くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:建物・歴史的建造物・街ブラ等 > yuki散歩

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yuki散歩part13。秋田市立赤れんが郷土館に行きたかったので、それ以上は何も考えずに予約した赤れんが館通り沿いのホテル(アルバートホテル秋田)がめっちゃ飲み屋街に位置しておりました。
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川反って秋田市大町なのね。小路散策をしたかったのですが、夕暮れ時&土地勘が無かったのでやめました。
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北都銀行本店前交差点(秋田市中通)付近にあった奉行所跡地の標柱…『佐竹藩の町奉行所跡地。明治8年、秋田県に警察が設置され警察部庁舎に生まれ変わり、昭和42年、農林中央金庫秋田支所(現支店)となる。』
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ってことで、特に痕跡はありません。
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旭川越しに川反飲食店街の建物。旭川の命名は菅江真澄が源流の旭岳に因んで名付けたと伝えられています。
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すずらん通り。
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うなぎ横田屋。めちゃいい香りがしていましたが営業していませんでした。どうやら営業時間がお昼のみのようです。そして出前&お持ち帰りは夜までやっているようです。なるほど…罪な香りですね…。すぐ近くには濱の家という大変風情のある料亭がありましたが、店前で観光客がたくさん記念撮影していたのでスルーしました。後からHPで調べたら大正7年創業とのこと。料理も雰囲気よりはリーズナブルに感じました。
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川反は久保田川端・秋田川反ともいいました。久保田城下町の1つ。1-5丁目まであり、5丁目は更に上下に分かれていました。町割は慶長17年以降といわれます。東は旭川に沿い北から1-5丁目が並びます。西は大町・本町に隣接。1丁目は慶長年間に武家屋敷でしたが、寛文年間に旭川を移動、以後町人の町として発展。1丁目には水汲場が設けられ、寛文6年には水汲場破損補修のため入用銀が大町1~3丁目、茶町菊之丁、上肴町、中・上・下亀之丁、上米町1・2丁、下米町1・2丁の各町に割り当てられ、この水汲場使用の町であったことが推定されます。2丁目は当初から商人町で主に染屋が中心をなしていました。文化11年に下5丁目に石川滝右衛門(絹方役所)の秋田畝織があり、同13年に3丁目の那波三郎右衛門が絹方支配人になりました。1・2丁目は二丁目橋で、上・下5丁目は五丁目橋で内町と連絡。五丁目橋は宝暦3年に幕府の許可を得て工事を開始。橋の北側にはさらし場があり、明治元年7月に仙台藩士をさらしたのが最後。1丁目には星辻神社があり、火伏せの神として信仰を集め、4月12・13日のダルマ市は現在でも盛んです。2丁目の稲荷神社は佐竹遷封の際に水戸より白根屋多兵衛が移したもので、寛政11年3月から丁内の氏神。3丁目には秋葉神社がありました。明治4年から秋田町の町名。同11年南秋田郡に所属。同22年秋田市の町名。明治18年の1丁目の戸数は22戸で、翌19年の俵屋大火で2戸を残して全焼。2丁目は36戸で同じく焼失全焼14戸。3丁目は34戸で焼失20戸。4丁目は51戸、上5丁目は31戸、下5丁目は29戸でともに全焼。この火事は4丁目の田原吉之助と亀谷東吉の家屋の間のしの板から出火し、市全体の焼失戸数3,544戸、死者17、負傷者186、53町を焼きました。大火後に料理屋が4丁目を中心に移転して現在の繁華街となります。同5年、3丁目に本県為換方(三井組委託)を設置し、諸上納その他の出納業務を開始。同10年から第一国立銀行秋田支店が業務を始め同30年まで営業。大正13年の「秋田市統計一覧」によると10名以上の従業員を雇用する企業に2丁目の栄太楼製菓工場、3丁目に竹谷金銀工場があります。昭和40年住居表示実施により大町1~5丁目の一部となります。
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ちなみに川反外町の外町の由来ですが、初代藩主佐竹義宣が、築城の構想の一環として久保田城下の町割りをし、久保田城西側すれすれに流れていた仁別川を、更に西側に掘り替えて外掘の役目を持たせたのが現在の旭川で、旭川を境に東側を侍町、西側が町人町とはっきりと分離し、侍町を内町、町人の町を外町を呼称したことによります。
