くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:寺・神社 (深浦町) > 寺・神社 (旧岩崎村)

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花崗岩の石鳥居は寛政10年(1798)の紀年銘があり、「當所願主堀内弥五右衛門七戸宗兵衛 寄進取次世話人越後屋庄右衛門大阪堺屋五郎兵衛」とあります。
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岩崎のタブノキ。
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関のタブノキより南に位置しますが、神社周辺に30数本の植生が確認されることから、自生の北限地とされています。
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『タブノキはクスノキ科の常緑高木で、本州、九州、沖縄に分布しています。初夏になると枝先に黄緑色の小さな花を咲かせ、実は秋に黒紫色に熟します。イヌグスとも呼ばれクスノキより劣るとされていますが、樹皮は染料や線香に、材は家具や建築用に用いられるなど、有用な樹種として知られています。また、耐風性、耐潮性に優れ、太平洋側では岩手県中部、日本海側では、当地域の沿岸が北限域となっていることから、植物地理学上極めて貴重なものとされています。』
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元和年中(1615-1623)に五穀成就・天下泰平・国家静謐祈願のため建立。
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かつては毘沙門宮と称しており、後の神仏分離によって武甕槌神社に改称。
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長者丸の船絵馬が奉納されています。この船絵馬は船体の様子、絵馬の様式から天保~弘化頃のものと考えられ、有形文化財に指定されています。
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向拝下。
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本殿。かつては本殿東側に神楽殿があったそうですが、拝殿新築により解体されたそうです。
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毎年12月30日に産土講裸参りが行われ、五穀豊穣と大漁を祈願して、40kgもある献台と呼ばれる俵・注連縄が奉納されるのですが、これらを担ぎながら、農林業守護の武甕槌神社と、漁業船運を司る胸肩神社の二手に分かれて駆け出し、どちらが先に鳥居に俵と注連縄をかけ終えるかを競うそうです。山なら豊作、海なら大漁になるとされます。この裸参りは貴重な民俗文化財として内外に紹介されています。
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狛犬一対。
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表情はまったくわかりません。
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日露戦捷祈願樹の碑。
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末社。左が稲荷宮、中央の祠には奉納された馬の絵馬と岩崎武甕槌神社の御神札(御幣にアタゴの文字)、右は天照皇大神宮と保食神の木製御神札がありました。
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上記の末社群裏手で崩壊していた小祠。
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深浦町久田。御祭神は高皇産霊命、誉田別尊。
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天和元年(1681)に笹森勘解由左衛門(奉行)が久田開田の際に建立と伝えますが、実際はもっと早く創建されたと考えられているそうです。
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久田村の開拓は非常に難工事であり、また開拓民の多くは出羽国村山郡より来たと伝えます。
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かつては竜飛宮と称しており、神仏分離によって高倉神社に改称。
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更に明治44年5月2日森山鎮座の八幡宮を合祀し、高倉八幡神社と改称。
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本殿。
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末社。
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深浦町沢辺というより、合併前の岩崎村沢辺の方がしっくりきますね。
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参道。
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この鳥居はかなり小さめ。子どもサイズ。
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小さな鳥居をくぐって階段を上れば到着。
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かつての沢辺村。貞享4年検地水帳によりますと、除地として稲荷社がみえます。
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集落は海岸沿いの平地に広がっており、明治初年の国誌によりますと、主として鰊その他の漁業で生計を立てていたといいます。
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稲荷神社は集落中央部の山科に鎮座しています。
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草創は不詳。寛文年間(1661-1672)の再建。五穀成就・村中安全を願い建立。
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明治10年4月村社。大正8年2月 神饌幣帛供進社に指定。
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御祭神は倉稲魂神。弁天宮を合祀したと伝えます。
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本殿。
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小川があります。
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境内にはキツネノカミソリ?…オレンジの花がたくさん咲いていて綺麗でした。
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ここには池か何かがあったのかな。
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貞享4年検地水帳によりますと、神明社地・弁才天堂地・観音堂地・八幡社地・毘沙門堂地・愛宕堂地がみえます。
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国誌によりますと字浜野に武甕槌神社に相殿として胸肩神が見えることから、一時武甕槌神社に合祀されていたようです。
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岩崎弁天島には明治29年から昭和47年まで気象庁検潮所が設置されており、水産従事者にとって重要な役割を果たしていたそうです。
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オカモイ様。
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弁才天。
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弁天島の裏側に歩いて行けます。
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小さな蟹が大量にいました。
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裏側から見るとこんな感じ。
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展望。
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御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神。
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貞享4年検地水帳に熊野堂地がみえます。この附近は玉川館跡地(工藤氏)のようです。
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寛永年中(1624-1642)、村中安全のために建立と伝えます。※青森県神社庁HPによりますと草創不詳。破損の際にはその都度村中にて再建。
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国誌によりますと、相殿として境神・稲荷神2・白神山神・武甕槌神・神明宮を祀っています。
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当時の本殿は3尺4方と小さく、雨覆いは建坪2間半4方、この中に本殿を入れ、拝殿を兼ねて、参拝や祭典が出来るように造ったそう(岩崎村史及び深浦町HPより)。
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工藤行雄翁頌徳碑。
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熊野宮から徒歩1分ほどの場所にも鳥居が見えました。
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境内はあまり整備されていません。
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社殿。
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中はかなり荒廃していました。
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末社です。
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じっくりと参詣したかったのですが、蚊の大群が襲ってきたので、すぐに退散してしまいました。
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