くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (大間町)

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八大龍王殿。青森県下北郡大間町大間。曹洞宗大澗山福蔵寺向かい。阿弥陀寺隣。別當福蔵寺。
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八大龍王大明神を祀ります。
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八大龍王神は文久元年(万延2年・1861年)山形県鶴岡市善宝寺より勧請されました。当時の遷座場所ははっきりしていませんが、昭和26年に大間漁業協同組合より、現龍神堂敷地が寄付登録され同年現龍神堂が新築されました。同29年に御神体前翠簾が新調され、同44年10月、同48年3月6日に諸備品を揃え、参拝者増加に伴い同49年6月増築。現在の龍王殿は平成23年の八大龍王神遷座150年を記念し、漁師を初めとする町民一丸となり福蔵寺6世覺應泰進代に建立(平成26年完成)。施工は愛知県江南市(株)アイチケンに依り、龍王殿の天井絵は中国の余承信画伯に依る八方睨みの龍です。山形県善宝寺八大龍王神を信仰し、龍神講に依り毎年3月・10月に大祭が行われます。
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石灯籠一対。
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石灯籠一対と小祠。奥に見えている鳥居は大間稲荷神社
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石灯籠一対。
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かっこいい龍の碑(奉納熊谷清・菊池泰進。平成26年10月27日)。
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魚鱗一切之霊供養碑。
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鎮魂之鐘。
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龍王殿造立之碑…『古き時代より生命の源なる海から豊かな恵をいただくことで私たちは命をつないできた。自然に恵まれ家族に恵まれ仲間に恵まれ神仏のご加護のお陰である。ここに有縁の施主の浄財により平成23年10月18日八大龍王殿が完成した。そして今、その源となる魚霊に感謝をささげこの碑を建立する。平成26年10月27日。』
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福蔵寺境内から見た八大龍王殿。
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大間稲荷神社境内から見た八大龍王殿。
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青森県下北郡大間町大間。
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普賢院別当曹洞宗大澗山福蔵寺。通称シモテラ。シモテラとカミテラは向かい合って鎮座。カミテラは無量山阿弥陀寺のことです。
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普賢院といえば、平成30年に「おおま宿坊普賢院(完全予約制1日1組限定。禅修行(禅体験・写経・法話)体験付)」が開山されたのを新聞かテレビのニュースで見ました。大間に行く機会が中々ないですけど、機会があれば是非とも泊まってみたいですね。朝は精進料理ですが、夜は大間まぐろを初めとした海の幸御膳!素敵。なお、普賢院では禅体験などは無しで普通に泊まることのできる「ゲストハウス自休庵」もありますよ。素晴らしい取り組みだと思います。
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下北半島三十三所観音巡礼(田名部海辺三十三観音)第21番札所(聖観音)は阿弥陀寺となっていますが、円通寺の偏額によりますと大間の21番札所は「庵寺二立ツ」とのみ記されており、阿弥陀寺と福蔵寺のどちらかはわかりませんが、両寺とも立派な観音様を安置しています。北国霊場八十八ヶ所のうち66番札所で、現在は成田山不動講の大間支部(御堂は無く仏像は普賢院に安置)。境内には九州天草六十六部住庵の石碑があるそうです。
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福蔵寺は宝暦4年に佐井村長福寺八世水月萬江和尚により地蔵庵として開創。開基不詳。以来観音像は地蔵尊とともに祀られ、昭和17年3月15日、寺格を得て、長福寺の「福」と地蔵庵の「蔵」を一字ずつとって命名(長福寺九世法池和尚代)。御本尊は釈迦牟尼仏。薬師堂(御堂は無く仏像は普賢院に安置)は大正10年遭難者供養の為建立。地蔵堂(海上安全延命地蔵堂)は弘化4年に安置された地蔵尊(海中より引き上げられた石像・地元では「じんじょさま」と呼ばれています。)を祀っており、大間の高台にあることから、津軽海峡、マグロの漁場の目標としての役割も果たしています。竜神堂は万延2年山形善宝寺の八大竜神を本尊としています。昭和51年本堂及び庫裏老朽化のため新築(四世中興天真学明大和尚代)。建造物、仏像は地元宮大工彫刻師浜端義登氏に依るもの。
