くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:寺・神社 (岩手県) > 寺・神社 (二戸・一戸・九戸)

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岩手県二戸市白鳥。七滝大明神(七滝神社)。鳥居は見えませんが県道24号線沿いに「七瀧大明神入口」という標柱があります。その横の小道を50mばかり下ると庚申塔などの石碑が何基かあり、赤い鳥居が目に入ります。徒歩なら県道沿いからも赤い鳥居が見えます。
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庚申・廿三夜塔2基。
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3.5
巖鷲山・牛頭天王・十和田山。
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金毘羅大権現。
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七滝神社鳥居。
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七滝神社。
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案内板「白鳥七滝 Siratori-Nanataki いわれ」より…『神社の裏に7つの滝があり、滝の名称は上流から次のとおりとなっている。1.舟滝2.駒形滝3.夫婦(めおと)滝4.河童(めどつ)滝5.樽(こが)滝6.根っこ滝7.風呂(ゆっこ)滝』
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顕彰碑「神社用地百三十二坪寄贈・寄贈者四戸龍治郎殿」(七滝神社総代会建立・平成13年9月吉日)。
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七滝神社路肩竣工記念碑(工事施行:岩手県。工費:五百萬圓也。申請者:代表中奥喜代志。竣工:昭和54年11月吉日)。
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狛犬一対(昭和49年11月吉日・盛岡市菜園、古舘ミツ建立)。
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11.5
石灯籠一対(平成5年12月吉日・中奥喜代志建立)。
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12.5
拝殿。
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拝殿神額「七瀧大明神」(田村熊五郎)。
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拝殿向拝神額「七滝大明神」。
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拝殿内。
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御神木。
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本殿覆屋。
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本殿裏手へ。
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神社の下流に七つの滝があり、滝壺の形によってそれぞれ名前がついています。上流から「舟滝」「駒形滝」「夫婦滝」「河童滝」「樽滝」「根っ子滝」「風呂滝」。
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20.5
草木がひどくて川まで辿り着けない感じ。
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よって、それぞれの滝や全貌はよくわかりませんでした。
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22.4
22.8
再び境内へ。奇岩。
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岩の上の石塔には「山之神」とありました。
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読み取れなかった石碑。
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八幡神社。
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木の根元に大黒様と恵比寿様。
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聖徳太子碑。
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28.5
金比羅神社。
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駒形神社(大正2年旧8月17日)。
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小祠。
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何かはわかりませんが、棟札には昭和31年11月吉日建築と見えました。
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一之鳥居横の普通の民家のお庭が駐車場になっています。ちゃんと「白鳥観音堂駐車場」という看板がありますが、本当にここに停めていいものかちょっとためらいます。
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岩手県二戸市白鳥滝向。県道24号線沿い。浄福寺七滝大明神(七滝神社)付近です。
