くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (階上町)

イメージ 1
茨島のトチノキ(ばらじまのとちのき)。青森県指定天然記念物。青森県内最大級のトチノキ。もっと離れないと全体像が写真におさまりませんね。
イメージ 2
幹周6.98m・樹高28.50m・被覆面積約1400㎡・推定樹齢850年。
イメージ 3
イメージ 4
枝を柱で支えています。
イメージ 5
イメージ 6
縦にも横にも圧巻の大きさです。
イメージ 7
そしてまだまだ伸びていきそうな樹勢を感じます。案内板の幹囲や樹高が修正されているのも頷けますね。
イメージ 8
イメージ 9
茨島家の祖先がこの地に初めて移住した際、無病息災を願って植えたとされています。
イメージ 10
稲荷大明神の御神木として地域の人々から信仰されてきました。
イメージ 11
イメージ 12
稲荷大明神。
イメージ 13
稲荷神社とトチノキ。
イメージ 14
読み取れない石碑。
イメージ 15
庚申塔。
イメージ 16
とちの木(青森県指定天然記念物)…『茨島の稲荷大明神脇に生い茂る推定樹齢約850年のとちの木は、樹勢良く、地元では「茨島のとちの木」として親しまれ、昭和30年1月7日に青森県天然記念物の指定を受けている。(青森県指定のとちの木は茨島のとちの木が唯一である。)伝承によると、茨島家の祖先がこの地に初めて移住した時、宅地の西北の隅にあった大木(銀杏であったと伝えられている)が枯死してから当家に病人が絶えなかった。この事について祈祷師(占い師)に尋ねたところ、「この大木の代わりに実の成る木を植えなさい」と勧められ、上方(京都かと伝えられている)から一粒のとちの実を手に入れて宅地内にまいたところ、芽が出てすくすくと育ち、以来病気になる家族もなくなったと語り継がれてきたという。800年以上の年月を経た古木であることから、いろいろな話が残されているが、昔は狐や狸が木登りをして遊んでいた事もあったという。夏には白い花を咲かせ、秋には枝もたわわに実をつけるこのとちの木は、五穀豊穣を司る稲荷大明神の御神木として地域の人々から信仰され、愛されてきた。【所在地】階上町大字赤保内字茨島【幹囲】6.98メートル【樹高】28.50メートル【推定樹齢】約850年【被覆面積】約1400平方メートル【文責】正部家奨。平成21年3月階上町・階上町教育委員会』
イメージ 17
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 4
三戸郡階上町道仏荒谷。荒谷集落の高台に鎮座。大蛇海岸が見渡せる絶景地。
イメージ 5
石灯籠二対(天保8年8月吉日・天保5年)。
イメージ 6
イメージ 7
イメージ 8
由緒等はわかりませんが紀年銘等から歴史を感じます。
イメージ 9
イメージ 10
境内の石。
イメージ 11
社殿。
イメージ 1
社殿向拝神額。
イメージ 2
社殿内。内陣と外陣との境に重軽石を祀っています。この石を撫でて願いを込めて持ち上げ、軽く持ち上がれば願いは叶い、重く感じられると願いは叶わずと云われています。
イメージ 3
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 16
三戸郡階上町角柄折大日。住所に大日が付くからわかりやすいと思いきや、非常にわかりにくい場所にありました。写真(上・下)の場所から歩いて山へと入る感じですが、案内看板がありません。
イメージ 17
ここが入口です。
イメージ 18
この先に本当にあるのか不安になるくらいの道を進みます。
イメージ 19
横には川が流れており、大日堂前まで続いています。
イメージ 20
イメージ 21
大日堂正面鳥居。
イメージ 22
周囲は巨木に囲まれております。
イメージ 23
石段。
イメージ 24
大日堂。由緒等については調べておりませんが、地域名にもなっていることから歴史の深さを感じます。
イメージ 1
イメージ 2
堂宇。
イメージ 3
イメージ 4
大日堂のブナ。
イメージ 5
イメージ 6
神社前の露出している岩。
イメージ 7
狛犬一対(昭和13年旧6月)。
イメージ 8
イメージ 9
出羽三山碑(明治24年旧6月7日)。
イメージ 10
堂宇正面扁額。
イメージ 11
堂宇内。
イメージ 12