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永代供養碑。
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永代供養墓(慈母観音)。
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六地蔵。
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境内には色々なタイプの地蔵様がおりますね。
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案内板より…『わたしのお寺は、寺名…大澗山福蔵寺です。1754年(宝暦4年)水月萬江大和尚さまによってひらかれました。宗名…曹洞宗(禅宗)です。伝統…曹洞宗はお釈迦さまより歴代の祖師方によって相続されてきた正伝の仏法です。日本開宗…曹洞宗は今から800年ほど前の鎌倉時代に高祖道元禅師さまが我が国に伝えてゆるぎなき基礎をきずかれ4代目の太祖瑩山禅師さまが一層盛んになさいました。このお二方を両祖大師と申し上げます。』・『大本山…福井県の永平寺(高祖道元禅師さま御開山)・横浜市の總持寺(太祖瑩山禅師さま御開山)。本尊…曹洞宗はお釈迦さまをご本尊として仰ぎます。本尊唱名…南無釈迦牟尼仏。教義…わたしたちはみな仏の子であり生まれながらに仏心を具えています。しかしそれに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみ悩みのもとをつくっています。ひとたび仏さまに懺悔し帰依するならば心が落ち着いておのずから生活が調えられて明るくなり社会のお役に立つことを喜び又どんな苦難にも耐えて生き抜こうとする信念が生まれます。そこに生きがいと幸福とを発見するのが曹洞宗の教えであります。』
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八大龍王殿から見た福蔵寺。
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青森県下北郡大間町大間。浄土宗無量山阿弥陀寺。下北半島三十三所観音巡礼(田名部海辺三十三観音)第21番札所(聖観音)。本堂長縁左端の堂型お厨子にあります。※境内、色々と工事中でした。
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大間の中心街には通称「カミテラ」と「シモテラ」が向かい合って鎮座しています。カミテラとは無量山阿弥陀寺のことで、シモテラとは大澗山福蔵寺のことです。円通寺の偏額によりますと大間の二十一番札所は「庵寺二立ツ」としか記されておらず、どちらのお寺かはわかりませんが、両寺とも立派な観音様を安置しています。※現在は阿弥陀寺になっているようです。
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阿弥陀寺の本寺である佐井村発信寺の由来記によりますと、発信寺二世で延宝3年に遷化した廓誉上人(直含至風和尚)が阿弥陀庵を草創。境内に廓誉上人の墓石があります。阿弥陀庵が寺格を得たのは昭和4年4月29日。御本尊阿弥陀如来は300年以上前に造られたものと伝えます。
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また、文献により異なる部分もありますが、元禄元年に喜徹和尚が茲恩院殿菩提のため創立。創立当時は発信寺末庵。新撰陸奥国誌では宝永2年5月、武内伝兵衛開基、二世観山和尚開山となっています。
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余談ですが、大間町では、お盆期間中に先祖代々の墓前で花火をする独特の風習があります。盆の入りの13日夕、町内にある墓地には家族連れや帰省客が次々と訪れて、迎え火ならぬ花火で祖先の霊を賑やかに迎えるそうです。花火は手持ち花火だけではなく、ドラゴン花火や打ち上げ花火までするそうです。墓で花火をする風習は長崎県にもあり、長崎歴史文化博物館によりますと、江戸時代の文献にも掲載され、中国から伝わったとみられています。賑やかな墓参り…漁師町っぽくていいですね。
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案内板より…『阿弥陀寺の本寺で、佐井村発信寺の過去張によると、発信寺二世で延宝3年(1675)に遷化した廓誉上人(直含至風和尚)が阿弥陀庵を草創。阿弥陀寺が寺格を得たのは昭和4年のこと。客仏堂に安置された聖観音像は、「カミテラの観音さま」と呼ばれ、観音講がさかんであった。』
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