くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (神奈川県)

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御祭神は天照大御神。元々は甘縄神明宮、甘縄神明社と呼ばれていましたが、昭和7年に甘縄神明神社となっています。かつては甘縄院という別当寺院も存在していましたが神仏分離により廃されました。甘縄の「甘」は「海女」、「縄」は「漁をする時の縄」の意味という説があります。
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足達盛長邸址…『盛長ハ藤九郎ト稱ス初メ頼朝ノ蛭ガ島ニ在ルヤ克ク力ヲ勠セテ其ノ謀ヲ資ク石橋山ノ一戦源家ガト運ノ骰子ハ全ク黯黮タル前途ヲ示シヌ盛長頼朝ニ尾シ扁舟涛ヲ凌イデ安房ニ逃レ此処ニ散兵ヲ萃メテ挽回ヲ策ス白旗鎌倉ニ還リ天下ヲ風靡スルニ及ビ其ノ旧舊勲ニ依ツテ頗ル重用セラル子彌九郎盛景孫秋田城介義景邸ヲ襲グ頼朝以来将軍ノ來臨屡々アリ此ノ地即チ其ノ邸址ナリ 大正十四年三月建 鎌倉町青年団』
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和銅3年(710)行基が草創し、豪族染屋時忠が建立。鎌倉で最も古く歴史ある神社と言われ、長谷の鎮守です。近くには川端康成の邸宅があり、小説「山の音」に登場する神社として描かれていることでも知られており、また、万葉集に登場する鎌倉の名の歌の舞台となった場所はこの神社周辺とも伝えます。
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源頼義が当神社に祈願をして、義家が生まれたと伝えられ、後に義家が社殿を修復し、頼朝も社殿を修理し荒垣や鳥居を建てたと伝え、源氏との関係が大変深い神社であったと考えられています。また、北条政子や源朝、実朝も参詣したと伝えます。
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案内板より…『御祭神:天照大神、伊邪那岐尊(白山)、倉稻魂命(稲荷)、武甕槌命(春日)、菅原道真公(天神)。和銅3年己酉(約1250年西紀710年)染屋太郎大夫時忠の創建です。永保元年酉年(約880年前(西紀1081年))源義家公が社殿を再建せらる。源頼朝公政子の方實朝公など武家の崇敬が篤く古来伊勢別家と尊稱せられている鎌倉で最も古い神社です。社殿の裏山は御輿ヶ嶽(見越ヶ嶽とも書く)と云い古くから歌によまれています。源頼義は相模守として下向の節当宮に祈願し一子八幡太郎義家が生れたと伝えられています。都にははや吹ぬらし 鎌倉の御輿ヶ崎秋の初風』
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手水舎。
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「北条時宗公産湯の井」・「二條公爵愛用の井」。境内地は鎌倉時代の御家人安達一族の邸宅があった場所であり、北条時頼の母である松下禅尼の実家。
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御神輿収納庫。
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御神輿。
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拝殿。
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関東大震災の際に天保9年建築の社殿が損壊しており、現在の社殿は昭和12年に再建されたもの。
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狛犬一対。
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天水桶。
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五所神社。
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明治20年に長谷寺鎮守の五所明神が合祀されたもの。
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社殿横の石段を上ると…
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秋葉神社。
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ここから更に山(御輿ヶ嶽)へと登る道がありましたが、時間が無かったので行きませんでした。
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秋葉神社の真横には甘縄神明神社本殿。
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秋葉神社から見た拝殿。
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八十八壽の碑(建長曇華九十翁書)。
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万葉歌碑…「鎌倉のみ越の崎の石崩の君が悔ゆべき心は持たじ」
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鎮魂碑。
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境内からは由比ガ浜と長谷の町が一望できます。
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境内から見下ろした参道。
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タブの木は「鎌倉と三浦半島古木・名木50選」に指定されています。
