くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (福島県)

イメージ 10
福島市栄町の大和証券福島支店ビルの隣に鎮座。
イメージ 9
由来…『江戸時代、貞享年間「秋葉祭」と称して、村送りの形で秋葉の神輿を巡行させることが流行した。まさにこの頃より愛宕神社と並び庶民の信仰を集め、各地に秋葉講が組織され、秋葉詣りが盛んであった。現在では「防火の神様」として全国各地に点在する。本社は静岡県天竜市にある。明治14年4月25日、福島村一番町(現在の福島市柳町)の「甚兵衛湯」から出火した火は、またたくまに当時の福島の街の大半を焼く大火事となった。同年、阿武隈河畔の信夫橋のたもとに秋葉神社を勧請した。その後、東北線が開通するとともに、石炭車の火の粉から街を護るために、福島駅近くの青柳通り(現在の栄町)にも秋葉神社が勧請され、現在に至っている。』
イメージ 8
大和証券の前身は藤本ビルブローカーで、当時の敷地内には浅間神社が祀られていたそう。通りに面して秋葉神社があり、大きな藤の木が植えられており、藤権現の祠が2つあり、後に秋葉神社が合祀されたそうです。
イメージ 7
昭和52年に再開発ビルの建設に伴って藤の木も切られ、藤権現の祠は現存しません。ビルの建設に伴って神社を屋上にお祀りする計画もあったそうですが、町会住民の強い意向により現在地に残すことになり、一旦は建築のため場所を移すも完成後には元の地に戻し、社殿や灯籠は新しく寄進されました。なお、鳥居と神殿は昔のままです。平成12年10月6日に秋葉神社奉賛会と地元の町会によって新しく灯籠一対が寄進。
イメージ 6
火よけ丸。
イメージ 4
イメージ 5
『火よけ丸は秋葉神社のおつかいであるカラス天狗をモチーフに平成8年に当神社のマスコットとして制定した。街の繁栄と安全火防を願って平成21年9月に栄町親交会・秋葉神社奉賛会の人々により建立奉納された。』
イメージ 3
火よけ丸台座より…『明治14年柳町一丁目みどり湯から出火した甚兵衛火事は街の大半を焼き尽くした。同年信夫橋のたもとに秋葉神社が勧請された。後年鉄道の開通に伴い蒸気機関車の火粉から街を守る為この地にも勧請し火防を祈願した。』
イメージ 2
手水鉢。
イメージ 1
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 36
浄土宗 究竟山 一乗院 到岸寺。
イメージ 37
慶長5年(1600年)創建。
イメージ 34
イメージ 35
楢葉郡折木(現在の双葉郡広野町)・古本山盛徳寺・第14世一可良憲上人開山。
イメージ 32
イメージ 33
慶長3年頃に福島で布教をしていた上人の説法は福島城下の人々の尊敬を集め、その噂を聞いた福島城の奉行たちが上人を城内に招き聞法したところ、その壮大高貴なる西方極楽浄土の説法に感銘し、この地に永く留まるように懇願。
イメージ 31
上人は福島城より当時城が持っていた金剛界大日如来「杉乃妻大佛」と本堂、伽藍、寺領、仏供米田等の寄進を受け、現在の福島市大町の4分の1ほどの寺地を賜りました。以来、到岸寺は一度も移転せず、大佛城勅願の寺です。
イメージ 30
浄土宗一乗院到岸寺…『慶長年中(1596-1614)に良憲一可により開山。明治14年の福島大火(甚兵衛火事)のとき焼失したが、明治17年に信夫山にあった大日堂を移し再建された。境内には、福島城と縁のある史跡が多数残されている。』
イメージ 29
通称亀の子石(福島城下高札礎石)。
イメージ 28
宝物蔵(土台は板倉藩福島城の石垣であった)。
イメージ 27
安産・子育・延命地蔵尊(信州高遠の石工により元文元年(1736)建立)。
イメージ 26
本堂。
イメージ 23
イメージ 24
イメージ 25
やはり目に見える(笑)
イメージ 22
本堂前。
イメージ 21
到岸寺の御詠歌六番札所の碑より(開山400年記念御詠歌講中一同)…『あさからぬ法の誓いやたうがんじ頼めや大悲とこゑひとこゑ』・浄土宗宗歌宗祖上人の碑(開山400年記念総代世話役員一同)より…『月影のいたらぬ里はなけれどもながむる人の心にぞすむ』。
イメージ 20
杉乃妻永代供養塔(到岸寺開山400年記念事業)。