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かつての白鳥村で寺院として曹洞宗浄福寺、神社として明神社が見えます。
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二之鳥居「平成13年11月吉日細田敏知」。
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観音橋(平成10年8月吉日竣工)を渡ります。
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観音橋を渡ると正面に白鳥観音堂。
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堂宇。
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扁額「七滝山」(平成13年11月)。
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扁額「白鳥観音」(平成4年6月)。
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祀られている観音様は聖観世音菩薩のようです。
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私が見逃していなければ、灯籠と狛犬はそれぞれ一基ずつ。
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狛犬(田村喜代隆建立)の紀年銘は平成元年5月吉日なので、恐らく洪水の影響かも知れませんね。
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境内案内板より…『【白鳥観世音菩薩】九戸城の北側を流れる白鳥川は折爪岳に源を発し、長年の浸食で切り立った断崖絶壁を形成し、福岡落久保で馬渕川と合流する。今は静かに流れるこの川が言い伝えによると4、500年前大洪水となって人家や田畑を押し流した。その時白鳥村の白鳥観音も流され合流直前の岩谷橋下の藤の木のつるにからまっているのを地元の人に拾い上げられた。そして、その場の岩穴にお堂を造って祭られたのが糠部三十三観音の一つである岩谷観音として現在に至っている。伝えによれば、白鳥観音は今から950-960年前、安部氏がこの地を治めていた頃、安部一族の手により住民の無病息災家内安全豊作を祈願する為祭られたものであるといわれている。この度、代々の祖父より語り継がれてきた。白鳥観音堂の故地を整備し、新たに観音菩薩を安置して堂宇を再建し、地域住民の拠所として、永く子々孫々に伝えようと発願するものである。平成2年10月吉日。建立者:田村喜代隆。縁日:毎月旧暦17日。【白鳥観音堂再建の由来】500年もの昔、洪水により流失したという白鳥観音。以来ここ白鳥には、観音像を失ったほこらと伝承だけが残されていたが、平成2年10月、新たな観音像とともに観音堂を再建。多くの参拝者を迎えることができるようになった。しかし平成11年10月28日の大豪雨により白鳥川が氾濫、観音像は残ったものの前年に架け替えた御堂へと通じる太鼓橋もろとも、観音堂は濁流に呑まれてしまった。被災から3年、国の災害復旧護岸工事の開始を契機に再び観音堂の修復に着手することとなった。平成13年の春、地区民から寄せられた建設資金と労力奉仕により始められた再建工事も秋には完成。11月11日、落慶の日を迎えるとともに白鳥観音は地域の信仰の拠り所としてよみがえった。平成13年11月吉日白鳥観音堂保存会』
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堂宇横の不自然な穴。
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かつてはここに何かが祀られていたのでしょう。もしくはかつての御本尊が祀られていた場所かも知れませんね。特に説明はありませんでした。
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さて、観音橋を戻ります。
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こちらの建物はバッタリー小屋。
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バッタリー。現在は使われていません。
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19.5
復元した「バッタリー」について…『一.「バッタリー」は、先人達の知恵から生まれたもので、水車ができる以前から使用されて当時の暮らしには欠かすことの出来なかったものでした。「バッタリー」は渓流の水を利用し水車と共に雑穀の精穀等に用いられ、戦前の生活にはなくてはならない重要な役割を担っていました。二.かつては山間の集落であればどこにでもありましたが、昭和23年のアイオン台風、24年のカザリン台風、この2つの大型台風のためにその殆どが流失してしまいました。流失前は、白鳥地区には個人所有のものが24基あったようです。その内訳は次のとおりです。石倉4基、小峠5基、馬飼沢2基、松倉2基、小祝9基、高田1基、西ノ沢1基。三.この「バッタリー」を戦後生れの人たち、そして現在の子供達に知っていただけるようにと、多くの方々の協力を得て復元したものです。この復元された「バッタリー」が末永く愛され先人達の知恵と生活を知る一助になれば幸いです。調査・文…田村喜代隆。平成16年5月吉日。建立…白鳥観音堂保存会。施工協力…㈱北岩手開発・㈲陳場工務店』※カザリン(カスリーン)台風は昭和22年、アイオン台風は昭和23年です。
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岩手県二戸市白鳥。県道24号線。本堂の背後のイチョウの巨木(幹周り3.52m)が目立ちます。
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山門。
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山門横から。
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4.5