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大本坊。大本坊は第二次世界大戦の戦禍で消失し、同時に大本堂も失ったため、一部改造・荘厳を施して昭和20年12月から仮本堂として活躍した建物です。その後、大本堂再建の日まで仮本堂として使用され、昭和33年5月に御本尊様は現在の大本堂へ御遷座が行われました。
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浄光殿。
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消防記念碑(明治20年)。
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江戸消防記念碑…『東京消防組の発起にて建設された。その趣旨は、享保年間、江戸町奉行大岡越前守忠相、江戸市中へ町火消というを設け、その名の区別をいろは文字のように、48組とした。爾来、明治の初めまで組の名を残していたが、その起元を永久に伝えるために、明治21年石工、酒井八右門起工せるも、いろは歌は弘法大師の御歌なので当山へ建立したという。』
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忠魂碑(明治42年1月)。
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植木供養之碑(献木いちょう・昭和51年)。
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忠勇之臣碑(明治38年8月)。
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高浜虚子句碑「金色の涼しき法の光かな 虚子」。
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句碑之由来碑…『昭和33年5月14日再建新本堂へ御本尊御遷座の式典修行の砌當山玉藻句会は俳壇の巨匠高浜虚子翁を招じて記念句会を開筵した。其際の翁の献句を建碑して御遷座一周年記念とする。ちなみにこの句碑の揮毫は翁の絶筆である。昭和34年5月14日大本山川崎大師平原寺第44世隆天。この額字は虚子翁次女星野立子女史毫』
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施茶翁碑(天保6年)。
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大法要奉修記念之碑。
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六世竹本綱大夫碑(明治16年9月24日)。
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六世竹本綱大夫の碑…『竹本及び斯道の人々の寄進にして題字は8世其角の筆。辞世の句に「ものいはで立出るなり秋のくれ」』
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大願成就浅間大神碑(大正10年11月)・大師登山會碑(昭和14年6月)。
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青木正太郎翁壽碑(昭和6年)。
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鶴澤勝造君碑(大正5年10月)。
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種梨遺功碑(大正8年3月)。
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種梨遺功碑…『長十郎梨の良種を発見した当麻辰次郎(文政9年・1826-明治38年・1905)遺功の碑。碑文に「長十郎梨、豊産にして美味、頗る良種」と讃えている。大正8年(1919)3月の建碑。』
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力石5基。
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力石…『この力石は、むかし当山の境内で若者たちの力くらべに使った石である。左の2つは「さし石」といって、これを頭の上までさしあげた。大きい方は、36貫ある(135キログラム)。右の3つは、「おったて石」といい、これを起して、まっすぐに立てた。一番大きいものは、100貫もある(375キログラム)。これが出来た者は、一人前とみなされた。』
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橘樹郡出身征清陣亡軍人招魂碑(明治29年)。
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永代植樹記念之碑。
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正岡子規句碑「朝霧の雫するなり大師堂 子規」。
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句碑之由来碑…『明治の俳聖・正岡子規(1867-1902)は明治27年(1894)11月3日に川崎大師を参詣され俳句を詠まれた。当山では平成26年の大開帳奉修を記念し、子規直筆の句集「寒山落木」より、当山に縁の句「朝霧の雫するなり大師堂」を建碑し、永く子規の足跡を記すものである。平成26年5月1日』
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つるの池。
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つるの池…『この池は、元はひょうたんの形であった。往時は多摩川から分水した二ヶ領用水が池に入り、鶴や鴨が悠々として遊んだという。昭和9年大本坊建立により大半が埋められ今日の形となった。中央の亀を模した岩の三羽の鶴が往時をしのばせる。』
