くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (栃木県)

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私は日光二荒山神社日光山輪王寺大猷院の間にある道から徒歩で瀧尾神社へと向かい、帰りは稲荷川沿いの瀧尾神社参道(史跡探勝路神橋-滝尾神社)を通り、日光東照宮社務所方面へ戻りました。
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道中には昌源杉・神馬の碑・手掛石・北野神社(二荒山神社末社)・輪王寺開山堂・陰陽石・養源院跡などがございます。
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昌源杉方面。二社一寺浄水場付近。
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神馬の碑。
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5.5
上部に「御神馬」、下部には由来が彫られているようですが、読み辛かったので読んでいません。
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『慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの折り、徳川家康が乗った名馬の碑。家康が亡くなった後も、元和3年(1617)から寛永7年(1630)に亙たる14年の間、東照宮に御神馬として奉仕した。延宝6年(1678)梶定良の建立。由来の碑文が刻まれている。』
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ちなみに参道の石は個人的に歩きにくかったです。
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立派な木などに見とれて上を向いていると挫きそうです。
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手掛石。北野神社に詣でた後に訪れた方がいいみたい。
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手掛石…『昔、滝尾神社の女神、田心姫命が、お手を掛けたと伝えられることから「手掛石」と呼ばれている。学問の神、菅原道真を祀った北野神社に詣でた帰りにこの石に手を掛けて祈願すると、字が上達するという信仰がある。』
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見上げれば立派な木。
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見下ろせば石碑(紀年銘寛文)などもあったりしますが詳しくは見ていません。
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北野神社。社号標には「二荒山神社末社北野神社」とあります。
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鳥居の脇には仏像が3体。小石が積まれています。
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日光燈籠一対。
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北野神社。御祭神菅原道真公。祠には元文5年6月の紀年銘。祠前に牛がいます。
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石鳥居並びに石祠、祠の奥の巨岩に天満宮の梅鉢紋が見られます。
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北野神社…『学問の神、菅原道真(天神さま)を祀る。寛文元年(1661)筑紫安楽寺の大鳥居信幽が勧請したものである。祭日は8月25日。鳥居や祠の奥の巨岩に天満宮の梅鉢紋がみられる。』
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北野神社前から見た参道。滝尾神社参道と車道が平行しているのがわかりますね。歩きにくいと思った方は車道の方を歩けばいいと思います。
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参道へ戻ります。
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瀧尾神社から下ってきたので前後しますが、「史跡探勝路 神橋-滝尾神社」標柱と「これより滝尾道」標柱。
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23.5
法華塔(宝暦3年・一字一石書冩妙典)。大乗妙典一字一石供養塔です。
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輪王寺開山堂が見えています。
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養源院跡。ちなみに開山堂から少しだけ下った所にあるので記事が少し前後します。
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石垣の向こうに英勝院と養源院のお墓(宝篋印塔・大きい方が英勝院)があります。
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残された石垣がかつての養源院を偲ばせます。
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『寛永3年(1626)水戸頼房の養母英勝院が、於六の方の菩提を弔うために建てた寺である。家康の側室であった於六の方の院号が養源院であったことから、そのまま寺号とした。水戸家が代々の大檀家で、元禄2年(1689)には、松尾芭蕉が奥の細道行脚の途中、この寺を訪れてから東照宮に参詣した。明治以降廃寺となった。』