山門をくぐります。
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5.5
曹洞宗清高山浄福寺。
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かつての白鳥村で寺院として曹洞宗浄福寺、神社として明神社が見えます。
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浄福寺は三戸郡名久井の白華山法光寺(南部家菩提寺)3世象室順香和尚を開山とします。
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永正年間の開創の古刹。本堂の16弁の菊花紋章には種々の伝説を残します。
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境内の石碑や石像が昔を伝えます。
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三界萬靈等。
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百万辺供養塔。
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改築記念碑…碑文『当浄福寺は昭和二十一年不慮の火災により全焼し本尊釈迦如来及び重要佛像等焼失され開山創立以来約五百年の歴史を誇る当寺も全く灰燼と歸したのであります同二十四年檀家あげての発願により二十五年春再建に着工し十月待望の完成に至りました当時は大東亜戰争終戰直後の物資欠乏の時代に相遭し建築資金難と資材の確保等にて檀家の皆さんには大変ご苦労をかけたのでありますこのように努力された先輩諸氏に対しましては心から敬意の誠を捧げております然し乍ら時代の進展と共に各位の経済力も徐々に向上して参りました今日檀家各位の意を尊重し委員一同微力を盡し先輩諸氏が築いて以來二十六年目にして本堂庫裡位牌堂等を改築に至らしめ本年三月着工し同七月無事落成致しましたこれ偏に檀信徒各位の佛法僧の三宝に歸依せし信心の表れと深く感謝申上げます私達委員はこの改築を有意義に記念すると共に益々信仰を篤くし宗門護持のため永く後世に傳ふべく銘記せし以所であります願くは山門の興隆と檀信徒各家の繁栄を祈念して碑文とします』
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遺芳観世音(昭和46年12月吉日・遺芳観世音建設委員会建立)。
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遺芳観世音前狛犬一対。
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遺芳観世音台座碑文(財団法人岩手県遺族連合會長内村一三謹書)…『此ノ遺芳観世音ニ祀ル英霊ハ遠クハ日清日露ノ両戰役又近クハ満州支那ノ両事変並ニ大東亜戰役ニ於テ大命ノ下ニ軍務ニ服シ極寒ノ大陸ニ又ハ炎熱ノ南方諸地域ニ於テ陸海空ノ各部隊ニ所属シ砲煙彈雨ノ下勇猛果敢忠烈無比ノ奮戰ヲ續ケテ祖國守護ノ大任ノ為ニ忠誠ヲ捧ゲ遂ニ散共病歿セル郷土出身將士ノ英霊ヲ祀ルベク明治改元百年ヲ記念シテ郷党ノ有志並ニ遺族ト共ニ相謀リ以テ其ノ遺芳ヲ萬世ニ傳フ可ク此處ニ遺芳観世音ヲ建立セシ所以亦是ナリ 顧レハ諸英霊ハ特ニ大東亜戰役ニ於テハ世界戰史上稀ニ見ル廣域ニ及ブ北瞑ノ孤島ニ或ハ波濤無限ノ南方諸島ノ大激戰ニ空ニ海ニ陸ニ戰史ヲ飾ル赤誠殉國ノ誠ヲ捧ケテ大和魂ノ真髄ヲ貫キ祖國ノ大義ニ徹セル其ノ精神ヲ永ク後世ニ傳ヘ以テ世界平和招來ニ資センコトヲ銘記スルニアリ 英霊來ツテ観音ノ精神ト共ニ祖國ノ為ニ守護アランコトヲ希フヤ切ナリ』
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浄福寺本堂を見つめる狛犬。
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白鳥観音堂鳥居向かいほどにあった巨木と祠。ちなみにすぐ近くには七滝大明神(七滝神社)白鳥観音堂があります。
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18.5
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岩手県二戸市福岡松ノ丸。
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浄土宗成田山安養寺。隣りに成田山福安講社本部(成田山護国殿)がありますが、どうやら繋がっているようで、2つの本堂がある感じです。入口は異なります。山号はいずれも成田山。
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今回紹介するのは成田山安養寺の方です。
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入口付近の石碑「南無阿弥陀佛(大僧正祐天)」…『このいしだんをたあがりの方はどなたもかならずナムアミダブツと一ぺんも多くた念佛をとなへてのぼりくだくださいともうすことは帰命無量壽覺と申すことでこの丗も後の丗もいのちにかぎりのない長い壽命の佛さまに親しむと云ふめでたい意味であります』
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昭和35年4月15日、石段寄進者木村啓一郎、為祖先追善。
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石段設置工事竣工記念碑(平成16年4月吉日・安養寺護持会)、五重塔、石仏等。
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7.5
本堂。
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天保3年の福岡通御代官所御郡分書上帳によりますと、五日町に浄土宗得生山安養寺と呑香稲荷社が見えます。山号が得生山になってますね。
