くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (横浜町)

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国道279号線沿い(はまなすライン)に鎮座していますが、私が訪れた時には以前あった一の鳥居が無くなっていて場所がわかりにくかったです。
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手水石。
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石灯篭一対のうちの1基を修理真っ最中でした。
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狛犬一対。
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由緒等は調べていません。延宝4年の八幡神社別当大光院霞小村附によりますと、横浜・吹越・百目木・牛ノ沢・桧木・大豆田・鶏沢・有畑の8ヶ村があり、延享5年に濱田が加わって以降、横浜9ヶ村と呼ばれました。村民は製塩を行い、桧材・いりこの商品化により上方地方の商人と交易を行うものもあり、横浜湊は重要な湊でした。
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鶏沢の神楽は有名で、明治15年の八幡宮神輿行列帳に「鶏沢神楽若者連」として参加したことが記されています。
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海老虹梁・手挟。
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唐破風懸魚。
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蟇股。
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木鼻。
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脇障子。いずれも素晴らしい造りでした。
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社殿裏手に回ると壁にこのような穴があいていました。憶測ですが狐穴的な意味合いがあるのかも知れません。
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末社。
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神社前は菜の花。
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法量とは南部方面では法領・法霊のことで、おかみ神です。おかみの音は「リョウ」であり同じで、津軽では宝竜の字をあてます。おかみ神は水や雨を司る神。
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巨木に囲まれています。
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社殿。由緒等は調べていません。邦内郷村志によりますと既に八幡社と共に法量権現の名が見えます。
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社殿内。祠が2つあります。
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正面神額の横には、大きな切株に「大川目高倉神社」(昭和5年旧7月15日)と書かれているものが掲げられていました。
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国道279号線沿い(はまなすライン)に、「濱田神社参道入口」「濱田生活改善センター入口」という案内看板がありますが、どうやらこの2つの案内板の場所に、以前は一の鳥居あったようです。諸事情により昭和45年に撤去。
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参道を暫く歩いて行くと濱田神社に着きます。
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鳥居。
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社号標。
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手水舎。
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「海上安全」とあります。紀年銘は明治24年6月15日・7月27日。
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不明の石。
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社標建設由来記(濱田青年分團)…『皇紀二千六百年世界ノ情勢変轉ヲ極ム■難ニ皇威四海ニ遍ネシ東亜ノ盟主ヲ以■ニ宇内ニ君監ス生ヲ此ノ聖代ニ堂タル者誰カニ載一遇ノ光栄ニ感激シ皇室ノ彌栄ヲ祈リ盡忠報國ノ誠ヲ竭ササランヤ然レバ即チ 私奉公相互扶助シテ以テ郷土ノ繁栄ヲ図ルハ國家ニ寄與スルノ根幹ニシテ吾等■項ノ本願タリ茲ニ青年團同志相計リテ當村ヲ距ル約二里北川台國有材地内ヨリ碑材ヲ索メ之ヲ神域ニ建■ルハ一ハ以テ此ノ光輝アル年ヲ記念シ一ハ以テ之ヲシテ興國ヘノ新タナル發足ノ礎石タラン■■■スルナリ時ハ正ニ昭和庚辰正月十一日■寒ヲ凌ギ積雪ヲ犯シ村民相協力シテ新調ノ大橇ヲ以テ之ヲ搬出ス作業困苦テ續タルコト五日延人員二百五十八名ヲ要シテ遂ニ境内ニ搬入スルヲ得タリ■リテ之ニ建立ノ趣旨ヲ明カニシ後世ノ人士ニ告タト爾々伝フ』(※自信ありません)
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濱田神社の由緒等は調べていません。
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社殿。
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鬼瓦・懸魚。
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蟇股。波兎(竹生島文様)。
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木鼻。
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脇障子。
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社殿内。
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本殿。
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本殿の蟇股…これは…
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司馬温公の瓶割の図でした!
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