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私が歩いた軌跡的には『輪王寺開山堂(日光市)』へ続く。
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瀧尾神社(日光市)』からの続きです。
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運試しの鳥居。元禄9年家光公の忠臣梶定良奉納。かつて石鳥居の右には鐘撞堂があったそうです。
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運試しの鳥居…『元禄9年(1696)に、三代将軍家光の忠臣、梶定良が奉納したもので、鳥居の額束(中央の縦の部分)の丸い穴に小石を三つ投げ、穴を通った数で運を試したという。御影石、明神造り。』
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私の運はゼロでした。
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楼門が見えてきました。
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楼門。八脚楼門、三間一戸、入母屋造り、銅瓦葺。国指定重要文化財。神仏習合の名残りです。往時は仁王門として仁王像が安置されており、弘法大師の筆と伝えられた「女峰中宮」の扁額が掲げられていたそうです。
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楼門…『重層入母屋造総漆塗り。元禄10年(江戸時代・1697年)に移転新築された。それ以前は正面参道石段を登った付近にあり、おなじくらいの門であった。江戸建築の重厚な建物である。』
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拝殿。入母屋造総漆塗り、平入、銅瓦葺。国指定重要文化財。本殿や楼門と比べて小規模ですが、高床との調和を考えた拡張の高い建築で、正徳3年に造り替えられました。楼門が参道南方にあった時代には、拝殿の建物の規模は、現在の倍ほどあり、左側は天狗沢の谷下まであり、清水の舞台式に高床が造られていたと伝わります。
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御祭神は田心姫命。滝尾神社の創建は弘仁11年(820)に弘法大師が女峰山に滝尾権現(田心姫命)を勧請したのが始まりと伝えられています。日光三山に数えられる男体山、女峰山、太郎山にはそれぞれ大己貴命(男体山)、田心姫命(女峰山)、味耜高彦根命(太郎山)が祀られ、その神々を祀る新宮(現在の二荒山神社:大己貴命)、滝尾権現(田心姫命)、本宮神社(味耜高彦根命)がに日光三社権現として信仰されました。古くから神仏習合し本地仏として千手観音(大己貴命)、阿弥陀如来(田心姫命)、馬頭観音(味耜高彦根命)がそれぞれ輪王寺で祀られていました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され、日光山内も二社一寺に統廃合され、二荒山神社の別宮となりました。
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滝尾神社(重要文化財)…『日光二荒山神社の別宮。本宮、新宮(現在の二荒山神社)とともに日光三社権現の一つである。女峰山の女神、田心姫命を祀る。引仁11年(820)弘法大師が創建したと伝えられる。明治4年の神仏分離までは楼門に大師の筆といわれる「女体中宮」の額が掲げられ、仁王像が安置されていたという。正保3年(1646)の建立。4月の弥生祭の時には、二荒山神社から滝尾の神輿が渡御する。』
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唐門。国指定重要文化財。
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本殿。国指定重要文化財。
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本殿・唐門(重要文化財)…『本殿は三間社流れ造り、唐門は二脚平唐門、総漆塗り、極彩色。この建物は正徳3年(1713年)建て替えられたもので周りの玉垣石畳もその時設けられた。ご神体山の女峯山を遥かに拝むように本殿の裏壁には扉が付けられた造りになっていて全国でもたいへん珍しい。』
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唐門横にある縁結の笹。
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笹の葉を親指と小指だけで結ぶことができれば良縁に恵まれるという言い伝えがあります。
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御神木。
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瀧尾稲荷神社前の日光型燈籠。
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瀧尾稲荷神社。京都伏見稲荷大社からの勧請。
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狐一対と「成就」と彫られた丸い石。
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覆屋と石祠。
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瀧尾稲荷神社…『弘仁11年(820)弘法大師が滝尾神社とともに、稲荷神社も創建。祭神は倉稲魂神(稲荷大明神)。昭和41年9月に台風で流出したため、昭和43年に巴会により再建された。3月25日が例祭。5月25日の講社大祭には、多くの信者が集まる。昔、滝尾上人が朝のお供えを忘れると、稲荷の神が化けて出ては、催促したという伝説が残っている。』
