くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (今別町)

イメージ 7
社号標裏面(神社新築記念碑・平成2年7月吉日・浜名地区町内会、浜名青年団建立)。
イメージ 8
参道は結構鬱蒼としておりました。
イメージ 9
イメージ 10
参道途中の末社。
イメージ 11
由緒にある神明宮なのかな。
イメージ 12
イメージ 13
不思議な形の石。
イメージ 14
手水石っぽい石。
イメージ 15
神社新築紀念石(明治42年10月3日・濱名青年團献納)。
イメージ 16
黄金塚(平成2年7月吉日)標柱。紀年銘は黄金塚ではなく、この標柱の建立日です。
イメージ 17
っていうか黄金塚って何だろう…肝心の黄金塚の文字は読み取れず。じっくり見たかったんだけど虫が多くて…
イメージ 18
力試石(平成2年7月吉日)標柱と力試石。
イメージ 19
浜名稲荷神社の開創は寛文8年(1668)と伝えます。御祭神は保食神。浜名村に位置し、嘉永3年(1850)の松浦武四郎『東奥沿海日誌』には「村の出口に氏神の社有」、安政2年神社書上帳には集落西端に神明宮を末社とする稲荷宮があります。
イメージ 1
青森県神社庁HPによりますと、延宝7年(1679)の御領内中堂宮帳に、浜名村稲荷宮の境内東西20間、南北7間とあり、宮(2尺4面)は寛文8年建立とあります。貞享元年(1684)に始った田畑屋敷検地調では稲荷神社のほか、神明宮の宮建も有となっていて、拝殿2間に3間となっています。現在の社地は240年ほど前の明和の大地震と津波の後に旧社地から移ってきたものと考えられます。
イメージ 2
出雲構えの狛犬一対。
イメージ 3
イメージ 4
台座「二ツ石鮪漁場」。
イメージ 5
ホウノキ(今別町指定有形文化財・平成2年3月20日)。胸高周囲4m48cm・樹高約16m。ホウノキの古木は県内にはほとんどなく、大きさからいっても貴重なものらしいけど…折れちゃった!?
イメージ 6
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 1
御祭神は保食神。文政7年(1824)の神社書上帳によりますと二股村稲荷宮の名が見えており、創建はそれより前に遡ると考えられます。
イメージ 2
昭和24年に境内地譲与され、杉を植栽して氏子たちで管理してきましたが、平成10年、11年と奥院と拝殿の土台及び屋根の修復にあたり、その経費の一部に境内林の杉があてられたそうです。
イメージ 3
氏子崇敬者が毎朝神社に若水を献げることが長く続いており、祭典時にお詣する氏子たちは互いに重箱詰の食べ物を直会に持ち寄る習わしだったそう。
イメージ 4
拝殿。
イメージ 5
拝殿の注連縄と木鼻。
イメージ 6
イメージ 7
イメージ 8
懸魚。
イメージ 9
拝殿内。
イメージ 10
イメージ 11
囲炉裏がありました。
イメージ 12
稲荷神社境内立木調(合計99本。明治14年7月)。
イメージ 13
その他絵馬など。
イメージ 14
イメージ 15
イメージ 16
イメージ 17
イメージ 18
本殿。
イメージ 19
本殿横にある龍神様御神体御堂(昭和49年4月10日)。
イメージ 20
龍神様。
イメージ 21
崩壊している手水舎。
イメージ 22
イメージ 23
読み取れない石碑。
イメージ 24
稲荷神社の横には二股小学校。
イメージ 25
廃校(※今別小学校に統合)です。
イメージ 26
「明るく健やかに」昭和56年8月1日二股小学校創立30周年記念碑。
イメージ 27
二股小学校閉校記念碑。
イメージ 28
昭和26年4月に開校し、平成15年3月に閉校しています。
イメージ 29
校歌が彫られていました。
イメージ 30
神社から数メートル離れた場所にある馬頭観音堂。
イメージ 31
立派な建物です。
イメージ 32
堂内。結構生活感が漂っています。
イメージ 33
五体ほど祀られていますが、中央が馬頭観世音でしょう。
イメージ 34
イメージ 35
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 1
