くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (横浜町)

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八幡神社(横浜町)』からの続き…
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祭日は8月15日。御祭神は誉田別尊、伊邪那岐命。天喜年中(1053)、源義家公が安倍貞任・宗任並びに嶋の夷征伐の為下向。田名部浦安渡村(大湊)より船で御帰陣の折、風波荒く、御船既に危うき折柄、公自ら波の上に、弓末にて八幡宮と書き祈念されると神霊影向されて、逆風忽ち鎮まり、水上に現然と「八幡宮」の文字淡に現われ、其の淡凝りて軽石となり桧木浜辺に流れ寄りました。義家公同村近くに安着。この所を今に源氏ヶ浦と称し、今は船溜りとなっています。依って公は治暦年中(1065-1068)御帰陣の時此の地に八幡宮を勧請申上ぐべく、家来の佐々木権守良光・良次の兄弟に命じて残され、横浜村に居残った兄弟は承暦元年(1077)正月3日八幡神勧請、6月19日遷宮、8月15日初めての祭典を執り行ったと伝えます。因に横浜町の大関氏は兄良光の、小関氏は弟良次の裔と伝え、寛永棟札では共に58代を記しています。
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向拝下神額。
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蟇股・木鼻。
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手挟、海老虹梁。
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社殿内。
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寛永18年以降棟札13枚、下北能舞面18面、高橋竹年画海龍図格天井、浅枝青田画源氏ヶ崎荒波図欄間あり。
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左大臣。
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右大臣。
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扁額「北辺之鎮」。
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伊勢神宮奉賛会会長佐藤尚武奉納。
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格天井「海竜之図」高橋竹年画。
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橋脇昌三奉納。
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浅枝青田画源氏ヶ崎荒波図欄間。
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五月人形一式(平成28年水無月6日奉納)。
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幣殿。
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本殿。
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本殿の蟇股・木鼻。
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稲荷社。
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狐一対(平成7年3月吉日)。
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横浜町八幡宮には稲荷神(寛文8年草創・由緒不明・明治5年8月焼失、明治6年遷宮)・館林稲荷神(延宝4年草創・由緒不明・明治5年8月焼失、明治6年遷宮)が合祀されているようです。
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本殿を囲むように遊歩道があります。
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大柏(平成12年・目通周囲3.4米)。
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とちのき。
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旧社殿跡。
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案内板は読み取れず。
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石碑には「舊御社殿跡」とあります。
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裏面碑文…『當社ハ往古ヨリ此ノ処ニ南面シテ社殿ヲ構ヘ奉齋シ來シタ。然ルニ汐ヲ含ム強イ西風ニ境内林ノ枯損甚シク其他ノ状況ヲモ慮リ前宮司(別當鈴木家十六代岩美)ハ全氏子ノ篤志ヲ仰ギ現在地ニ本殿及中門ト玉垣ヲ新設シテ移転改築、昭和丗九年九月竣工ヲ見タモノデアル。今二十年ヲトシ筆頭責任役員大関隆吉ト共ニ此ノ碑ヲ建テテ神社旧跡トシテ残スモノ也。昭和五十九年八月十五日八幡神社宮司鈴木法道謹記』
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境内案内板より…『【御祭神】主祭神-八幡大神(誉田別命)、相殿神-熊野大神(伊邪那岐命)、境内社-稲荷大神(倉稲魂神)。【鎮座】:横浜町字茅平一番地(30,000坪)。承暦元年(西暦1077年)正月3日勧請、その6月19日遷宮、旧8月15日初めて祭典執行、平成19年930年となる(明暦元和縁起書による)。【八幡神社縁起】西暦1053年、源義家公遠征のむつ市大湊より海路御帰陣の折、シケに逢い公自ら弓末にて守護神の八幡大神に祈願したところ忽ち波穏かとなり、今の源氏ヶ崎港に安着し、この森に宿営する。一命を救われた感謝を以てこの地に八幡神社勧請を命ずる。【熊野神社縁起】仏法宣布の途路、慈覚大師(恐山開祖)出戸村(六ヶ所村出戸)に立寄りし折、枕辺に御託宣あり、よって棚沢山の梧桐の神木を以て2頭の獅子頭を刻み熊野権現を勧請。この神自ら横浜村に飛下らせ給う。現神主の鈴木家初代玄俗院義叶に霊夢がありてこの神の社堂を建立して祀る。時に天文元年(1532年)の事なり。明治5年ここに合祀。』
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境内案内図。
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檜木八幡神社海浜殖生自然林(町指定天然記念物)…『西風荒ぶこの海浜境内地の広葉樹林はその成長が神の加護によるものと考えられ、極めて貴重なものとして保護尊重されてきた。樹令500年前後と考えられるヒバ・柏・イタヤ楓・山桜・ブナ・ケヤキ・栃・大葉・ボダイジュ・もみじ・ハリギリ・杉・ハンの木・センの木は特に貴重なものと考えられている。八幡神社は天喜5年(1057)佐々木兄弟によって勧請されたと所伝される。昭和60年3月20日横浜町』
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桧木八幡神社の向かいに檜屋という蕎麦屋がありました。
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もちろん食べます。
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写真は横浜そば。
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お値段は840円とお手頃です。
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青森県上北郡横浜町茅平。
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檜木(桧木)八幡神社。
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軽石八幡神社とも称します。『青森の伝説』(森山泰太郎・北彰介)によりますと、「泊部落から、半島の頸部を横断して、西の陸奥湾へ出たところが、上北郡横浜町である。木材の積み出しと漁業の盛んな町であった。ここの軽石八幡に、次のようないわれがある。源義家が安倍一族を滅ぼして、安渡の湊(むつ市大湊)から帰陣しようとしたとき、風波が荒く船が危うくなった。そこで義家は神々に祈り、みずから弓矢で荒波の上に八幡の二字を書くと、不思議にも浪は静かになった。その二字はいつまでも消えず、固まって軽石になり、檜木の浜辺に流れついた。義家の船もその付近に漂着したので、そこを源氏の浜とよんだという。この軽石をご神体にして、義家が創建した八幡宮がこれであるという。また、義家が顔を洗った手水沢というところもある。」
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鯉のぼりがいい感じ。
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境内にはこのように木彫りのフクロウがいくつかありました。
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社号標(村社八幡神社・皇紀2600年9月15日奉献・横濱村出稼者保護組合)。
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灯籠一対(戌申會奉納)。
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狛犬一対(昭和58年8月15日)。
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鳥居。
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52歳厄祓記念碑(昭和60年8月15日・「吾等はここに52年の齢を重ねたかくある神恩に深く感謝し向後の只管生きる人生への御加護を乞願って赤沼の灯を献すべくこの灯籠を建立する」)。
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参道石灯篭。
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社務所・参集殿。
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御神輿・祭具庫。
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自然に囲まれて気持ちのいい参道。
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献燈。
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すぎ。
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いたやかえで。
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三頭木。
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鳥居。
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手水舎。
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いい雰囲気の神社ですね。
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またまた鯉のぼり!
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石灯篭二対(明治27年・昭和9年9月15日)。
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狛犬一対。
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由緒等は不明です(調べていません)。
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御神木の巨木に挟まれて、昔よりこの地に鎮座していたことが伺えます。
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狐一対。
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向拝下神額。
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社殿内には本殿が2つと伊勢二見浦の夫婦岩の大きな絵画が見えました。
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石塔などがいくつかありましたが、何なのかは読み取れず。
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