くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (千葉県)

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光明堂。元禄14年(1701)建立。旧本堂。
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中央に大日如来、左右に不動明王、愛染明王が奉安されています。総高15m。江戸時代中期における彩色の貴重な建物。縁結び祈祷所。星まつり御札受所。
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光明堂(重要文化財)…『元禄14年(1701)に建立された旧本堂で、寛保2年(1742)と明和5年(1768)の改修を経て、安政年間新本堂(現釈迦堂)の建立にあたり、本堂の後方に移築、さらに昭和39年大本堂建立のとき現在地へ移されました。本尊には真言密教の教主である大日如来が安置されています。建物は桁行5間(約9メートル)梁間5間で、屋根は入母屋造桟瓦葺です。組物は三手先を詰組とし、軒は二軒の繁垂木としています。安政年間の移築の際に回り縁と外陣部の床を撤去して吹放しの土間とし、珍らしい形になっています。また彫刻装飾(島村円徹の作)には、創建当初の構造がよく残され、江戸時代中期における密教寺院の遺構の一つとして貴重な建物です。また「明王堂」の掲額は東大寺の別当道恕上人の筆、柱の聯(現在成田山霊光館保存)は三井親和の筆になります。』
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天水桶一対。
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天水桶一対(成田山内陣十六講魚がし護摩木講・成田山魚河岸講)…『平成10年4月12日。旧来の文化11年(184年前)奉納の天水桶一対は當堂裏側に移設されております。當山』
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光明堂(横から)。
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上記の説明によると裏にある天水桶一対が古いものですね。
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光明堂後方には奥之院の洞窟があります。
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毎年祇園会に開扉されます。
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奥之院…『この洞窟は奥行約11メートルあり、正面に不動明王の本地仏である大日如来が安置され毎年、当山祇園会の日(7月7、8、9日)に限り開扉される。入口左右の板碑は考古学上貴重なものである。』
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板石塔婆(板碑)2基。
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新勝寺板石塔婆二基(千葉県指定有形文化財・昭和34年4月24日指定)…『板石塔婆(板碑)は板状の石を用い、卒塔婆の一種として発生し、鎌倉時代から室町時代にわたって盛んに建立された供養塔です。この奥之院の石垣には10枚ほどの下総式石塔婆が嵌め込まれていますが、入口の両側2基が指定を受けているものです。向かって右側の1基は南北朝合一直後の明徳5年(1394)の紀年銘と、阿弥陀如来の種字(仏を表わす梵字キリーク)を大きく深く刻み、上部に天蓋、下部に蓮華座が陰刻されています。左側の1基は南北朝時代初期の延元元年(南朝年号・1336)の紀年銘をもち、阿弥陀三尊の種子〔キリーク(主尊阿弥陀如来)、サ(観音菩薩)、サク(勢至菩薩)〕とその上部に天蓋、下部に蓮華座、さらにその下に一対の花瓶が陰刻されています。昭和60年3月31日千葉県教育委員会・成田市教育委員会』
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清瀧権現堂・地主妙見宮。
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狛犬一対(正徳元年)。
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清滝権現堂・妙見宮…『享保17年(1732)建立天明8年(1788)安政5年(1858)修理清滝権現と地主妙見を合祀した当山の鎮守である。』
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横から見た方が美しいですね。
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平和大塔へ向かいます。
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千葉縣讀賣會物故店主慰霊碑。
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弘法大師像。
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平和大塔参道入口。
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石(有限会社松本架設奉納)。
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手水舎。
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平和の大塔。でかっ!
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昭和59年建立。真言密教の教えを象徴する塔。総高は58mで、1階は大塔入口、成田山の歴史展、写経道場各種受付があります。2階の明王殿には、大塔の御本尊不動明王、四大明王、昭和大曼荼羅、真言祖師行状図が奉安され、3・4階の経・法蔵殿には、御信徒による掛仏、5階の金剛殿には五智如来が奉安されています。なお、地下にはタイムカプセル(昭和59)が埋蔵されています。世界を代表する11名の平和へのメッセージが納められており、弘法大師1600年御遠忌の年である西暦2434年に開封されるそう。2434年かぁ…これで生きる目標ができました!
