は花や緑に映えて訪れる人々の心のやすらぎと雅趣を与えて静かに鎮座する。境内には琴平神社、須賀神社の両末社が鎮座され塙田の天王祭みこしは市内屈指の大型神輿で有名。【例祭日】10月新暦十五夜午前11時。末社琴平神社:同日午前11時30分。末社須賀神社:(天王祭)7月15日-7月20日』
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社務所。
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末社の須賀神社。八幡宮の真横(向って左)です。
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社殿神額。
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社殿内には神輿がありました。
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こちらは末社の琴平神社。石灯籠一対(昭和41年10月10日)。
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琴平神社は八幡宮の横(向って右)、社務所前にあります。
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Nikko Tosho-gu is a Tosho-gu Shinto shrine located in Nikko,Tochigi Prefecture,Japan.Together with Futarasan Shrine and Rinno-ji, it forms the Shrines and Temples of Nikko UNESCO World Heritage Site, with 42 structures of the shrine included in the nomination. Five of them are designated as National Treasures of Japan, and three more as Important Cultural Properties.
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Nikko Toshogu is a Shinto shrine established in 1617 to enshrine Tokugawa Ieyasu, the first shogun of the Tokugawa shogunate. Ieyasu was born on December 26, 1542 in Okazaki Castle in Mikawa (present day Okazaki, Aichi Prefecture). After a great deal of hardship from an early age he succeeded in pacifying the country after a turbulent period of conflict and established the Tokugawa shogunate system in 1603. His actions brought order and organization to Japanese society while promoting scholarship and industry. Ieyasu laid the foundation for over 260 years of peace and culture during the Edo Period, greatly contributing to the development of modern Japan.Ieyasu died aged 75 at Sunpu Castle (present day Shizuoka City, Shizuoka Prefecture) on April 17, 1616, and his remains were immediately buried at Kunozan. In accordance with his Will, one year later, on April 15, 1617, his remains were entombed at their present location. Ieyasu’s enshrinement ceremony was solemnly conducted at the then Tosho Shrine, as it was originally called and the fore-runner of the present Toshogu Shrine, on April 17 in the presence of Tokugawa Hidetada, the second shogun, and other members of the shogunate and imperial court. The shrine was subsequently given the designation Toshogu in 1645.The main buildings that you see today were rebuilt in 1636 by the third shogun Tokugawa Iemitsu.
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神橋(日光市)Shinkyo Sacred Bridge.
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長坂・勝道上人尊像(東照宮・輪王寺・二荒山神社表参道)Omote-sando(Main procession street),Statue of Shoudo shounin,and so on(Shodoshoninzo).
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日光奉行所跡(西参道)Nikko Magistrates Mark.Nishisando.
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日光東照宮(Nikko Toshogu Shrine)Part1-(Gojyunoto(Five-Storey Pagoda),Shinkyusha(Sacred Stable),Sanzaru(Three Monkeys),Sanjinko(Three Sacred Stonrehouses),and so on.)
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日光東照宮(Nikko Toshogu Shrine)Part2-(Omizuya(Purification Building),Honjido Hall,Drum Tower,Bell Tower,and so on.)
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日光東照宮(Nikko Toshogu Shrine)Part3-(Yomei-mon Gate,Kairo(Corridor),Shinyosha(Portable Shrine Building),and so on.)
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日光東照宮(Nikko Toshogu Shrine)Part4-(Karamon Gate(Chinese Gate),Haiden(Worship Hall),Gohonsha(Main Shrine.Ieyasu's graveyard.),Sleeping Cat,Okumiya(Inner Shrine),and so on.)
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日光山輪王寺大猷院(Taiyuin Temple)Iemitsu Taiyuin Temple,Iemitsu's graveyard.
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瀧尾神社(日光市)Takio Shrine,Shiraito Falls.
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瀧尾神社(日光市)Takio Shrine Part2
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日光東照宮旧社務所・美術館(The old shrine office "Choyokaku" of Toshogu Shrine.Toshogu Museum of Art.)
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日光山寺院群(Shrines and Temples of Nikko.)
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日光駅・東武日光駅(JR Nikko Station & Tobu Nikko Station.)
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yuki散歩 part12 ~ 日光市(Let's take a walk around the Nikko area!)