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ちなみに県外なので由緒等は調べていません。パンフレットか何か貰ってくればよかったですね。『成田山福安講社』の記事も参照くださればある程度わかります。なお、二戸市に諏訪前遺跡(居館跡)に嘉暦碑(嘉暦3年の石塔婆・板碑)がありますが(現在二戸駅近くに嘉暦の碑保存施設があります。)、建っていた場所は寺久保と呼ばれ、九戸政実の戦の時に、九戸側に加担したため廃寺となった慈眼院の跡で、これが安養寺の前身と云われているそうです。
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本堂には「得生山」とありました。
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こちらの建物には「浄土宗吉水流安養寺講」「成田山福安講社本部」とありました。やはり繋がっています。
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境内。
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成田山開創・安養寺中興・正僧正順冏大和尚。順冏僧正についても『成田山福安講社』(十三重塔台座碑文)の記事を参照ください。
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地蔵堂。
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廃仏毀釈の絡みでしょうか…
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顔と体が合っていません。
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松の丸墓苑。
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一部古い墓石が並んでおり、歴史を感じます。
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1.5
岩手県二戸市福岡松ノ丸。
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成田山福安講社本部(成田山護国殿)。
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西國三十三ヶ所・四国八十八ヶ所新霊場。
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地蔵菩薩・成田山護国殿(紀元2600年奉祝記念)。横に水盤舎あり(写真なし)。
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5.5
『慈悲ふかき地藏菩薩の誓願は父母に孝養つくしてぞゑらる』
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隣りに浄土宗成田山安養寺がありますが、どうやら繋がっているようで2つの本堂がある感じです。入口は異なります。参道は五日町。現在の山号はいずれも成田山。
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今回紹介するのは成田山護国殿の方です。観光用パンフレットによりますと、日露戦争の折、成田山新勝寺より不動尊を分霊とありました。星祭祈祷会(旧暦1月1日-15日)の最後の日にどんど焼きが行われている他、秋の大祭(旧暦8月15日)ではその年に採れた農作物を奉納。
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狛犬一対。
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9.5
地蔵尊。
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個性際立つ山門。
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山門をくぐります。
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狛犬一対。
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13.5
十三重塔。
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十三重塔台座碑文に「開創頌文」…『成田山福安講社開創の髙木順冏僧正は慶応三年四月十五日島根県大田市鳥井町に於て出生幼くして父母を喪い仏門に入って諸国を修行中望まれて陸奥横浜村西福寺に養子となるも当時無住の貧寺なりし安養寺の再興を志し入寺せしが誤れる神国思想によって檀家の七割を神道に転宗させられ五十戸余りの檀家のため赤貧洗うが如く困難を極め養蚕を営み毎月三回托鉢を行ない時鐘を撞いては隣村まで薄謝を受けまた成田本山より御本尊分霊を特に勧請し祈祷に精励し衣食を節して草地畑地を買求めては境内を拡大し祈祷所護国殿を創建信者の増大を図り福安講社を設立し各地に支部を開設す戦後は困窮の中よりいち速く平和観音や水子供養のため大地蔵尊を建立し或は本堂の補修や庫裡等の改築を自費を以て常に行なう本山其の功を讃え中興開山号を授く 僧正は誠実清廉絶えず研究し努力を怠らず又安易に寄附を集むることなく生活を約しては工事をすすむ以って遂に安養寺の復興をなし東北随一の成田山霊場を建つ本山重ねて之を嘉し当地方初の僧正位を受く僧正は幼時の頭の重傷が因となり三十余才にして聴覚を失ない乍らも困難に堪え研究書を数夛く求め熟読旦は実践し終生修行の中に昭和三十四年十二月廿三日九十三才の天寿を完うす真に近世其の例を見ざる名僧と云うべきなり 然れどもこの僧正を助け安養寺の興隆に又今日の成田山発展に寄与された方々の芳名を永くここに刻して感謝の意を表し又其の霊に捧げると共に現存の協力者各位の氏名をも記載し其の労を謝し護国殿を改修し山門を新築し記念のため十三重塔を建立するものなり』
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本堂。
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山門に劣らず随所に個性が光ります。