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平和大塔前の香炉。
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平和大塔前の西洋庭園。
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西洋庭園から平和大塔。
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獻書記念(成田山開堂1050年)。
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成田山霊光館。
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成田山公園を散策。文殊の池、龍樹の池、龍智の池の他、書道美術館、水琴屈、高浜虚子句碑、芭蕉句碑(天明8年)など色々ございます。
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名取亭。大正9年創業。あぁ~食べたいけどお腹いっぱい!
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洗心堂。
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雄飛の滝。
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滝の上部には御滝不動尊が奉安されているそうです。
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雌滝…水なし…
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御滝不動尊・洗心堂…『この浄域には洗心堂(修行道場)を中心に雄飛の滝(右奥)と雌滝(左手前)が配され、滝の上部は御滝不動尊が奉安されています。2つの滝は深山幽谷より里への流れを表す公園の源流にあたり、自然の木々に包まれ、静寂の中、不動明王の大威神力とともに滝の音に心が洗われる霊地です。』
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以上「成田山新勝寺」でした。とても広かったので写真は撮り切れず全てを紹介していません。また、開基1080年記念事業にて平和大塔西側に成田山醫王殿(本尊:薬師瑠璃光如来(大醫王如来)・成田市指定文化財。脇侍:日光菩薩、月光菩薩。眷属:十二神将。構造形式:木造総檜、一重宝形造、向拝・軒唐破風付、本瓦葺。桁行12.16m、梁間12.16m、棟高12.19m。平面積147.87㎡。)が建立されましたが、私が訪れたのはそれ以前なので紹介しておりません(下の写真は完成予想図)。
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なお、平成30年は成田山開基1080年祭記念大開帳を奉修。御本尊不動明王は10年に1度の御開帳です。期間は平成30年4月28日-5月28日。御開帳期間は無理そうですが、また参詣すると思います…鰻好きなので!!
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三重塔。
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正徳2年(1712)建立。総高約25m。
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塔内には五智如来が奉安され、周囲には島村円徹の「十六羅漢」の彫刻がめぐらされています。なお雲水紋の彫刻をほどこした各層の垂木は一枚板でつくられ、一枚垂木と呼ばれる非常に珍しいものです。
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聖徳太子堂。平成4年(1992)建立。我が国仏教興隆の祖として崇められる太子の「和を以て貴しとなす」の理念にもとづき、正解平和を願って建てられました。堂内には大山忠作画伯の壁画が6面に渡り描かれてあり、聖徳太子像が奉安されています。
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灯篭。
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常香炉。
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聖徳太子堂(平成4年・1992年建立)…『日本仏教興隆の祖聖徳太子を奉安。堂内の壁面六面、日本芸術院会員大山忠作画伯作。』
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大本堂第二講堂。第二講堂のすぐ横に出世開運稲荷参道があります。
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御水舎。
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釈迦堂。
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安政5年(1858)建立。前本堂。大本堂の建立にあたって昭和39年に現在の場所に移されました。
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中央に釈迦如来、左右に普賢、文殊、弥勒、千手観音の四菩薩を奉安。堂の周囲には五百羅漢や二十四孝の彫刻がはめこまれ、江戸時代後期の特色をよく残している総欅作りの御堂です。開運厄除けお祓い祈祷所。
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灯篭。
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これは灯篭なのかな。一対でありました。吉原の文字がありました。
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狛犬一対(寛政10年)。
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釈迦堂(重要文化財)…『安政5年(1858)に建立された前本堂であり、大本堂の建立にあたって昭和39年現在地に移築されました。ご本尊には仏教を開かれた釈迦如来が安置されています。周囲の板壁には、修行僧として最高位に到達し、功徳をそなえた五百羅漢像を見事な浮彫り彫刻で8面、また扉には、中国の代表的な孝子物語である二十四孝12面を付けるなど堂内の華麗な欄間彫刻とともに、時代の特徴をよくあらわしています。板壁の五百羅漢は、絵師狩野法眼一信の下絵をもとに、仏師松本法橋良山(通称不動金兵衛)が10年の歳月を費やして彫刻したものです。また扉の二十四孝は、無関堂島村俊表の作です。建物は5間堂で、中央の柱間が広くとられています。屋根は入母屋造の瓦棒銅板葺で、正面には千鳥破風や軒唐破風付の向拝を設け、荘重さを加えています。組物は、三手先を詰組とし、軒は二軒の繁垂木で総欅木を用いています。』