イメージ 18
イメージ 19
県内最大永代供養塔…『近年の核家族化、少子化、高齢化社会伴いお墓の継承問題に悩まされている方の一助になればと考え、当霊苑内に県内最大級規模を誇る総石造りの永代供養塔を建立いたしました。是非一度ご来苑ください。絶家の心配、独り身の心配、高齢者夫婦の心配、夫婦で信仰が違う心配等々、ご相談に応じます。同じ時代を生きた全ての人々の安楽のためにお困りの方全てを救います。』
イメージ 17
確かに大きいです。周囲のお墓が小さく見えます。
イメージ 15
イメージ 16
杉之妻の大仏大日如来坐像(福島市指定有形文化財:昭和48年11月7日)…『像高235cm・本像は、福島市内の仏像中、坐像としては最大のものである。高い宝髻に日月の宝冠をいただき、ゆったりと結跏趺坐して智挙印を結ぶ、その端正な容姿は、まさに仏の王者大日如来(金剛界)にふさわしい。本像は、かつて大仏城(後の福島城)にあった杉妻大仏を偲んで、宝永年間(1704-1710)に京仏師に依頼したもので、享保4年(1719)に信夫山南麓の大仏堂に安置されてきたものである。やや彫刻的量感に乏しく、絵画的な造型処理も見られるが、高さ320cmの華麗な舟形光背ともども福島の近世仏として稀にみる巨像である。到岸寺は、その布教の縁りによって秘仏の大日如来(杉妻大仏の胎内仏)を蔵してきたが、不幸にも明治14年(1881)の甚兵衛火事によって一切を焼失するに至った。このため、明治17年に御山の大仏像を大仏堂と一緒に移築復元したのが、現在の大日如来像であり本堂である。昭和48年11月7日福島市教育委員会』
イメージ 14
福島県庁(大仏城)の大仏(本尊大日如来像)。杉妻大仏の二世は町なかの大仏さまとして現在も人々の信仰を集めています。
イメージ 13
十三佛供養塔。
イメージ 11
イメージ 12
『この十三佛供養塔の下には当山第廿二世禮誉請阿眞道和尚が1991年にインド釈尊悟りの聖地「ブッダガヤ参拝」のおり福島にお連れした釈迦牟尼佛降魔尊像が鎮座なされております。境内全域と全埋葬者の鎮魂と、参詣の人々のご多幸を永遠に守護する為に「到岸寺開山四百年慶讃」を記念して建立いたしました。根わくは「三界萬霊、西方浄土」に往生せし事を、心より発願するものであります。平成16年春彼岸 南無阿彌陀仏』
イメージ 10
宝物蔵。
イメージ 8
イメージ 9
板倉藩福島城の石垣。
イメージ 7
安産・子育・延命地蔵尊へ。
イメージ 6
元文元年(1736)建立。
イメージ 3
イメージ 4
イメージ 5
南無阿弥陀佛などの碑。
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 8
紅葉山公園(福島城二の丸庭園)内に鎮座。「すぎつま」ではなく「すぎのめ」と読みます。
イメージ 9
福島三稲荷の一社。
イメージ 10
杉妻城(福島城)の北東の鎮護。
イメージ 11
イメージ 12
御祭神は倉稲魂命・天御中主神かな。
イメージ 6
イメージ 7
社殿の神額には「杉妻稲荷神社・小高妙見神社」とあります。
イメージ 5
かつて紅葉山にあった日蓮宗文明院(竹下文明開基)の絡みなのか、相馬妙見三社(相馬小高神社(妙見宮))との絡みなのかはわかりません。宮司さんを尋ねるか、福島市立図書館にでも立ち寄ってれば調べることができたかも知れませんが…アウェイです。
イメージ 4
『この神社は、いま福島市役所分庁舎となっている元郵便局の北通りに、杉妻城(福島城)の艮(東北)の守りとして西向きに建っていたといわれる。つまり、行止りだったのが、郵便局の建設と道路の開さくのため、明治の初めに現在地に移されたものである。単に杉妻社、また杉妻明神ともいわれ、杉妻の里の産土神として崇敬されてきた。建物は天保11年(1840)の再建であるがこれより先の享保21年(1736・元文元年)3月には、神祇管領から、正一位を贈られたほどである。小堂ながら、中に画家一明斎の絵馬や、文人金沢椿山の書などが奉納されていて、信仰の厚さと広がりを示している。』
イメージ 3
社殿内。
イメージ 2
板倉神社境内から見た杉妻稲荷神社。
イメージ 1
イメージ 3
イメージ 2

↑このページのトップヘ