青森県神社庁HPによりますと御祭神は伊弉諾神、速玉男神、事解男神。貞享4年の陸奥国津軽郡御検地水帳によりますと、熊野堂の社地は16間×8間。貞享4年の支配処社調によりますと、天和3年建立と記されています。宝永元年の社堂境内記からは名称が熊野宮となっています。明治3年の神仏混淆神社調帳では仏体を上納とあります。明治6年には今別神社と合同の祭を行っていますが、同8年には旧に復したといいます。神仏混合の時代は貞享4年の熊野堂という名称の時代より遡るものと思われます。なお、明治初年に時の庄屋嶋中庄左衛門によって、岩木山祠が建てられており、毎年旧8月1日にお山参詣が行われるようになったそう。大川平では同地区西側の小高い山を岩木山と呼んでおり、山頂の大川平岩木山神社に参拝します。
イメージ 2
社殿内の由緒より…『祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命。宮司:澤田瑞穂。正保2年:大川平熊野宮建立。昭和31年2月15日:杉を売却して神殿の修築を行った。大工小鹿由蔵。昭和36年5月1日:境内の杉百石を売却して宮の屋根をトタン葺とした。費用参拾弐万円。昭和36年7月24日:鳥居をカラートタンで包んだ。昭和39年:寄附を募り権現様と衣類を新調した(寄附金ほか弐万参千四百円、獅子頭五千八百円)。昭和48年11月25日:岩木山神社境内地五反九畝を道路工事で売却し立木補償も含めて壱百七拾七万円で拝殿の改修をした。大工平山一男。昭和52年:境内の参道を舗装した。費用六万円。昭和53年9月:大鳥居をコンクリートで建立した。工事者相茂建設相内茂一。昭和54年4月28日:境内と道路の境界にブロック工事をした。平成13年4月18日:神殿の土台と屋根のトタンを葺替えた。費用七拾万円。工事者上山建設代表上山等。11月18日:熊野宮名の小さい幟を新調した。費用参万円。平成16年11月27日:夜半に風速33米の強風で境内の杉が倒れた(幹まわり5米、樹高30米、樹齢凡そ350年)。平成17年7月26日:拝殿の屋根、カラートタン葺きとした。費用六十万円。町会特別会計より支出。工事者佐藤建築板金佐藤文彦。7月30日大鳥居のペンキを塗り替えた。平成17年9月18日筆者嶋中賢一。』
イメージ 3
本殿。
イメージ 4
石灯籠一対(昭和42年11月23日)。
イメージ 5
イメージ 6
狛犬一対(昭和17年旧6月18日)。
イメージ 7
イメージ 8
馬の石碑。
イメージ 9
イメージ 10
馬の石碑…『この馬の石碑は、明和の時代に奉納されました。大川平地区の人々は馬と一緒に山野を切り開き、田畑を耕してきました。馬は貴重な宝でした。現在でも大川平地区の人々は伝統芸能である「荒馬」を行い馬に感謝して暮らしています。』
イメージ 11
夫婦杉。
イメージ 12
夫婦杉…『この2本の杉は、大川平地区の人々から夫婦杉といわれています。杉と杉の間をくぐって祈願します。すると縁が結ばれ夫婦円満幸せに暮らすことができると、昔からいわれています。皆さんも杉の間をくぐって神社で祈願してください。』
イメージ 13
栓とニレの木。
イメージ 14
栓とニレの木…『この栓とニレの木は絡み合って支え合ってそびえ立っています。まるで、愛し合い支え合って暮らしている夫婦の姿です。この2本の木にお祈りしてから神社で祈願してください。きっと夫婦円満、幸せな暮らしができることとおもいます。』
イメージ 15
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 25
今別町へやってきました。
イメージ 24
目的は新幹線ではなく、青函トンネル入口広場にあるトンネル神社です。
イメージ 23
北海道新幹線開業を記念し、今別町浜名地区の住民らによって自費で設置されました。
イメージ 22
由来…『昭和29年9月26日未明台風15号が函館湾を襲来、青函連絡船洞爺丸が遭難し、他の4隻と合わせて、1430名が死亡した。これを契機に翌昭和30年2月津軽海峡ずい道技術調査委員会が設置され海底トンネル建設計画が本格化した。長い期間をかけて断層、地質の調査、また先進導坑による掘削調査、工法技術の研究が行なわれようやく昭和46年9月本坑工事の着手となった。しかし掘り進む間には異常出水や軟弱断層等で苦闘し、難工事も、不撓不屈の精神でこれを克服し昭和60年3月遂に本坑が完全貫通した。この計画は現実的に不可能だとされていたが強い信念により完成することができた。この津軽海峡の海底トンネルを通して交流する風気を堅く信じたトンネルマンの心意気をいま此処で体に感じ「念ずれば願いの一心、岩をも通す」の信念を育み「旅行の安全、家族の健康、縁結び、合格と就職成就」等、幸運をもたらすパワースポットを北海道新幹線開業記念モニュメントとして祠堂を建立し、名称を「トンネル神社」、御神体は「叶明神」とした。』
イメージ 21
