くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (東北町)

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山に登っていく感じです。
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社殿(間口2間・奥行4間の寄棟造りトタン屋根)。御縁日は3月16日・9月16日
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社殿内。内御堂には「祭神保食の神、昭和57年7月15日」という棟札と、鉄製鳥居が3体納められています。棟札は花松神社で魂入れをしており、花松神社の御祭神(保食神)を分霊しています。以前は天神様として20cmほどの木彫菅原道真公像を浜田一任の祖母登喜が、昭和26年頃に古間木(三沢市)の彫刻家から造ってもらい納めていましたが、平成3年に盗難に遭っています。昭和57年7月15日からは農業の神として舟ケ沢集落の産土様として祀られています。
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小川原湖(一の鳥居前より)。
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土橋の山乃神神社。
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例大祭は4月12日・9月12日。大正頃まで土橋えんぶりが行われていました。
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参道の両脇には規則正しく杉が植えられています。
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3間4方切妻平入の外陣と1間4方の内陣で構成された社殿。昭和57年4月25日再建。棟札は5枚あり、安永7年・寛政7年・天保15年・安政2年・明治30年。棟札からは安永7年(1778)まで遡ることができ、別当の藤重郎は襲名しています。また、修験者が正光院から大徳院と受け継がれているのが分かります。金石文としては「奉納安政四巳年」「七戸袋町金助」と陽刻した鰐口も残されています。また百万遍の数珠も所蔵。
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社殿内。
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社殿内にあった扁額「山神社」。
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社殿内にあった扁額「山乃神」(昭和17年5月)。
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内御堂の扉が開いたままで、向かって右には権現頭、左に山神像。
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権現頭は昭和61年12月24日に修理されており、黒光りしています。山神像は高さ38.6cmの木彫立像で、右腕を高々と上げ、左腕には何かを持っていたようですが欠損しています。
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鐘楼。かつては向拝にぶら下がっていました。
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狛犬一対(昭和17年旧4月・土橋村中)。
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目の神様で「めくされ八日」と呼ばれ、毎年4月8日と9月8日に例大祭があります。春の祭礼は女性のみ、秋の祭礼は男性のみで行うという珍しい祭典方法です。
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薬師信仰にはオサゴ場(霊水場)がつきものですが、当神社の南方、七曲りを経て100mほどの所に通称「カントウの水」が湧いています。現在は水量が減っていますが、かつては「カントウの水飲めば死ぬまで生きる」「死に水にはカントウの水を」と言われるほど名高い聖水でした。明治35年から一時廃止になったものの、昭和28年まで孵化場として運営され、サケ・ワカサギ・ヒメマスなどを養殖。関東方面から来た者が運営を始めたのでカントウの水と呼ばれるようになったともいわれます。
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御神体は木彫薬師如来坐像で、現在のものは二代目。初代は銅製のものでしたが、大正の頃に盗難に遭いました。二代目は一見新しく見えますが、昭和43年5月16日の十勝沖地震の際に大破し、沼山政登に依頼して修復した際に金箔を塗り直したためです。高さ37cmの一木造。
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棟札は6枚あります。寛政12年4月、文政2年9月、文久元年9月8日、慶應4年4月8日、明治12年3月、大正7年1月20日。寛政と文政の棟札には道祖神とあり、文久元年からは薬師如来となっています。かつては薬師如来を道祖神として祀っていたことがわかります。
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社殿は昭和55年に修復されています。
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長久保の産土で、長久保神社・長久保お宮とも呼ばれていますが、寛政2年・文政4年・弘化4年の棟札があり、それによると十一面観音堂であるとわかります。
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棟札はいずれも再興時のものであり、それ以前の創建であることもわかります。寛政2年の頃は修験者が正光院、文政4年には歓龍院がそれぞれ霞としていました。平成3年9月19日再興。大祭日は4月19日・9月19日。
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狛犬一対(平成3年10月吉日・長久保工務店、長久保勇蔵建立)。
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中には3つの祠がありました。
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正面には二体一対の権現頭。若宮八幡大権現と呼び、八戸で製作されたもの。正月2日には長久保俊男家の熊野権現と共に長久保生活改善センターで春祈祷の歯打ちを行います。
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向かって右の内御堂は大山乃神。高さ47cmの自然石。
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向かって左には十一面観音像。高さ46cmの重量感のある変形三角形の自然石であり、観音様には見えませんが、初め舘で発見され、3~4人の若者が運んできましたが、急に重くなり動かなくなるも、井上兵一の祖先が担いだところ、途端に軽くなったという伝承を残します。ちなみに『青森の伝説(森山泰太郎・北彰介)』には「甲地の長久保にあるお宮に祭る石は、いわゆる重軽石で、願をかけてこの石を持ち上げると、願いごとのかなうときは軽く、かなわぬときは重くて持ち上がらぬという。」とあります。また、「甲地の木戸場蒼前と、追越の塞の神は、そのお堂の前を馬に乗ったまま通ると、必ず落馬してけがをする。乗馬とがめの神である。」といった言い伝えもありました。
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上北郡東北町乙部道ノ上。森の中を切通しのように道路が作られており、その両脇にそれぞれ小祠があります。
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こちらは秋葉山大権現。
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小祠には石が祀られています。
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何か彫られているかどうかは確認できませんでした。
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道路を挟んでもう1つの祠は疱瘡神。石段はありますが鳥居はありません。
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小祠内には疱瘡神と書かれた木札と棟札(階段一基・栃ノ木2本植栽)がありました。いずれも由緒等は調べていませんが、一般的に秋葉権現の御祭神は火之迦具土大神で火防の神であり、疱瘡神は少彦名命などを御祭神とすることもあり、疱瘡神に祈ることで疱瘡を免れたり、軽減してくれるとされた信仰です。
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