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やすらぎ橋。
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やすらぎ橋…『平成26年大開帳奉修記念建立。お釈迦さま、お薬師さまへと続く朱色の橋。古来、朱色は災難を除き、幸福を招くといわれております。欄干には悟りへと向かう段階(発心・修行・菩提・涅槃)を表す種字(梵字)20文字が刻まれています。やすらぎ橋を欄干伝いに渡り、清らかな心でお釈迦さま、お薬師さまにお詣りください。』
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釈尊像。つるの池に架けられたやすらぎ橋を渡ると降魔成道釈迦如来像を参拝することができます。
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降魔成道釈迦如来像(開創850年慶讃記念造立)…『29才で出家された釈尊は6年の苦行の後、菩提樹の下で禅定に入られた。種々の悪魔が現れて誘惑し、あるいは脅迫して妨害したが、釈尊は悉く退け、成道(悟りを開く)された。この時、釈尊は左手を膝の上に置き、右手をのばして大地をさした。このお姿を「降魔成道」という。昭和52年開創850年記念として造立され、前年12月8日釈尊成道の聖日に入仏開眼法要を修行した。胎内には、インド大菩提会を通じて勧請された真身仏舎利が奉安されている。毎年12月8日、成道会法要を修行。製作・元亜細亜現代美術展副理事長、元日本陶彫会会員、彫塑家矢崎虎夫氏(1904-1988)』
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三世桃隣句碑(享和元年)。
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信徒休憩所。平成26年当山吉例十年目毎大開帳奉修記念事業として、つるの池池畔に建設。
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木蓮(平成19年・開創880年記念)。石柱はかつての裏門(西解脱門)かな。
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薬師殿。開創880年記念事業として平成20年11月1日に開設。堂内には薬師瑠璃光如来尊像、薬師瑠璃光如来を信仰する人々を守る武神である十二神将が奉安されています。また、御本尊薬師瑠璃光如来の御分身・なで薬師が奉祀され、撫でることにより身体健全、病気平癒が祈念できます。
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薬師殿の前にいるとカンボジアにでもいる気分(笑)
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至真門。
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昭和53年再建立。鉄筋コンクリート造りで、信徒会館の南玄関に通じ、薬師殿への入口に位置します。ブロンズ製の扁額は当山第44世中興第1世貫首(隆天大和上)の揮毫。
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信徒会館。
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弘法大師御誕生1200年鑽仰と、昭和49年大開帳奉修の記念事業として建設。
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金色に輝く宝塔は御本尊厄除弘法大師のご誓願宣揚と正法興隆を目指す根本道場の象徴。
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古賀政男先生像(昭和59年)。
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台座には「川崎大師讃歌」の譜面があります。
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水子地蔵尊(平成元年)。
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しょうづかの婆さん(寛文11年)。
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しょうづかの婆さん…『人は死後三途の川を渡るという。その川の奪衣婆、すなわち「葬頭河の婆」が訛って「しょうづかの婆さん」と呼ぶようになったらしい。その昔、品川のお台場にあったといわれ「台場の久兵様」とか「歯のお地蔵さん」と呼ばれていたこともあったという。昔から、歯の痛みをいやし、容貌を美しくすると信じられ、その他にも健脚や諸願をかける人が多く、香華絶ゆることがない。』
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48.5
西解脱門。かつては石柱だけの門でしたが、昭和61年12月に鉄筋コンクリート造の中世和風様式の門に生まれ変わりました。建立1周年を記念し当山第44世中興第1世貫首(隆天大和上)揮毫の縦額が取り付けられています。
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清浄光院へ。
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50.5
壇徒総菩提所。「一般ご信徒はご入堂は、ご遠慮申し上げております。」とありました。
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51.5
立派な建物です。
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まだまだ見所はあるかと思いますが今回はこれで終了。