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川反(かわばた)という地名は、川の畔という意味で「川端」と書くのが普通です。藩制時代には川端と書いていたようです。当時の住人は殆ど武士でした。しかし、街づくりが進むにつれて川端は町人の街となり、武士は川の東側に移り住みました。このため川の西岸沿いにある川端は、武士から見て川の反対側に位置するようになり「川反」の字が当てられるようになったと伝えます。明治19年の大火(俵屋火事)によって焼失した芸者屋、料理店が川反四丁目に次々と移転を始め、これを転機として町人の町であった川反は、歓楽街川反となっていきました。明治末・大正から昭和初期にかけて、戦争特需などを背景として歓楽街川反は栄華を誇りました。そこに咲いた花が川反芸者です。川反芸者は器量よしで踊りも唄も上手で、県外から訪れた客によってこの評判は全国に知られていきました。しかも川反芸者は踊りと唄がうまかっただけではありませんでした。本県婦人運動の先駆者である和崎ハルが大正13年に開設した芸妓学校にて、毎週日曜日には約50人の芸者が国語や書道などのほか、希望者は英語まで習っていたといいます。このため川反芸者のお座敷は話題も豊富となり、川反芸者の名が高まっていきました。昭和初期には150人もいた川反芸者ですが現在は僅か数人。現在では川反芸者の復活を目指し、若い舞娘さんも登場して川反の華やかさはまだまだ健在とのこと。
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ちなみに秋田美人という言葉がありますが、明治末から昭和初期にかけて秋田を訪れた多くの文人たちが、川反芸者を指して使ったのが始まりとされています。文豪谷崎潤一郎は明治末に「敦れも恋の奴のような恍惚と物に憧るる表情」などと川反の女を描写しています。谷崎に限らず何人もの文筆家が川反風俗を書いたことにより、川反芸者=秋田美人は全国的に知られるようになりました。現在では秋田女性の代名詞になり、秋田美人の特徴は、背が高く、やや面長で、目は細く切れ長、口は小さく、鼻筋が通り、そしてきめの細かい色白の肌を指すようになっています。
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秋田美人を発見。
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那波紙店(株式会社那波伊四郎商店)。
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国登録有形文化財(店舗兼主屋、文庫蔵、商品蔵、向かい蔵、五号倉庫)。
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明治11年(1878)に初代那波伊四郎氏が秋田藩御用聞商人の那波商店から分家して現在地に創業。当時は茶・砂糖を販売。明治19年頃から和紙を中心に商売。現在の建物は明治19年の俵屋火事で家屋焼失後、同20年に土崎にあった船宿を解体移築したもの。
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屋根の立ち上がりが低く勾配も緩い屋根の造りは、江戸時代末期の表構えを伝えるものとして伝承。
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向かい蔵。明治中期の建物。土蔵造2階建、切妻造妻入、鉄板葺。覆い屋が架けられた内蔵形式。那波伊四郎家の住宅の内蔵と考えられています。梯子が目立ちます。
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茶町通りの那波伊四郎商店倉庫(那波紙店五号倉庫・那波伊四郎商店配送センター)の建物と木。上部に刻まれた家印は本家那波三郎右衛門家と同じ「一に三角」。木造二階建、桁行14.6m、梁間7.6m。切妻造鉄板葺で小屋はキングポストトラスを組みます。外壁はモルタル塗で、正面となる東妻は洗出し仕上げとし、妻壁を立ち上げ、柱形を表すなど意匠を凝らしています。昭和13年建築。国登録有形文化財。なお、現在は五号倉庫しか現存していません。
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電柱…じゃない!!
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さて、暗くなるにつれて賑やかになってきました。
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純米酒が私を呼んでおります。
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しかし疲労困憊だった上に、お店の下調べもまったくしていなかったので、ホテルのすぐ近くにあった「だんまや水産秋田大町店」へ。
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期間限定メニュー!