トンネル神社祈願効力(願いの一心岩をも通す)…『一.交通安全のご利益。一.合格就業成就のご利益。一.結婚子宝安産のご利益。一.事業繁栄のご利益。一.無病息災のご利益。』
イメージ 20
御神体叶明神。
イメージ 19
トンネル本坑が貫通した際に出た石です。
イメージ 18
貫通石。
イメージ 17
こちらもトンネル本坑が貫通した際に出た岩で、地元住民の方が所有していたもののようで、信念を貫く「貫通石」として設置されました。
イメージ 16
このラインから小銭を投げて…
イメージ 15
石の穴に通ればいいみたい。穴は人工的に開けたものですね。結構難しいです。特にサウスポーは不利。
イメージ 14
北海道新幹線風のトイレ。
イメージ 13
タイミング良く新幹線が来るとのことで、急いで青函トンネル入口広場へ。
イメージ 12
まむしに注意です。
イメージ 11
青函トンネルの本州側の入口。
イメージ 10
ここから全長53.85kmの世界一の海底トンネルで北海道と結ばれています。
イメージ 9
トンネル入口上部の題字「青函随道」の揮毫は、当時の中曽根康弘首相によるもの。
イメージ 8
本州で見る「JR北海道」の文字が新鮮。
イメージ 7
新幹線が来る時はサイレン音が知らせてくれます。
イメージ 6
新しく設置された展望台が逆に邪魔(笑)
イメージ 5
ここを通過する時はそんなにスピードは出ていないらしいです。とはいえ、一瞬ですね。
イメージ 4
以下、案内板より…青函トンネル(津軽海峡海底トンネル)は、津軽海峡の海底約100メートルの地中を掘削してつくられたトンネルで、本州は東津軽郡今別町浜名と北海道は上磯郡知内町湯の里を結ぶ全長53.9キロメートルである。
イメージ 3
青函トンネルのあゆみ
昭和30年2月、津軽海峡ずい道技術調査委員会が設置。
昭和36年2月、深海調査艇による海底調査。
昭和39年5月、北海道側で斜坑掘削開始。
昭和41年3月、本州側で斜坑掘削開始。
昭和42年8月、北海道側で斜坑底に到達、引き続き先進導坑掘削開始。
昭和44年2月、本州側で異常出水(最大湧水量12トン/分)。
昭和45年1月、本州側で斜坑底に到達、引き続き先進導坑掘削開始。
昭和46年9月、北海道側で本工事着手。
昭和49年1月、北海道側で先進導坑で異常出水(最大湧水量16トン/分)。
昭和49年2月、本州側で異常出水(最大湧水量6トン/分)
昭和51年5月、北海道側で先進導坑で異常出水(最大湧水量70トン/分)。
昭和53年10月、北海道側で陸上部が全て貫通。
昭和56年7月、本州側で陸上部が全て貫通。
昭和58年1月、先進導坑貫通。
昭和60年3月、本坑全貫通。
昭和62年10月、青函トンネルを初めて試運転電車が走行。
昭和62年11月、青函トンネル完成。
昭和63年3月13日、海峡線開業、青函連絡船廃止。
イメージ 2
明治6年1月から青森、函館間の津軽海峡を弘明丸が初代青函連絡船として就航し、幾多の船舶に引き継がれた約120年の歴史がこの日を以て閉じられた。
イメージ 1
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 1
東津軽郡今別町。真宗大谷派 高徳山 正行寺。
イメージ 2
イメージ 3
境内由緒より。
イメージ 4
イメージ 5
『正行寺は、1683年(天和3年)釈浄閑によって開創されました。本尊は阿弥陀如来、宗祖は親鸞聖人です。本山は真宗本廟(京都 東本願寺)です。本願(仏のいつくしみの心)を信受し、南無阿弥陀仏を称え、浄土の願いに生きることを宗とします。』※浄閑=弘前円明寺
イメージ 6
飛龍の松…『龍が南天に飛翔しているように見えることからこの名があります。龍は仏法を守護するとされています。樹齢は300年を超えています。』
イメージ 7
イメージ 8
イメージ 9
同寺に泊まった松浦武四郎は東奥沿海日誌の中で、「今別石、世に津軽馬腦と云也、此浜満面此石也、中に含水石有よし聞けり、又此村の風として七月には先祖の墓所に此石を多く持来りて其囲りに寄り、故に寺の墓所は一面此石にて拾わんと云たれば、坊主の申けるに其より墓所にて拾がよしと申ける故に、墓所へ行て其面地光沢を輝せしに甚驚たりける」と記しています。
イメージ 10
イメージ 11
イメージ 12
イメージ 13
今別から一本木に至る海岸で拾える瑪瑙を今別石といい珍重したそう。
イメージ 14
正行寺の目の前は海。気持ちいいー!
イメージ 15
イメージ 3
イメージ 2

↑このページのトップヘ