くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (野辺地町)

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浄土宗福聚山海中寺。
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大泉寺の末寺。本尊阿弥陀如来。
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ふ、ふかいです!
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海中寺は慶長2年(1597)に開かれ、元は馬門村の海辺にありましたが、海触により延宝2年(1674)に下町に移転建立。文政6年再建。
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北前船の廻船問屋とも繋がりが強く、弘化2年に橘屋吉五郎(讃岐国塩飽島の船主、浜町の常夜燈も寄進。)が手水石を寄進。
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本尊の木彫阿弥陀如来像(像高3尺の木像・昭和33年青森県重宝指定)は鎌倉時代に制作されたと推定。
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伝承によりますと文化14年に海中寺が火災で焼失し本尊も粉塵に帰しましたが、檀家である石松氏が伊勢参りの際に大阪の伝光寺を訪れると霊夢に阿弥陀菩薩が立ち、自らを海中寺の本尊にするように諭したそうで、伝光寺の住職も快く快諾し道場にあった阿弥陀如来像を背負って野辺地まで運んだと伝えられているそうです。
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本尊阿弥陀如来は3月19日-25日、11月6日-15日に公開されているそうです(事前予約必要。日にちも一応ご確認下さい)。
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延命・子安地蔵堂。
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稲荷宮。
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鐘楼堂…鐘楼なし…修理中かな。
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墓所の方にあった手水鉢と観音像。
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手水鉢の龍がいい感じ。
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水が出てなかったけど。
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曹洞宗日照山常光寺。
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報恩寺(盛岡市)末寺。
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寛永9年(1632)日戸内膳の開基と伝えます。
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野辺地城時代に城主であった日戸内膳行秀の菩提寺となり境内には墓碑が建立されています。天保元年に延命地蔵尊が建立されています。
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石川啄木は岩手県盛岡市にある常光寺が生誕の地であり、野辺地の常光寺には伯父である葛原対月和尚が住職だったこともあり、3度も野辺地を訪れているそうです(明治37年時19歳・明治39年時21歳・明治40年時22歳)。
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花鳥号碑。
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花鳥号碑(野辺地町指定有形文化財)…『明治9年(1876)の明治天皇奥羽御巡幸で、御料馬「花鳥」は7月13日に野辺地の行在所に到着すると同時に斃死し、翌日早く、行在所に隣接しているこの常光寺に葬られました。白布四反を馬体なりに縫って包んで埋めたと言います。この花鳥をたたえ、その死をとむらう石碑が宮内省により送られ埋葬地に建てられたのは明治11年のことです。石碑の銘文は、明治期を代表する漢詩人・書家である長三洲(廿+火・ひかる)による漢詩と書です。三洲筆の習字本は小学校の教科書として使用されていました。明治天皇の全国各地への御巡幸は明治新政府が行った重要な政策の一つですが、その足跡を伝える貴重な石碑です。なお、愛宕公園には昭和4年(1929)に建てられた花鳥号の等身大の銅像があります。』
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石灯籠。
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石灯籠一対(天保4年4月3日)。
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三十三観音。
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六地蔵。
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昔、廻船問屋の田中津右左門という豪族がおり、常に敬神厚く、町の発展を祈願するために屋敷に内神として、伊勢神宮内宮の御魂分けを受けて祀りましたが栄枯盛免し、田中氏は遂に一家断絶。南部藩の都合により社地を転々とした後、元禄2年に市中氏子中にて受け継ぎ、野辺地代官所に近い現在地に改めて天照皇大神の分霊を勧請と伝えます。
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藩主御巡幸の節は参拝し社運も隆盛し野辺地代官も庇護。旧社殿は天保8年に建替。明治6年4月13日村社に列せられ町氏子にて尊崇。明治23年5月に野辺地全町大火により宝物・貴重品・工作物等焼失するも明治25年再建。昭和50年再度全焼。昭和52年再建。平成13年修復。
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天保年間に修験の金剛院が別当として祭祀。金剛院は新郷村戸来の多門院を通じて本山派聖護院から院号を授与され、本家筋は横浜八幡宮の鈴木家(大光院)。神仏分離により明治2年に神主となり、神明宮となります。
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『御祭神:天照皇大神。例祭:8月16日。旧社格:村社。江戸時代初期、当町の大豪商家田中津右衛門が、邸内に、伊勢神宮の御霊分を斎き祀り勧請せしと伝えられている。元禄2己巳年(1689)に社地及社殿を寄進、市中の氏子が受け継ぎ現在の処に勧請鎮座したる由。元禄年間の社殿は、享保3年の火災に罹り縁起棟名札等消失せり、延享3年再建、天保8年建替、明治23年罹災、同25年再建、昭和50年失火全焼、同53年再建、平成13年修築が現在の社殿である。我日本人の総氏神、総祖先に存す、伊勢神宮、当神社も、しんめいさまと崇敬されている。平成25年水無月吉日。第62回式年遷宮神明宮奉賛会』
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手水舎。
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本殿覆屋。
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舘平稲荷大明神。
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元文5年に野辺地代官所内に建立。明治初年に廃社とあり、これは神仏分離によるものでしょうけど復社しておりました。
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