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cheers!
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うなぎを食べられなかったので期間限定メニュー(伊勢海老、金華鯖刺身、ホヤ刺し、きんきの炙り寿司、伊豆直送金目鯛の姿煮、その他あら汁等)で奮発しておきました。
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金華鯖刺身。
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伊勢海老刺身。
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きんきの炙り寿司。
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金目鯛の姿煮と金華鯖刺身が特に美味しかったです。
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通常メニューからはホルモン炒めと刺身の盛り合わせ。
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魚食べ過ぎ。
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注文し過ぎたので、責任をもってすべて生ビールと秋田の地酒で流し込みましたよ。
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あら汁の器もかなり大きかったよ。汁物は〆として頂きました。
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なお、頂いた地酒の種類は覚えておりません。お店のホールで働いていたМさんのおすすめで頂きました。余談ではありますが、このМさんがお店の忙しさを感じさせないほど素晴らしい接客ぶりでして、料理もお酒も大変美味しく楽しく頂くことができました。たぶんMさんがいなければこんなに奮発していなかったでしょう。クーポン券を綺麗に切ってくれた方もMさんです笑
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結局、また行きたいと思える店になるかどうかは人なんですよね…って改めて思いました。Мさんありがとうございました。
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こちらはホテルの前(秋田川反漁屋酒場)にいたなまはげです。なまはげが登場するお店のようです。この写真は日暮れ前に撮ったものですが…
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夜に見たら迫力が倍増しておりました!!
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「日光を見ずして結構と言うこと莫れ」ってことで、今回はそんな日光市をyuki散歩。
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日光田母沢御用邸記念公園。
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明治32年、民間の別荘に旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築し、その他は新築する形で造営。
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日光田母沢御用邸記念公園前。
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愛パークとちぎ。
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日光花咲人の皆様、ありがとう。
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東照宮方面へ。日光田母沢御用邸記念公園から日光駅までの社寺周辺は門前町として栄え、名物の湯波料理、和菓子、カフェ、日光彫の老舗などが軒を連ねます。
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湯葉が有名ですが、日光では「湯波」と表記します。
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こちらの趣ある建物は…
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まさかのローソン(日光東照宮前店)でした。2Fはレストラン。景観を損なわないようにしているのでしょうね。
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富士屋観光センター。西参道入口付近です。
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「LANCATLGUE CAFE NIKKO VORTEX and QUEENIE」の隣にある子育稲荷大明神。
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西参道付近、日本ロマンチック街道沿いに鎮座。
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路地を歩いていると至る所に鳥居や小祠が見えます。
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個人で祀っているものもたくさんあるんでしょうね。
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日光物産商会本店。明治38年創業。国登録有形文化財。詳しくはリンク先のHPをどうぞ。
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にっこり荘(Nikkorisou Backpackers)。ゲストハウス。人気あるみたいです。しかも東照宮のすぐ近くなのでかなり便利そう。
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それにしてもさすがは日光。結構路地裏も歩いたのですが変なものがありません笑
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仕方がないので小林新古美術店の塀で…
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大谷石のミソチェックします。
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「おまえは日本有数の観光地に何をしに来たんだ!?」とか言う人とは…
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一緒に旅行できません。
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外山(標高880.2m)。石英斑岩から成る山。日光山輪王寺日光東照宮日光二荒山神社の鬼門にあたる北東に位置することから、日光山の魔除けとして毘沙門天が祀られており、その歴史は弘法大師の日光入山にまで遡るとの伝承もあります。明治時代の廃仏毀釈により輪王寺の境内地となりましたが、以前は神社地であり、その名残りとして登山道(旧参道)には石鳥居がいくつか残されています。
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あっ!いい感じの店。看板の「モケイ」がいい感じ。
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しかも店前にコスモス!