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不動門。
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第43世隆超大僧正が昭和23年有縁の地から譲り受けて移築建立。
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当初は昭和20年4月15日未明の戦禍により焼失した山門跡地に建立されていましたが、昭和52年に現在の大山門が建立されたことに伴い、不動門として移築。
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不動門…『この門は、太平洋戦争後、当山第43世・隆超和上が、戦災によって失なわれた旧大山門の跡地に、昭和23年有縁の地から移築された建物で、新たに大山門が復興するまでの約30年間にわたり、当山の山門でありました。(総欅、銅板葺き、二層楼門造り)』
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鐘楼堂。
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不動門と共に有縁の地より譲り受けたもの。
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鐘楼堂…『鐘楼堂は寛政元年(西暦1789年)正月、当山三十三世隆範代に創立されたもので、本堂の前に在ったものを大正12年の震災で倒壊した為、昭和5年に現在の所に移転され、さらに昭和20年戦災により焼失、昭和23年に再建されたものである。鐘は(重要美術品)延徳3年に鋳造されたものであったが、其の後寛政7年(西暦1795年)5月、当山三十三世隆範法印の代に再鋳されている。大本山川崎大師平間寺』
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四國八十八ヶ所遥拝所碑(大正3年・四国霊場開基壱千壱百年紀年)。
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三界萬霊供養塔(大正9年8月)。
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大日遍照法界智鏡高鏡霊臺(明治42年)。
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永代護摩料碑(大正3年)。
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五重塔建設資金碑(昭和14年)などなど。
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八角五重塔。
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昭和59年の吉例大開帳並びに弘法大師1150年御遠忌を記念し落慶。境内と諸堂宇との調和を考慮し、更に真言の様式にかなうよう華麗にして格調ある八角としています。八角は最も円に近い建造物の形といわれ、「包容力」「完全性」を象徴しています。
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八角五重塔(中興塔)…『弘法大師1150年御遠忌と当山吉例10年目毎の大開帳奉修を記念して現貫首により発願され、十方有縁檀信徒の信助によって、昭和59年に落慶されました。この八角五重塔の地階には、釈迦如来をご本尊とする慰霊堂、一層には金剛界五智如来と真言八祖がおまつりされています。二層は金剛界及び胎蔵界の石彫梵字曼陀羅とともに、中央に恵果阿闍梨(中国の高僧・弘法大師の師僧)と、向って右に弘法大師(空海上人)、左に真言宗中興の祖・興教大師(覚ばん上人)のご尊像をそれぞれおまつりしています。塔上の相輪の下の露盤内には、翡翠の金剛界大日如来像が納められています。恵果阿闍梨(746年-805年)。弘法大師(774年-835年)。興教大師(1095年-1143年)』
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17.5
八角五重塔讃歌(貫主高橋隆天)…『塔は これ崇高なる釈尊、大日如来の清浄なるみ姿 その気高き尊願に 人びとはみちびかれ 慈しみのみ心を知る あゝ光明満法界 あゝ風光る 五重塔よ 八角は これ美妙なる円、真言密教の深奥なるみ教え その無辺の仏恩に 人びとはすくわれ 浄らかなる覚りを得る あゝ如実知自身 あゝ風薫る 中興塔よ』
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八角五重塔(中興塔)…『参詣日のお知らせ。毎月の第1日曜日と21日ご縁日。開扉時間午前10時より。閉扉時間午後3時30分まで。御自由にご参詣下さい。』
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まり塚碑。
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狛犬一対(芸団協受賞記念・理事長柳貴家正樂・昭和55年2月吉日)。
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まり塚碑…『昭和35年5月の建立。毎年5月21日、まり塚祭りを行う。当日は境内にて、有名芸能人により、特設舞台から演芸が奉納され1日中賑う。』
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旧本堂礎石。
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旧本堂礎石…『旧本堂は、天保5年(1834年)弘法大師一千年御遠忌を記念して建立された。間口16間(28.8メートル)奥行18間(32.4メートル)建坪290坪(957平方メートル)、高さ73尺(22メートル)、総欅造総銅甍葺の宏壮な建物であった。昭和20年4月15日未明、第二次世界大戦の戦禍を蒙り、諸堂とともに焼失した。礎石は全部で72個(大・52個、小・20個)、大きなものは4方が3尺1寸7分(105センチ)、厚さ1尺5寸(59センチ)ある。』
