くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (三戸町)

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青森県三戸郡三戸町斗内下高間舘。近くには野中・角沢部落。
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足元は栗だらけでした。
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鳥居。栗三昧。
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石灯篭一対(昭和8年3月)。
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社殿前に赤い馬がおります。
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真っ赤な馬。
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体には文字が刻まれていましたがよく見えませんでした。
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向拝神額。
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社殿内。結構歴史がありそうです。
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但し由緒等については調べておりません。
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境内石祠。こちらも馬頭観世音でしょう。
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青森県三戸郡三戸町斗内。夏焼・大舌部落。
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石段は最初だけ。
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途中にあった観音様。
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ここからの坂道が意外にきつかったです。第四コーナーを回った後のダートの坂道といった感じです。
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石段のありがたみがわかります。
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一応手摺りはあります。
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参道を振り返るの図。
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当春日神社の由緒等については調べておりません。
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拝殿に行くには更に石段を上ります。
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石灯篭一対(大正9年旧8月15日)。
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社殿。
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蟇股。
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拝殿神額。
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拝殿内。正面神額には「春日大神宮」とあり鰐口も見えます。
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幟。旧8月15日が例祭日のようです。
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その他。大舌部落等の文字が見えます。
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本殿覆屋。
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境内社。
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白竜大神。「奥宮巖魂神社」の御札も見えます。
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境内社。
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向って左。
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蒼前駒形神社。
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中央。
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稲荷社かな。棟札見えず。
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向って右。
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馬頭観世音。日東山光明寺(唯宣院日示上人・南無鬼子母尊神御宝前・秘妙五段祈祷法)の御札も見えます。
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青森県三戸郡三戸町斗内武士沢。
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写真は道路を挟んで法呂神社の向かいに鎮座する八幡神社です。
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こちらが法呂神社。
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入口付近に石塔が並べられています。手前の板には元々説明書きがあったのかも知れませんが、読み取れませんでした。
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十和田山(嘉永)。
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庚申・廿三夜塔。
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金毘羅山。
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不明。
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法呂神社鳥居。
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社殿。
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当法呂神社の由緒等については調べておりません。
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社殿内。正面には鏡、脇には獅子頭などが見えます。稲荷大神と八幡大神も合祀されているようです。歴史は古そうです。
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手水舎。
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境内社。
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棟札は見ておりませんが稲荷大明神のようです。
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遊具。あの的には石でも投げるのかな。
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三戸町梅内雷平。余談になりますが、雷平稲荷神社や当子安神社の通りを更に先へと進めば長沼という地域があります。この地域に伝わる伝説として「青森の伝説(森山泰太郎・北彰介)」には次のように紹介されています。『梅内に里屋敷といって、昔、長者百姓が住んでいたという。あるとき麻布を庭いっぱいに干しておいて、下女のまん子がひとりで留守をしていたが、夕方になって長者が帰ってみると、布が一反たりなかった。盗んだ疑いをかけられたまん子は、とうとう沼に身を投げて死んだ。ところがあくる日になって、長者が飼っていた雄牛が布を吐き出し、そのまま近くの長沼に走りこんでしまった。さて、そのことがあってから、村の夜泣坂の柳の下に、夜な夜な女の幽霊が現われ、そこを通る女たちの頭にかぶる手ぬぐいを奪うのであった。これはきっとまん子の怨念であろうと、村人たちが相談してまん子沼とよんでいる沼のほとりにお堂を建て、くしやかんざしなどを供えて供養した。それっきり夜泣坂の幽霊は現われなくなったという。』
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さて、子安神社の由緒についてはわかりませんでした。
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子安神社なので、安産・子育ての神が祀られているものかと思います。御祭神は木花開耶姫命でしょう。
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三戸町の元遊郭から近いことも興味深いです。すぐ近くには雷平稲荷神社も鎮座しております。
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拝殿内。
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神額。
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上の写真のように上って行きます。
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青森県三戸郡三戸町斗内野月。
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田んぼ迂回。
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正面。参道というよりも畦道。
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鳥居。
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社殿。
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三戸町出身の横綱鏡里(鏡里喜代治・第42代横綱)縁の神社です。
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社殿内。
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綺麗にされています。
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横綱昇進時の写真(昭和29年旧7月10日)。ファンにはたまらない神社です。
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祝落成贈、立田川部屋。
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本殿横の小祠。
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金精様っぽいですね。
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こちらは聖観音の写真です。
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古そうな写真ですがどこかの聖観音像でしょうね。
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境内の石碑。読み取れず。
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境内社。
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春日大神です。
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神社の近くに横綱鏡里水垢離の井戸があります。冒頭の神社入口の坂から左手に見えます。
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ここです。なお、鏡里の生家は井戸の反対側にあります。
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以下、井戸脇の碑文・台座碑文。
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『為三戸町名誉町民 横綱鏡里水垢離の井戸 三戸町長杉澤四郎謹書』
『鏡里は戦時中の幕下時代に、再起不能と言われたほど膝を怪我してしまった。その後、痛めた膝をかかえ兵役に就いた。終戦を迎え「スモウデキルスグカエレ」と双葉山から電報を受け時津風部屋へ戻るが、膝の悪化と体力の衰えで相撲のとれる状態ではなかった。そこで故郷に帰り、昭和21年の元旦より大関昇進の願をかけ白龍神社にて、夜明け前の厳寒の中で水垢離を1週間勤めた。そして鏡里が部屋へ帰った後も、母は参拝を欠かさなかった。それ以後は順調に回復し相撲に励み、最高位の横綱にまで昇り詰めることができた。』
『白龍神社と横綱鏡里。大正12年4月三戸町字野月に生まれる。昭和15年10月粂川部屋入門。同16年1月初土俵。同5月粂川部屋と双葉山道場が合併し時津風部屋となる。同17年1月序二段優勝。同18年1月三段目優勝。同19年9月弘前六十九部隊に入隊。同20年12月終戦後、時津風部屋に帰る。同21年1月白龍神社にて大関昇進の願をかけ水垢離。同26年1月大関昇進。同7月白龍神社を再興。同28年1月横綱昇進。同33年1月引退。同58年5月還暦にあたり白龍神社を再新築。殊勲賞1回・敢闘賞1回・幕内優勝4回』
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