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しかもしかも…現役!景品はビットコイン、うんこ漢バッ字、ゲームポケなど。さすがは現役のコスモス!税込み200円。
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ちなみに店名はキタヤマ模型というらしいです。
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「大横町の歴史」という手書き看板がありました。『ここは江戸時代東照宮に奉仕する八乙女が多く住んでいたことから「八乙女横町」と呼ばれてきました。1662年(寛文2年)稲荷川の洪水により流失した火の番屋敷がこの大横町に移された事が「火の番横町」とも呼ばれるようになりました。この時代大横町は大きな活力と賑いがあったと想像されます。その火の番を命じられたのが「八王子同心」と呼ばれた人々で八王子から日光に交替制で勤めその後約200年もの間火災から社寺を守る大きな功績を残しています。このように大横町は現在では世界遺産となった日光山の社寺を守る基点となった場所なのです。』
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下鉢石町。
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下鉢石町と稲荷町の間の通り。
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稲荷町。虚空蔵尊稲荷神社がある通り。突き当たった場所が東武日光駅です。
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瓶コーラ自販機。
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下の段は瓶でしたが、上段はゼリーパックでした。
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ちなみにこちらは普通の自販機ですが…
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おすすめは葵の御紋(徳川デザイン)コーラです。
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日光金箔ソフト。普通のソフトでいいや!ってことで食べませんでした。
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そういえば「とちおとめまん」も食べる勇気が出ず…
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「家康らーめん」「忍者らーめん」も食べませんでした。
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あげゆばまんじゅう店。
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個人的にこういうアピールの仕方をするお店は微妙かも?って思うところがあるのですが…
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「これ美味い!」無料でお茶も頂きました。ありがとうございます。
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ってことで日光市でyuki散歩でした。
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yuki散歩part11。この日は下北の温泉旅館を予約できず、むつ市の田名部神社近くのホテルへ宿泊。せっかくなので街へと繰り出します(→最初からその気満々)。ちなみにこの日は遠くに打ち上げ花火が見えていました。大きな花火でしたが何かは不明です。
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さて、ホテルから頂いたパンフレットを見ると結構お店が立ち並んでいるようですね。
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下北半島随一の歓楽街とはいえ、街の規模及び人口に対して明らかに多過ぎるくらいのお店の数です。
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漁師の方や自衛隊の方が多いのでしょうか。もちろん私のような観光客も時期によってはたくさんいると思いますが。
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田名部神社のすぐ横にある小路「神社横丁」は行政からの要請で敷地内に受け入れた闇市の名残りだと言います。
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その他、田名部横丁、親不孝通り、レンガ通り、ミナト通り、天きん通り、桐半通り、はまなす通り、ふれあい通りなど網の目のように小路が広がっており、結構ディープな雰囲気です。
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普通の居酒屋をはじめ、郷土料理、和風料理、寿司屋、ホルモン屋、小料理屋、焼き鳥屋、蕎麦屋、ラーメン屋、バー、スナック…。
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まぁ見た感じではスナック数が半分っていう感じもしましたが…人口を考えるとそれはそれで凄いことです。
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下調べなしではどのお店に入るか絶対に迷いますね。いや、むしろこれだけお店があるのならば、下調べはせずに実際に来てみてから、自分に合った雰囲気のお店を探した方が早いです。
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田名部神社から少し離れた場所でも夜までやっているカフェなど色々ありました。
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それでは説明省略でいかせていただきます!写真はあまり撮っていません。何か…完全にお酒ありきのお食事内容ですね…スタートが大ジョッキ&バクライ&ホヤって…(* ̄^ ̄)<カンペキ!
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田名部神社も夜は妖艶な雰囲気でした。
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「らーめん大将」へ。ギョーザ・カレーギョーザ・青じそギョーザ・いかギョーザと餃子の種類が多かったです。
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ふのりラーメン(600円)。外観はかなりインパクトありますね。もっともパンフレットに載っていた写真を見て訪れたわけですが。
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いただきます。
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ごちそうさまでした。
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いつもの私なら飲み歩きながら色々散策しそうですが(※方向音痴なだけですが)、旅の疲れが溜まっていたのでさっさとホテルへと戻ってしまいました。いや、これだけ飲み食いしたら「さっさと」ではありませんね。
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頂いたものはどれもおいしかったので、またそのうち行くことでしょう(●´З`●)
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