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関東第一霊場碑。『都新聞社主催関東十霊場推薦投票ニアタリ川崎大師百六十一万二千五百三十五票ヲ以テ第一位ニ推サル依ッテ之ヲ建ツ昭和7年12月5日。追文:太平洋戦争ノ戦火ニヨリ原碑ノ損傷ハナハダシキタメ都新聞ノ後身デアル東京新聞之ヲ再建ス。昭和43年9月21日第四十四世隆天代』
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宝篋印塔。
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宝篋印塔…『元は山門より入り本堂へ通ずる中央に在り、宝暦6年3月第29世法印如実の徳川三卿の随一の田安家より寄進されたもので、中に湯島霊雲和上開眼の経筒銅等が納められた。3月21日宝幢院祐晃法印が開眼供養された。尓来破損を生ずる度に田安家より修補の特例があったという。』
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伊呂波歌頌徳碑(大正5年)・菩提樹(川崎大師日曜教苑開苑20周年記念植樹・昭和59年10月14日)。
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木村新左衛門紀念碑(昭和5年)。
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観音銅像(明治42年・三界萬霊)。
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観音銅像…『御丈け2米5百・台巖3米7百4方。明治36年1月東京、吉川兼吉氏の発願寄進されたもの。その年の3月盛大なる除幕式開眼供養が修行された。原型製作は、帝室技芸員鈴木長吉先生。』
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聖観音像(明治36年)。※平成29年開創890年記念日本百観音霊場お砂踏み参拝所開設準備のため修復中により台座のみの写真です。
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遍路大師尊像。
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昭和48年の弘法大師御誕生1200年記念事業として造顕。毎年9月20日には遍路大師年祭が執り行われます。遍路大師尊像には健康、健脚を祈念して献水されるご信徒の姿が多く見られます。また、尊像を結界する新四国八十八ヵ所霊場も創設され、当山第44世・中興第1世貫首が四国霊場巡拝の際に頂いてこられたお土砂が埋められ、ここに各霊場の御本尊がお迎えされています。お砂踏み霊場として全国各地からのご信徒の参拝が日々続いています。
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弘法大師遍路尊像に起請す…『昭和48年は真言宗の開祖弘法大師御誕生壱千二百年正当の年である。大師は光仁天皇宝亀5年(西暦774年)6月15日讃岐国多度郡屏風が浦(四国善通寺市)に御誕生幼名を真魚と申し名門の出であった。延暦23年(西紀804年)渡唐し青竜寺恵果阿闍梨に従い受法して真言密教を日本に請来され鎮護国家済世利人を根本信条とせられた。当山はその大師を御本尊としその信条を基として民生安定災厄消除を祈願する霊場である。是を以て御誕生壱千二百年を讃仰して大師遍路の尊像を安置することを発願した。即ち淀橋常夜灯講々元並に世話人各位等深くこの浄業を理解せられてその完成を賛助せらる。奇特の至りに堪えない。乞い願くはこの功徳によって大方の善男善女等の上に無辺の利益を承らしめんことを謹んで起請し奉る。南無大師遍照金剛。昭和48年5月1日大本山金剛山平間寺第44世大僧正隆天』
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お手屋。
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不動堂。
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昭和39年4月落慶。御本尊の不動明王尊像は、成田山新勝寺御本尊の御分躰を勧請し奉ったもの。
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御縁日は毎月28日。武相不動尊霊場第1番札所、関東三十六不動霊場第7番札所。
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不動堂…『当山の不動堂は、御本尊に千葉・成田山新勝寺不動明王の御分躰をおまつりしています。明治23年に建てられた以前の建物は典雅なお堂でありましたが、昭和20年4月、戦災によって焼失しました。現在のお堂は、昭和39年4月に再建されたものです。武相二十八不動尊の第一番札所として信仰をあつめています。ご縁日毎月28日午後3時不動尊大護摩供奉修(鉄筋コンクリート単層入母屋造り、向拝唐破風付)』
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福徳稲荷堂。昭和20年4月15日未明の空襲を逃れた貴重なお堂。
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御祭神は倉稲魂神。毎年2月21日に年祭法要が執り行われます。
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狐一対。
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夢石(奉納原田孝殿)。
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