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日光観光備忘録(Memorandum)
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飛石八幡神社(日光市)Tobiishi Hachiman Shrine
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釈迦堂(日光市)Shakado Temple,Graves of self-immolation victims.
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虚空蔵尊・大杉神社(日光市)Kokuzo Bosatsu(Akasagarbha Bodhisattva)& Oosugi shirine.
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日光二荒山神社中宮祠(Nikko Futarasan Jinja Chugushi Shrine.Lake Chuzenji.)
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金谷ホテル歴史館・金谷ホテルベーカリー(Kanaya Hotel History House & Cottage Inn Restaurant)
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高田家のしだれざくら(日光市)Weeping Cherry Tree at Takada's House.
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延命地蔵尊(日光市)Enmei Jizo(life-prolonging Jizo)
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華厳の滝(日光市)Kegon Falls(Kegon no Taki)
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栃木県日光市山内。輪王寺内。二荒山神社別宮本宮神社と日光幼稚園の間。日光幼稚園は四本龍寺観音堂と櫻本院に挟まれています。櫻本院の隣には日城坊、向かいには禅智院。更に北に進むと、華蔵院、輪王寺小玉堂、明治の館(レストラン)などがあります。四本龍寺向かいには南照院や妙月坊があります。
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2.5
紫雲石。
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四本龍寺紫雲石…『ここから西南に少し離れた唯心院境内の礼拝石で、勝道上人が、ある日、礼拝をささげた折、この石の辺りから紫の雲が立ちのぼり、男体山の方へたなびくのを見たということから、紫雲石と呼ばれる。そしてこの地を四神守護の霊地として、四本龍寺を建てたという。現在は、観音堂、三重塔のみだが、日光発祥の地であり、奈良、平安時代の日光の中心地であった。』
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石仏・日光型庚申塔。
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5.5
「天平神護二年日光山草創四本龍寺」。
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四本龍寺の創建は天平2年、勝道上人が祈祷していたところ、紫雲石と呼ばれる石から紫色の雲が発生し男体山の方へたなびくのを見たことから、この地を四神守護(青龍、朱雀、白虎、玄武)の霊地と悟り四本龍寺を開創。大同2年には下野国司橘利遠が帰依し千手観音堂を造営。
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その後何度も火災に遭い、現在の観音堂は貞享元年の大火で焼失後再建されたもので、桁行3間、梁間3間、寄棟、銅瓦葺きで、日光山では珍しい白木造りです。
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三重塔は元々は仁治2年に東照宮境内に建立されましたが、日光大造営の際に現在地に移されて、観音堂と同様に貞享元年の大火で焼失後再建。三重塔(桁行5.64m、梁間5.64m、三手組二重垂木)は観音堂とは異なり、十二支の彫刻や極彩色で彩るなど鮮やかな印象を受けます。明治時代初頭に発令された神仏分離令によって日光山内が二社一寺に分離され、四本龍寺は日光山輪王寺に組み込まれ(境内前面に鎮座する本宮神社は日光二荒山神社の別宮となっています)、明治7年金剛童子を合祀したことから、金剛堂との別称もあります。四本龍寺観音堂、三重塔はいずれも国指定重要文化財。下野三十三観音霊場三番札所。
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四本龍寺観音堂(県指定文化財)…『天平神護2年(766)大谷川を渡った勝道上人一行は、この地に草庵を結び、四本龍寺を建てた。その後、大同2年(807)下野国司、橘利遠が千手観音を祀る堂を建立。四間四方(約8メートル)。二社一寺の建造物で唯一の素木造り。明治7年に、金剛童子を合祀をしたので「金剛堂」とも呼ばれる。下野三十三観音巡りの第3番札所。』
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四本龍寺三重塔。高さ18m。
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四本龍寺三重塔(重要文化財)…『日光山二十四世座主弁覚が、将軍源実朝の供養のために仁治2年(1241)に東照宮境内付近に建立。その後この地に移された。貞享元年(1684)の大火で焼失、翌年再建されたのが現在の塔である。三間四方(約6メートル)。最下層の蛙股に十二支の彫刻がある。隣接の不動明王と石の護摩壇は日光修験の峰修行の遺跡である。』
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観音堂と三重塔の間にある鳥居。
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小さな鳥居です。鳥居の先は日光修験道に古くから伝わる顕密護摩壇。
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石が載せられています。
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奥に不動明王。
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日光二社一寺関連記事
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