中央に小祠。
イメージ 13
向かって左には大日靈貴命の神額や絵馬などが見えます。
イメージ 14
向かって右にも小祠らしきものが見えますが暗くてよくわかりません。
イメージ 15
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 2
三戸郡階上町角柄折蕨。かつての角柄折村。地内の北東付近には往年ほろどの沼があり、伝説では大蛇が住んで村民をおびやかしたため討ちとられたといいます。大蛇は当地で角を折られ、耳ヶ吠で耳を切り落とされ、道仏で胴を切られたと伝え、大蛇を追って追って追い越したところが追越、胴の落ちていたところが大蛇という地名になったといいます。また、沼の主はサケであったともいい、討ちとられると沼の水は赤く染まり、7筋に分かれて川となったり、海や近くの川に流れこんだといいます。
イメージ 3
地蔵菩薩等。
イメージ 4
天明(4年4月1日)飢饉供養の塔。「天明飢饉 圓光禅定門 惣百姓無縁 塔」「献句 菩提寺に飢饉の墓碑や栗の花 幻人」(平成19年8月24日建立)
イメージ 5
石灯籠。
イメージ 6
仁王門。
イメージ 7
仁王像。
イメージ 8
イメージ 9
南無釋迦牟尼佛(當寺再興50周年本堂銅板葺替庫裡廣間改築記念・維持平成12年4月8日)。
イメージ 10
南無地蔵大菩薩(法興院浄信豊道禅居士為俗名豊藏17回忌・平成15年12月19日)。
イメージ 11
イメージ 12
曹洞宗海潮山応物寺。
イメージ 1
神亀元年(724)に行基が寺下に應物寺(寺下観音)を創建。
イメージ 13
明治の神仏分離令により寺下観音潮山神社に分けられました。昭和29年再興。
イメージ 14
境内では国指定重要無形民俗文化財となっている鳥屋部えんぶり組の奉納えんぶりが行われます。
イメージ 15
唐破風懸魚。
イメージ 16
蟇股・木鼻等。
イメージ 17
イメージ 18
イメージ 19
手鋏と虹梁がかっこいいです。
イメージ 20
イメージ 21
手水石「杓底一残水汲流千億人」。
イメージ 22
寺務所。
イメージ 23
六地蔵。
イメージ 24
鐘楼。
イメージ 25
十三重塔。
イメージ 26
「迎火や祈る童女のほゝ照らす」(初代護持会長百谷庵古雪)。
イメージ 27
赤松。
イメージ 28
花月塔。「新緑や文化遺跡の一里塚」
イメージ 29
『正六位勲五等 正部家 誠 行年76才 法名正誠院百星寶臺居士 明治29年5月27日階上村に出生大正6年3月青森師範学校を卒業爾来教育界に籍を置くこと36年昭和28年3月八戸小学校長を最後に教職を去る。その後は専ら社会教育活動に尽瘁し郷土階上村出身の八戸在住者をもって臥牛会を結成し推されて会長となり会の育成強化に努めまた昭和33年百働会八戸支部を創設しその支部長となり昭和47年7月6日故人となるまで高令者の杖となり老人福祉向上のために働くことに誇りをもち且つ喜びともされました他面若い頃より俳句を嗜み吉光と号し名門花月堂十世を継ぐに至った。一周忌にあたりその生前を偲び供養のためこれを建てる。 昭和48年7月6日』
イメージ 30
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 6
三戸郡階上町道仏程熊。かつては道路沿いに一之鳥居があったのですが、現在(2018年)は撤去されており、しかも二之鳥居も色がないので周囲の景色に溶け込んでおり、場所はかなりわかりにくいと思います。1枚目の写真に写っているのが現在の一之鳥居(旧二之鳥居)になります。
イメージ 7
参道。
イメージ 8
手水舎なのか井戸なのか湧き水なのか…
イメージ 9
いずれにせよ、水が溢れているので足元にはご注意ください。
イメージ 10
参道鳥居・石段。
イメージ 11
イメージ 12
拝殿前狐一対。
イメージ 13
イメージ 14
イメージ 15
拝殿向拝。御祭神は倉稲魂命。由緒等は調べておりません。
イメージ 16
拝殿内。棟札には昭和27年旧4月2日の紀年銘が見えます。
イメージ 17
神社横の巨木。
イメージ 4
イメージ 5
結構な大きさですが特に案内板・説明等はありません。
イメージ 3
巨木の根元には手水石と石祠がありました。
イメージ 2
御神木前から見た社殿。
イメージ 1
イメージ 3
イメージ 2

↑このページのトップヘ