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聖天堂。
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扉も開かれており、直接拝むことができました。
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聖天堂…『人法繁昌のために勧請された当山の秘仏「大聖勧喜天」を祀り、古来より毎月初めの七日間当山の僧侶によって天尊浴油が修行されている。御堂は成田山開基1070年祭記念事業として建立された。』
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なお、近くにある「出世稲荷」については別記事にしておりますのでそちらをご覧ください。さて、大本堂の裏側にも大日如来や八大童子・三十六童子など色々あります。
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水盤。
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水盤…『この水盤は三重塔前にご信徒の水飲み場として奉納されたものです。このたびこの地に移設しここに文化財(民俗資料)として顕彰しました。平成19年9月吉日。奉納者:成田山城東睦元講(昭和8年造立)。尚、水舎は稲荷堂水舎として復元しております。』
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朝日観音堂(慶応3年建立)。
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天満宮(明治20年再建)。
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天満宮・朝日観音堂…『天満宮(右):明治20年(1887)再建。祭神は菅原道真公である。朝日観音堂(左):慶応3年(1867)建立。朝日観音菩薩を本尊とする。』
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開山堂。
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開山堂…『當山の開山上人寛朝大僧正の御姿を安置する堂である。この堂は昭和13年に奉修された成田山開基一千年祭記念事業の一つとして新築されたものである。』
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額堂。
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文久元年(1861)建立。昭和61年に修復。ご信徒から奉納された額や絵馬を掲げる建物で、近世における庶民信仰を表す代表建築の一つ。
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堂内には、「成田屋・七代目市川團十郎像」や「青銅製大地球儀」(明治40年)等があります。江戸時代に奉納された貴重な絵馬や、様々なモチーフの彫刻は、目を見張るものであります。
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成田屋七代目市川團十郎像。
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成田屋七代目市川團十郎の石像…『江戸歌舞伎の名門市川団十郎家は、代々成田山新勝寺を篤く信仰し、初代団十郎は自らの屋号を「成田屋」と称して不動尊を崇敬しました。なかでも七代目団十郎は、江戸時代末に活躍した名優として知られますが、それまで大名や武士の芸能であった能を歌舞伎の中に取り入れ「安宅」の題材を「勧進帳」に芝居化して初演したり、荒事を中心とした歌舞伎十八番を制定するなど、それまでとは違った斬新な発想で江戸歌舞伎界に新風を吹きこみました。その一方で一千両をもって成田山に額堂(昭和40年焼失)を寄進し、天保の改革の折りには成田山内の延命院に身を寄せ、成田の人々に芝居や俳句を広め、成田山参詣の隆盛に寄与し、この地方の文化向上にも大きく貢献しました。』
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額堂(重要文化財)…『額堂とは、奉納額や絵馬を掲げる建築物であり、このお堂は文久元年(1861)に当山で2番目の額堂として建立されました。建物は、桁行正面が3間(約5.5メートル)背面が6間(約11メートル)で、屋根は入母屋桟瓦葺です。現在は四方が開放されていますが当初は背面が板壁でした。組物は平三斗、中備蟇股、二軒の半繁垂木です。額堂としては虹梁や木鼻など細部まで本格的な建物で、近世における庶民信仰をあらわす代表建築の一つであります。建物の各部に見られる竜や獅子などの彫刻は後藤勇次郎経慶の作です。なお当山には、江戸歌舞伎界の名優成田屋こと七代目市川団十郎丈により寄進された額堂(第1額堂)が三重塔脇にありましたが、昭和40年に焼失しました。中央部にある石像はその七代目団十郎像であります。これらの額堂には絵馬類がたくさん掲げられていましたが、貴重な文化財として、現在は成田山霊光館に保存されています。』
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三社。
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左から白山明神・金毘羅大権現・今宮神社。
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永代御膳料碑(内陣十六講日丸講)。
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不動三尊(日丸講)。
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成田山内陣十六講日丸講縁起(講社番号第四号)…『抑々、当成田山内陣十六講の内、日丸講は江戸時代後期、嘉永7年11月に創立され当初は(〇の中に日)護摩講と呼称される。明治元年大政奉還布告に依る神仏分離令が発令された際、(〇の中に日)日丸講に変更し、さらに明治18年4月、本山不動明王尊の深川出開帳を機縁とする深川不動堂誘致建立に際し、貢献講中が相寄って講社連合会を結成する。これ即ち成田山内陣十六講と称し、各講社名に冠称され日丸講もこのかぎりにあらず。不動明王尊の御霊徳を仰ぎ各講社の親睦、信奉の普及強化に努めることを目的に活動を続ける。明治20年5月境内男坂登口に、当時の講元、世話人、篤信家より浄財を勧進し、日丸講としての「お庭」が建設される。その後何度か再建され昭和42年3月落慶大本堂建立に伴う敷地拡張のため一時取り払いとなるが、現講元岡部照夫をはじめ世話人、篤信家の願いが叶い、昭和47年5月正面一面の玉垣増設と共に当処に整備再建される。又去る平成26年11月、日丸講創立160年を記念して、先人諸氏の偉業に経緯を表し、「お庭」の修復を行うにあたり、世話人、篤信家のご協力とご支援を得て無魔円成する。合掌。平成27年5月8日成田山内陣十六講四代目総講元・日丸講四代目講元岡部照夫』
