くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (南部町)

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達者村百景。眺めることにより心が癒され、達者(健康)になれるような南部町内の優れた景観ポイント100箇所を「達者村百景」として選定しているようです。
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狛犬一対。
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石灯籠一対。
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御祭神は土祖神。
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狛犬一対(昭和19年)。
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石灯籠一対。
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御神馬一対。
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かつての平村で、枝村の若宮村には若宮八幡(若宮八幡宮は宝暦5年「常林寺門間数改書上帳」に「堂四尺四方、享徳3年建立、施主岩間□□□東□儀兵衛、別当見正坊」と見え、「国誌」には応安7年12月の勧請とあり、仁王像があります。)があり、枝村宗前村には馬神を祀る宗前(蒼前)神社がありました。
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この若宮堂と蒼前神社を合併して今日の神社に整えられ、昭和5年には現在地に新しく社殿を建てています。なお、上記のとおり、若宮堂は享徳3年(1454)に東氏二代目の信政が祀ったものと伝えられています。宝永7年(1710)「八戸藩勘定所日記」に、下名久井若宮堂とあり、堂を建てるときには藩から必要な用木などがつかわされました。
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拝殿蟇股。
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木鼻。
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手鋏・海老虹梁。
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拝殿内。
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拝殿前の手水石。
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平神社の沿革…『一、若宮八幡宮:応安7年12月28日(1374年)。三戸郡名川町大字平字若宮前55。祭神を土祖神として創建。二、蒼前神社:天正2年正月19日(1574)。三戸郡名川町大字平字相前。馬護神として創建。祭神保食大神(豊受姫命)。三、平神社:昭和4年10月15日着手。昭和5年4月5日完成(1930)。三戸郡名川町大字平字若宮前一番地。平尋常高等小学校跡地。寄付を受け若宮八幡宮と蒼前神社が合併移転。村社平神社と改称。平成7年8月18日(1995)平神社責任者佐藤政八。』
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幣殿・本殿。千木外削ぎ、鰹木4。
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平神社鳥居新築・境内土留工事記念碑。
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記念碑には剣や狐。
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そして両側には馬。
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神楽殿。
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石塔群。
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石塔群前に石灯籠一対(天保4年7月19日)。状態は良くありません。
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石塔は金毘羅大権現、有縁無縁三界万霊塔、南無阿弥陀佛百万遍供養等(平村念佛講中)、百万遍供養塔、三界万霊等、庚申塔、山ノ神、庚申塔など。
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一部読み取れない石碑もありました。
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凱旋紀念碑。明治37・38年、日露戦争。
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御神木のイチョウ。
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仁王様鞘堂(平成11年8月19日)。
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狛犬一対(弘化2年7月16日)。
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どちらも阿形に見えますね。
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背中に綺麗な穴があいていました。
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石工。
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石燈籠一対(天保15年3月11日)。
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仁王様一対(文政6年4月吉日)。
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なかなか個性的でございます。
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片方は紙だらけ。
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参詣者が自身の体の悪い箇所を紙で撫でて、その紙を濡らした後、仁王様の同じ部位をめがけて投げつけ、紙が当たるとその箇所が良くなるという風習が昔からあり、現在も一部の地域に残っています。
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なお、この仁王様の作者は不詳のようです。
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南部町大向経ケ森。三戸駅からも比較的近い場所。入口は2ヶ所ありますが、いずれの入口にも案内板や鳥居が無いのでわかりにくいです(厳密にいえば本殿裏手からも行けるようになっていたので3ヶ所)。
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道路からはこのような感じで神社と鎮守の森が見えているので、何となくわかるとは思いますが。
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思っていたより境内が広いですね。
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向大神宮。
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正面石段。
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石段の脇にあるこの松が何か凄いです。
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三頭木ではなく、3本の松がそれぞれ根っこで繋がっている感じ。
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石段の下から見るとこんな感じ。
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こちらもある意味似たような感じですね。
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向大神宮社殿。
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向拝神額「大神宮」。
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社殿内。
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向大神宮経ヶ森由緒…『向大神宮には、古来から「小田子様」と称せられる「火の神」を奉齋していたと伝えられる。その後、安政元年、極檀忠太翁が仲間(名不詳)を集めて、本殿の部分を建立した。初代別当は、工藤與五七(弘化元年2月10日生、1844年)なるものが仕え、明治4年、與五七が27才の時、伊勢の皇太神宮を参詣、そのおりに神明様(祭神天照大神)を御分霊拝受して経ヶ森の向大神宮お奉齋したと伝えられている。明治の時代に、大洪水に見舞われ経ヶ森の下までの増水となった。この時、別当與五七が一心不乱に経文を唱えると、溢水していた水も次第に少くなり危うく一難を免れたという。この様に経文を唱えた御利益から、この地を「経ヶ森」と称するに至ったとの説がある。現在本殿に祀られている御神体…天照皇大神御分霊・愛宕大権現御分霊・小田子様。経ヶ森境内には主尊…不明、石造、寛政11年己未7月吉日。稲荷社…木造。阿保原地蔵尊…虫歯の神様。金毘羅…十和田、石造、安政4年丁巳7月。明神様。』
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本殿覆屋・火の見櫓。
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御神木の松。こちらの松も独特な形。
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末社の稲荷社。
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稲荷社内。