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無念橋(延宝5年)。1.22m×1.14m。紀年銘は石段側面あるらしいです。石造反り橋(3枚の橋板を太鼓橋状に取付)。栃木県に現存する最古の橋。国指定重要文化財。年齢の歩数で渡ればいいらしいです。
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一応試してみましたが、23歩で渡るのはかなり難しかったです。
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無念橋(重要文化財)…『俗称願い橋。延宝5年8月教城院天佑掛替。三本杉を通してご神体山の「女峯山」を遥拝するため、自分の身を清め俗界と縁を切ることを意味する橋であったが、いつの頃からか己の歳の歩数で渡ると、女峯山頂上奥宮まで健脚で登ったことになり願いがかなえられると言われるようになり「願い橋」と呼ばれる。江戸時代までここは日光修験の中心地であったことから修験者(山伏)達の足腰のたんれんのための修業が原因でこうした伝称が生まれたのであろう。』 
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滝尾三本杉前の石鳥居と石燈籠一対。
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鳥居の先に三本杉が見えます。
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三本杉。「大きい!大きい!」(※下記参照)
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三本杉(神木)…『弘法大師が、この山で修行をした時に田心姫命が現れた場所と伝えられる。初代の杉は1699年、1747年、1749年と相次いで倒れ、現在の木は二代目である。倒れた親木は、そのままにしておく習わしで、今も横たわっている。この神木の霊験を示す話があり、寛文7年(1667)鶏頭院山舜の下僕が、この神木を小さいと馬鹿にして、神罰を被ったという。』
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御神木滝尾三本杉…『古代より滝尾境内の最も神聖な処である。以前の三本杉は右側が元禄12年8月15日(1699年)中央が延享4年8月27日(1747年)にいづれも静かな夜半突然に倒れたと古書に記されている。右側は寛延2年6月12日(1749年)夜半雨の中倒れたもので、手をつけづに今もそのままである。その時改めて石玉垣を設け現在に至る。したがって、今の御神木は250-300年の樹齢である。』
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酒の泉。昔から日光の名水として知られている湧水。泉の傍らには酒神と思われる石碑があり注連縄が巻かれています。
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酒の味があるといわれるそうですが、酒が湧いているわけではありません。醸造家の信仰が厚く、この水を源として酒を造ると良い酒ができるそうです。毎年、春に報醸祭、秋に祈醸祭が二荒山神社本社(神苑内の二荒霊泉)にて執行されます。
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酒の泉…『本宮の清水(昭和24年の今市地震で消失)、薬師の霊水とともに日光の三霊水の1つ。弘法大師が、この泉の水を汲んで神に捧げたといわれている。この御供水には、酒の味があるといわれ、持ち帰って元水として酒を造ると、良酒ができるという。醸造家の崇敬が厚く、古くから栃木県内の酒造家たちで酒泉講が結成され、秋に祈醸祭、春に報醸祭が行われる。現在は、西神苑の「二荒霊泉」で行われる。』
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境内西側を流れる天狗沢を渡ります。
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34.5
鳥居があります。
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「安産子種石」という石碑の上に小石が積み上げられていました。崇敬の篤さを感じます。
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更に石鳥居。額束にも「子種石」とあります。
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石燈籠が一基あり、石柵に囲まれています。
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霊験高く、古くよりこの石に子供が授かるように祈願すると子宝に恵まれ、無事安産するとの信仰があります。この霊験の安産子種石守も授与されています。
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子種石…『古くは、子種権現といわれた。子供が授かるように また、安産でありますようにと、この霊石に祈れば霊験があるというので、今日でも参拝者が多い。』
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さて、来た道を引き返して瀧尾高徳水神社へ向かいます。
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瀧尾高徳水神社。
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元栃木県知事の横川信夫氏が私財を投じて創建。県下におけるダム数は30有余に及び、水害防止の御神徳も称えて水神様を祀りました。初めは現在地から東方10kmほど離れた鬼怒川沿いの県内藤原町高徳に「高徳水神社」として鎮座していましたが、平成10年に現在地に遷座し「瀧尾高徳水神社」と改称。例祭日は毎年10月10日に執行。初めての例祭は平成10年10月10日に執行されました。
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手水石。
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燈籠一対。