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包丁塚。成田山霊光館への道路沿いです。
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ちなみに弘恵会土屋駐車場・弘恵会売店から奥山広場前を通って成田山霊光館へと続く道路沿いには、数え切れないほどの石碑、石灯篭などがあります。また、包丁塚より奥山広場方面に向かうと「のぞき小僧」という秘かな人気スポットがあります。詳細は控えますので是非ともこちらも散策して、「のぞき小僧を探せ!ゲーム」を楽しんで下さい。
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包丁塚…『この塚は、永年愛用し使い古した包丁を納めてその功徳に感謝すると共に、調理した鳥獣魚菜の霊を慰め供養するため建立したものである。』
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仁王門。天保2年(1831)再建。国指定重要文化財。左右に密迹金剛、那羅延金剛、裏仏には広目天、多聞天が奉安され、境内入口にあって伽藍守護の役目をしています。
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中央の「魚がし」の文字が大きく目立つ大提灯は魚河岸講の奉納(昭和43年・重量800kg)によるもの。
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仁王像。
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仁王門(重要文化財)…『文政13年(1830)に建立された八脚門で、正面向かって左側には密迹金剛、右側には那羅延金剛が安置され、境内の入口である山門にあって、諸堂伽藍を守っております。特にこの二尊は昔から「朱振りの仁王尊」といわれ信仰されています。また裏仏には、左側に人々に福徳をさずける多聞天を、右側には仏心を起こさせる廣目天を安置しております。屋根は入母屋造銅板葺で、正面に大きな千鳥破風、背面に軒唐破風を付けています。組物は三手先の詰組とし、軒を二軒の扇垂木としているところなど、八脚門としては類例が少なく、材料工法とも極めて優秀で江戸時代末期の特色をいかんなく発揮した建物といえます。頭貫上の各柱間には、後藤亀之介作の竹林の七賢人や司馬温公瓶割り等の彫刻が施されています。なお正面に掲げられている「成田山」の大額は東大寺の別当道恕上人の筆になります。』
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仁王門前の狛犬一対(天明8年9月28日)。
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仁王池と仁王門。放生池として生きものの生命をいとおしむ不殺生を教えています。また池には亀岩があります。
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石段・仁王池の周囲には色々なものがありました。
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狛犬一対(嘉永3年)。
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その他狛犬(嘉永3年ほか)たち。
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倶利伽羅不動尊。
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不動三尊像など。
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仁王門の横にある燈明台(明治27年)。市川團十郎を始め、市川左団次・市川九蔵・市川小団次などの当時の役者名が記されている貴重な演劇資料。
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御内陣・十六講永代常夜燈梵字講碑。
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内陣十六講梵字講縁起(御本山講社番号第四号)…『抑々本講は安政3年(1856年)江戸隅田川畔の向島に於て成田山不動明王尊を崇敬する篤信家により向島講と称して結成発足す。明治に至り御本山より特に梵字講の名称を賜り改称す。明治18年、東京の有力なる十六の講社により連合講社の組織されるやその一翼を荷ひ今日に及ぶ。更にこの聖域に築庭大講碑の建立発願を許され第六區六番組中の奉仕協力を得て明治19年2月竣工す。爾来本講と組合とは一体となり団参を共にし不動明王尊信奉の誠を捧げ常に弛まず堅固なる信仰に勤む。昭和43年新御本堂の落慶を機に築庭玉垣の大改修を施工す。本年は時恰も築庭大講碑の建立されてより88周年の佳き歳を迎え之を記念し茲に縁起を誌して後世に伝承す。初代講元石川兵左衛門(安政3年就任・明治26年歿75才)、二代講元石川彦多郎(明治26年就任・昭和12年歿79才)。昭和48年2月吉日東京向島内陣十六講梵字講。三代講元石川藤之丞70才』
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開運地藏尊。
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火消し奉納の利剣(文化12年)。
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こわれ不動堂。
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こわれ不動堂…『この堂は幾度修覆しても不思議にすぐこわれてしまうので「こわれ不動」と呼ばれている。本尊は倶梨伽羅不動明王である。』
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手水舎。
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八代講大護摩修行碑傳碑など。