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棟札には「新築経ヶ森稲荷神社覆堂壱宇・平成2年11月3日」とありました。
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これまた独特な形の松。
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阿保原地蔵尊。
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下部に「刈田郡」と彫られています。
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象頭山金毘羅大権現・十和田山青龍大権現。
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安政4年丁巳7月。
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明神様。数字が見えるも紀年銘はわからず。下部分が欠損していると思われます。
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主尊。寛政11年己未7月吉日。
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招魂之碑(明治44年9月・帝國在郷軍人會向村分會建立)。
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招魂之碑修復寄進者御芳名(平成4年7月23日竣工)。
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眺望。
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社号標(昭和23年春祭・奉納岩舘春次郎)・玉垣(御鎮座1100年祭記念・奉祈皇國之独立隆昌・昭和28年9月5日奉納)。
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北海道神社参拝詩碑(昭和52年8月23日・北海道神社参拝団)。
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大きな井戸。
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って井戸なのか池なのかはわかりませんが。
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御神水とあります。
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その横にある小祠。
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蛇(竜神)が祀られています。
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腰掛石2基。町指定文化財(昭和55年3月26日)。聖寿寺館(本三戸城)に放火した赤沼備中と、それを追いかけた下斗米昌家がこの場所で戦い、勝敗がつかないまま互いに疲れ果て、腰を下ろして休んだと伝えます。元は諏訪神社の後方、国道(旧八戸街道)を挟んで北側に赤沼石があり、南側に下斗米石があったといわれていますが、いつの頃かここに移されました。二つ並んでおり、大きい方が赤沼石で、小さい方が下斗米石といわれています。
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腰かけの石…『赤沼備中守と下斗米覚左衛門とが合闘したが勝負がつかないので、道端の石に腰をかけてひと休みしてから馬淵川のまん中で決闘した。その時腰をかけた石だと云われている。』
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参道石段。
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石段上にも社号標。
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石段上からの一之鳥居。
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石灯籠一対(文久3年7月27日)。
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諏訪神社は三戸郡南部町玉掛諏訪ノ平に鎮座。諏訪ノ平駅の近くです。
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御祭神は建御名方富命、八坂刃賣命。祭日は9月5日。御利益は国土開拓、武運長久、農業守護。
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南部藩主光行公が甲州から入国に際し、新領開発・藩中安全の守護神として、建久3年(1192)7月27日に諏訪平に創建(もしくは同年長野県の諏訪大社から分霊し、2代の実光が承久3年(1221)に現在の同町諏訪ノ平に祀ったと伝わります。)。以来累代の藩主に篤信されたと伝えます。当地方著名の神社として多くの人々に崇敬され、明治23年4月5日郷社に列せられます。大正12年2月3日幣帛供進神社として指定。神事の供え物は特徴的で、「特別神饌」と呼ばれ、宮司が伝統に則り赤飯や甘酒、焼き魚などを作って供えます。宝永7年(1710)の火災により貴重な史料が失われたものの、特別神饌を盛岡城に届けたとの記録や、その際に用いた木製黒漆塗りのお神酒入れが現在も残ります。また、明治に入って近くの寺が廃止され、その際に檀家を引き受けており、この地域の葬儀で神葬祭が多いのはその名残だと云います。宮司が女性というのも珍しい神社です。
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拝殿内。
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本殿覆屋。
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拝殿前の手水石(明和5年7月21日)。
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「梶」の親木。
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梶の木は神道では神聖な樹木の一つであり、諏訪神社などの神紋や日本の家紋である梶紋の紋様としても描かれています。由来を読んだところ、こちらの木は「梶」と名付けられた木の親木とのことです。
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梶の由来…『雨が降っても われもしないで 腐りもしない 文吾とも 大助とも違う 不思議なことだ 実は とても美しい そしてとても甘い そして実がうむとわれ易いので シソの葉に巻いて梅干にするには一番良い 実が甘いので梅酒には最上である と 諏訪平の佐々木要一郎さんが四十年の間一生懸命に研究しました そして 梅の実に 細かい毛のようなものが沢山生えているのが分かりました これは不思議な梅だ この梅は諏訪様の宅にある三百年も経っている古木の孫木だから御神木であろうというので佐々木さんが 私に この不思議な梅に名前をつけてくれとのことになりました 私は諏訪の大神さまにお願いして諏訪様の御神紋である梶の葉をいただいて梶 という名前をつけることにしました 佐々木さんがとても喜びまして昭和四十九年十一月六日に 諏訪様の御本社である 長野県の諏訪大社に私といっしょに 御礼参りに行ってまいしりました そして この梶の梅のことを 皆さんにお知らせして 諏訪さまの御神徳をお伝いし この梶を地方の名産として普及したいものだと 熱心に働いています このたび 私は 梶の親木である枯木を 私の宅から 神前に移し 梶の由来を記して梶の親木が腐らないように屋根をかけ 記念の碑を造り 末永く御神徳を仰ぎ 梶の実のお陰をいただく人が多くなりますようにと佐々木さんにおたのみして 親木の移転と記念碑を造っていただいた次第であります 昭和51年9月5日第31代諏訪神社宮司石井昌胤 歌詞 諏訪平 佐々木要一郎』
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境内社。
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夫婦稲荷神社です。
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立派な社殿です。
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社殿前には大小二対の狐がいます。
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こちらは諏訪稲荷社。
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本殿横に鎮座。
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裏参道。
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裏参道入口の鳥居。
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社号標。
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「南部藩主祈祷社」。
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狛犬一対(昭和10年11月26日)。
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手水舎(昭和18年9月5日奉納・栗生春次郎)。
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御神木。
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こちらはかつての鳥居でしょうか。よくわかりませんが。紀年銘は昭和17年11月です。
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忠魂碑・招魂碑・祖霊社。
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神楽殿。
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社務所。
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