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仁王像。
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18.5
扁額「成田山」。
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堂宇内扁額には「護國殿」。
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本堂案内板より…『御参拝いただき有難うございました。当山は成田山護国殿と申します(正式には福安講社)。千葉県成田市の成田大本山より不動尊の御分霊をいたゞき御本尊といたしおります。又当地方で最も古い八幡宮及び四国金毘羅宮も合祀いたしおります。山上の奥の院には中央に大日如来薬師如来を西国三十三観世音、子育大地蔵もおまつりいたしおり堂内には古銭の宝船や七福神又明治天皇の使用された羽織、硯箱、茶道具、成田本山大僧正の軸などございます。当山は代々寄附をいたたぬようにつとめております。何事でも御相談下さい。山主合掌』
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本堂前石灯篭一対(大正14年5月10日)。
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22.5
二宮尊徳像。
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御神木。
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謎の穴。石段も付いているのでかつて何かがあったのでしょう。
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黒澤治助翁頌徳碑…『黒澤治助翁は昭和二十七年六月七日決然金五百萬圓の巨資を提供し福岡町基本財産として山林育成の指定寄附を爲せり町當局は斯の竒特の精神を躰し速かに町議に付し満場採納之決定を行ひ直に地を岩手郡江刈村に壹百拾六町歩二戸郡爾薩体村に四町歩及び盛岡市淺岸に貳百四拾四町歩之購入を終り年次造林の計劃を樹立せり 翁は嚮に二戸郡金田一村に山林拾五町歩の學校林造成寄附と併せて福岡町は參百八拾餘町歩の山林を保有するに至り多年の宿望を達成し永遠に亘る町財政基礎確立の第一歩を印せり 翁時に年齢七十有四幼より勤勉商買に努め就中木材業に専念し春秋實に六十年刻苦厲精幾多の困難を克服し大成の域に達せり其の備蓄の財を私せず進んで町百年の大計の基を築く是が髙義を記念し茲に碑を建て以て後世に傳う 岩手縣知事國分謙吉撰並書・福岡町建立 昭和二十八年十一月』
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観音像、各大戦従軍戦死病歿英霊・福安講員並一般先亡各霊供養塔、日露両軍戦歿将罕・三界万霊六親眷族供養塔。
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27.4
27.8
台座。
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一畑地五畝歩・阿部九藏殿。
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この先(写真下)に進むと呑香稲荷神社の境内へと繋がっていました。
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西国三十三観音霊場への石段。
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石段の途中に不動明王をはじめ、色々な石仏・石塔がございました。
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32.1
32.2
32.3
32.4
32.5
32.6
成田山福安講社の屋根。
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安養寺松の丸墓苑方面。
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崩れている石仏。
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獅子頭もありました。
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「昭和三年十一月十日午前十二時 今上天皇御即位式紀年として植樹 昭和三十年天皇誕生日 奉納者宮野定助(当時78才)執事高木須冏(当時19才)」
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奥の院は広場になっており、周囲に三十三観音像。
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38.2
38.4
38.6
38.8
中央五重塔。
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向って左から薬師如来・大日如来・観世音菩薩(西國一番那智山)。
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各石仏前には石碑もあり御詠歌も刻まれています。
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南無大日如来「ひのめぐみ つみとがのゆきゝえはてゝ あまねくてらす みとやなるらん」
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南無薬師如来「めのくもり やがてはれゆく成田山 これぞ雲州 一畑やくし」
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南無観世音菩薩「ふだらくや きしうつなみは みくまのゝ なちのおやまに ひゝくたきつせ」
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