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灯篭。
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倶利伽羅不動尊。
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石段上から仁王門。
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大本堂。昭和43年建立。入母屋造り二重屋根の鉄筋コンクリート造で、規模は間口95.4m・奥行59.9m・棟高32.6m。
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最も重要な御護摩祈祷を行う中心道場で、堂内には不動明王を中心に四大明王、平成大曼荼羅が奉安されています。東西の翼殿1階は、御護摩札授与所。大本堂外陣は身代御守などの御守受場となっています。
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御縁起(パンフレットより)…『「成田山は御護摩」といわれる様に、御護摩の霊験利益は数かぎりなく、江戸元禄より歌舞伎の成田屋市川團十郎丈・市川海老蔵丈をはじめ多くの人々が成田山の不動明王を信仰しています。真言宗智山派大本山成田山金剛王院新勝寺の御本尊不動明王は、嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海がみずから敬刻して開眼し護摩法を修せられた尊像です。京都の高雄山神護寺に奉安されておりましたが、天慶2年(939)平将門が反乱を起こすと朱雀天皇の密勅を受けた寛朝大僧正は、この尊像とともに関東に下り、下総の国、成田の地にて21日間平和祈願の御護摩を修めました。その満願の日、天慶3年(940)2月14日に兵乱は平定され、この地に新勝寺の寺号を賜って成田山が開山されました。』※より詳細な由緒等はHPなどでご覧ください。
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御護摩受付所・納札所・御守・御札受場。
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鐘楼。
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梵鐘。
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鐘楼…『元禄14年(1701)に当山中興第一世照範上人によって建立された。楼上の梵鐘は大本堂建立を記念して鋳造したものである。香取正彦氏の設計鋳作になり、重量1068キロ。』
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一切経堂。
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享保7年(1722)建立。
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一切経堂内部。
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八角転輪蔵には一切経(仏教経典の総集)が納められ、転輪蔵縁の傅大士が奉安されています。
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傅大士・普建・普成。
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一切経堂(成田市指定文化財)…『一切経堂は、享保7年(1722)当山中興第一世照範上人によって建立された。中央の転輪経蔵に収まる一切経約二千冊は、仏典の集大成である。彩色あざやかな輪蔵周囲の桟唐戸には、四天王と十二神将の彫刻が施され、この輪蔵を八体の鬼神が支えている。入口上部の扁額は白河楽翁の筆。経堂周囲の八つの火頭窓は、中国の故事説話を題材とした見事な木彫刻で飾られている。堂内には、中国南北朝時代に輪蔵を創案された傅大士と普建、普成が祀られている。』
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総門前の寺号標(成田山金剛王院新勝寺)と狛犬一対(文化11年3月)。
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境内から総門。5間3戸の12脚の楼門。施工は大林組、金剛組、日本木彫連盟江戸木彫刻)。
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総門は平成19年建立。総高約15m。ご信徒をお迎えする成田山の正門。蟇股には十二支の木彫刻があり、楼上に生まれ歳守本尊八体仏が奉安されています。16体の獅子頭もそれぞれ微妙に違いが見られ、阿形と吽形があります。
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総門から参道と仁王門。大きな石灯篭がずらり。
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正面参道の狛犬一対(明治37年5月)。
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弁財天堂。
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元禄年間の建立。
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弁財天堂…『弁財天を祀る。勧請年代は不明だが、内外丹塗宝形造りの現在の堂は元禄年間建立された、成田山境内では最古の建築物である。』
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弁天池。亀の形をした亀岩の上は…
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亀だらけ。甲羅干しの競い合い。
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大師堂。
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大師堂…『明治21年(1888)再建。堂内には弘法大師をはじめ、理源大師、興教大師、当山代々の先師、法類、戦没殉難者各霊、日月牌、有縁精霊の位牌が安置され、朝夕供養が行われる。』
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弘法大師。
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大師堂前から見た総門。