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本殿。御祭神は罔象女大神。
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罔象女大神に因み狛犬ではなく蛙と亀が本殿前にいます。
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滝尾高徳水神社由来『この社は、奥吉野(奈良県吉野郡東吉野村)の水の宗社丹生川上神社の御祭神罔象女神の御分霊を祀り、天照大神の姉君として水に関する一切の御神徳を授けられた神であります。この社は、ときの栃木県知事横川信夫氏により昭和52年11月26日県内藤原町高徳に創建されましたが、県道拡幅のため平成10年6月27日この地に遷座され災害防止・開運の神としても嵩敬されています。』
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私が歩いた軌跡的には『神馬の碑・手掛石・北野神社・養源院跡(日光市)』へ続く。
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栃木県日光市山内。行者堂から下って来て、瀧尾神社参道途中に合流し、ここから瀧尾神社を目指します。
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最初に現れた石塔は…大小べんきんぜいの碑!生理現象なのでお約束はできません。
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大小べんきんぜいの碑…『古くは、このあたりに栃御門(桜門)、下乗石、木の鳥居などがあり、これから先は滝尾神社の聖域に入るので、大小便を禁ずる碑が立てられた。庶民にも読めるようにと、「大小便禁制」のうち大小のほかは、「平仮名」で書かれているのが珍しい。』
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参道。この石は非常に歩きにくいです。上を向いて歩くと足を挫きそう。滝尾神社参道周辺には樹齢500年以上の老杉群があります。文明8年(1476)日光山第44世別当になった昌源が植えたもので、中世繁栄期の遺産であり、「昌源杉」と呼ばれています。以前はそのうちの1本が、飯を盛ったような形に繁って目立っていたので、「飯盛杉」と呼ばれましたが、昭和38年の突風で倒木したそうです。
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白糸の滝。
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白糸の滝…『天狗沢にかかる名瀑。高さ約10メートル。弘法大師修業の場と伝えられる。文明18年(1486)京都聖護院の道興准后が日光を訪れ、その時の紀行文「廻国雑記」に左の和歌が詠まれている。「世々を経て 結ぶ契りの 末なれや この滝尾の たきの白糸」』
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白糸の滝は瀧尾神社の前、参道途中にあります。ちなみに道興准后は滝尾神社の参拝で白糸の滝を見た時「瀧の尾と申し侍るは無雙隻の霊神にてましましける。飛瀧の姿目を驚し侍りき」とも記しています。
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白糸の滝碑(大正5年9月7日・大正天皇御観瀑)。
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白糸の滝前から見た瀧尾神社入口。
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白糸の滝近くの御神木と不動明王。
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11.5
瀧尾神社社号標。日光燈籠や梵字を刻んだ三重塔もあります。
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石段を上ります。
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石段途中の石祠。不動明王。左腕破損しています。
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右側に石垣。
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石垣の上には別所跡。
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別所跡…『東照宮の遷座以前、日光参詣の中心はこの滝尾周辺であった。日光責めで有名な輪王寺の「強飯式」(山伏が、大盛りの飯を残さず食べろと責める儀式)も、ここが発祥の地である。明治になって別所は廃絶。永生6年(1509)日光に来た連歌師、宗長の紀行文「東路のつと」には、「ここより谷々を見おろせば、院々僧坊およそ五百坊にも余りぬらん。」とあり、盛時の様子が偲ばれる。』
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影向石。この付近には阿弥陀如来を安置する如法経堂があったそうです。
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影向石…『影向とは、神仏が仮の姿をとって、この世に現れること。弘法大師(空海)が、弘仁11年(820)この地に来て、奥の大岩のあたりで神霊の降下を祈願したところ、美しい女神が現れたと伝えられている。』
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苔生した石祠。
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周囲には地蔵尊、三尊の梵字を刻む石碑、壊れた燈籠、首が無く廃仏毀釈を感じさせる石仏もいくつかありました。
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