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光輪閣。昭和50年建設。鉄筋コンクリート造。本坊及び客殿を備える地上4階地下2階の建物。
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光輪閣前。
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光輪閣山門。
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御護摩受付所・御守受場。
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手水舎。
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魚がし講寄贈の天水桶。
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す組天水桶・永代大護摩修行龍王桐生講碑。
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東参道の旅館はま屋。
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成田山東門。
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成田山東門付近に鎮座する正一位洲之崎稲荷大明神。
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木遊庵。
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阿弥陀堂。安政7年再建。
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御本尊阿弥陀如来の他に十王も祀られていました。
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成田山女子参籠堂(女子断食堂)。
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参籠道場。
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成田山参籠道場…『一階男子断食道場・二階成田山修法師。(先達)の修行道場』
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水行堂・水行道場。
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水行場…『天保6年(1835)建立、昭和41年改築、本尊に祈誓をこめて水行をするところであり、古くは道誉上人、二宮尊徳翁なども、ここの水に浴し貴い霊験を授かっている。』
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二宮尊徳翁開眼之地碑。
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二宮尊徳翁開眼の地…『代表的日本人の一人、二宮尊徳翁、天明7年-安政3年(1787-1856)は、不世出の才と堅忍不抜の行いとをもって小田原藩主大久保忠真候に抜擢され野州桜町(栃木県二宮町)の復興に、一身をささげた。内外の妨害に進退きわまり行方不明数十日の後、「禍を転じて福となし」にはじまる七大誓願を胸に成田山に参籠、断食水行21日、霊験感応あり、心願開けて大悟した、ここぞ誠に二宮哲学開眼の地である。「身をすててここをせんどとつとむれば月日の数も知らぬなりけり」「心あらば成田の山にこもりなん石の上にも岩の上にも」。この二首は満願の日の翁の歌であり、「予が今日に至るは不動心の堅固一つにあり」とは後世にくり返し口にしたところである。』
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修法道場。
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数息観「密教座禅」のおすすめ…『数息観とは、御本尊不動明王の加持力のもと自身の呼吸を整え、心の雑念を取り除く真言密教の瞑想法です。心静かに精神統一することで、あらゆる苦難に打ち勝つ「不動心」を修得できます。修行希望者はお申し込み下さい。受付:参籠堂。道場:修法道場。時間:午前10時から午後2時まで。尚初心の方にはご予約の上ご指導いたします。』
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私…やるべきです。
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不動明王。
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法心行者碑。
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六地蔵ならぬ一地蔵六弘法大師坐像。
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成田山表参道です。
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左手に石門が見えます。
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大師堂。
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由緒は不明。
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弘法大師が祀られています。
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横に巨木と堂宇がありました。
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こちらも何かは不明ですが、いずれも弘法大師に関連するものと思われます。
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石門敷石寄附芳名碑(浜松市向上講)。
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成田山表参道は誘惑だらけ。
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右からも左からもいい香りが漂ってきます…
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しかし!!磐石の決意を持って、これらの誘惑には決して負けることなく、成田山新勝寺(御本尊不動明王)へ参詣することが大切でございます。食べたい方は参拝後に!
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お不動様の利剣の如く、心の迷いを一切断ち切る!
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これぞ不動の心なり!!
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しかと肝に銘じるように!!!
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上町界隈では参道の両脇に干支の石造が置かれています。
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成田市消防団第1分団第2部。
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雷神堂成田本店。
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まぁ…お煎餅くらいならお不動様も許してくれるでしょう。
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こちらは金時の甘太郎の…焼きたて大判焼きです。大判焼き1つくらいならお不動様も大目に見てくれます。
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薬師堂(成田山旧本堂。薬師堂は別記事としておりますのでそちらをご覧ください。)の前には三橋鷹女の像があります。
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三橋鷹女の像(1998年12月19日建立・制作丸山智巳)…『女流俳人鷹女は、明治32年(1899)に成田町成田(現在の成田市田町)で、父三橋重郎兵衛・母みつの三女として生まれました。本名はたかです。成田幼稚園、成田小学校をへて、成田高等女学校(現在の成田高等学校)を卒業しました。大正5年(1916)に上京、同11年(1922)に歯科医師の東謙三(号剣三)と婚姻し、夫と共に俳句にいそしみました。初めは「鹿火屋」、次に「鶏頭陣」などに属しましたが、のちには永く結社に拠らず、独自の句境を築きました。「夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり」「白露や死んでゆく日も帯締めて」「口中一顆の雹を啄み火の鳥や」などの句はよく知られています。昭和47年(1972)、73歳で永眠しましたが、生家に近い田町の、通称白髪毛にある三橋家墓所に葬られました。「千の虫鳴く一匹の狂ひ鳴き(遺作)」。このブロンズ像は鷹女の生誕百年を迎えるに際し、市民ならびに多くの賛助者の協力によって、彼女の姿をふるさとの地成田によみがえらせたものです。鷹女の像をつくる会』
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成田ゆめ牧場(薬師堂前店)のソフトクリームです。ソフトクリームは飲み物なのでお不動様も許してくれるのです。
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仲町界隈。
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まだ午前中ではありますが、菊屋で白焼き・鰻ざく・生ビールを頂きます。このお店はあのスピルバーグやトムクルーズさえも、その誘惑に負けたそうですから、素人の私ならば尚更お不動様も許してくれるのです。
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それにしても江戸情緒を感じさせる古い町並みは歩いているだけで楽しめますね。
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旧梅屋旅館と大黒屋。
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大野屋旅館は国登録有形文化財。
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昭和10年建築。スレート葺、間口8間、奥行14間の大規模な木造3階建と、南側に突き出した2階建から構成されています。3階建ての屋上には高欄を廻らせた望楼をのせ、2階と3階には旧街道に面して持ち送りに支えられた縁台を廻します。3階は60畳と54畳と2間続きの大広間となっており、奥には松の屏風を背景にした能舞台が設けられています。
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榎屋の焼きたてだんごを片手に歩けば、より一層江戸情緒を味わえるはずです。
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これは決して食欲に負けたわけではなく、成田山門前町の江戸情緒を一層引き立たせるための手段に過ぎませんので、お不動様も目を瞑ってくれるわけでございます。
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ひっそりと延命院旧跡の標柱が立っておりました。天保の改革に伴って江戸十里四方追放となった七代目団十郎を迎え入れたのが成田山で、延命院を住居として提供したそうです。
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明治43年創業の川豊本店の店先では職人さんが慣れた手付きで鰻を捌いています。
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川豊の建物は大正6年建築の旅籠らしいので、中に入って見学致しました。
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見学だけではお店に申し訳ないので、致し方なくうな重を注文しました。致し方ないのでお不動様も許してくれるのです…めっちゃうまっ!
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こうして私は数ある誘惑に一切負けることなく…
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不動の心を貫き通して見事に新勝寺に到着したのです。
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