くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (宮城県)

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宮城県宮城郡松島町磯崎浜。
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2.5
松島には何度か来ておりますが宿泊は初めてです。館内は広くて方向音痴の私はちょっぴり戸惑う造りでした。
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ってことで無駄に遠回りして夕食会場へ笑
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4.4
4.8
バイキング形式で料理はたくさんあったのですが写真はあまり撮っていません。なぜなら盛り付けのセンスに欠けるので。そしてバイキング形式とはいえ、飲み物(お酒)を自分で取りに行くのはかなり面倒ですね。
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ステーキとか牛たんとか牡蠣とか食べまくりました。
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牡蠣の殻だけ載せておきます笑
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お部屋にあったお菓子「絹のしらべ」。どこのお菓子なのかな?と思い、検索したら色々な地域が出てきました。ちなみに食べていません。
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庭園。近くに海があるのかと思ったら、海との間に巨大な庭園(巨大なプールもありました)があったので引き返しました。
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中庭へ。
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日本庭園。
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池があります。
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神社。
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社号標「松島若草弁財天」。
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本殿。
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『その裾が松島タワーの定礎となった弁天島には、鎌倉時代以前から若草神社が祀られてあったが伊達17代貞山公政宗が現在のヘルスセンター敷地を中心とした約三十町歩(約30ヘクタール)にお塩場(髙城塩田)を経営するにあたって、新に弁財天を合祀して磯崎弁天と称し、紫神社とともに髙城塩田東西の守り尊として崇めたものといわれている。昭和10年春、宮城県が松島の公園計画を進めたとき、瑞巌寺百二十六世盤龍和尚の手によって、磯崎弁財天は福浦島に舟積み移管されて今日に至っている。昭和32年、髙城塩田は埋立てを終え、松島温泉ヘルスセンターをはじめとして、皆さんのレクリエーション設備が整えられようとしているとき、松島を訪れる内外の観光客に金運と子宝、世間衆生の喜悦と妙音。即ち経済と平和、子孫繁栄をもたらすものとして、このたび松島若草弁財天が鎮座されたのである。』
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宮城県宮城郡松島町松島町内。
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臨済宗妙心寺派瑞雲峰天麟院。御本尊釈迦如来。伊達政宗公娘伊達五郎八姫の霊廟。寛文3年(1663)三住妙心大機円応禅師洞水和尚開山(※案内板では万治元年開山)。三陸三十三観音霊場第二番札所(聖観世音菩薩・通称いろは観音)。ふるさと宮城路百八地蔵尊第九十二番札所(子育水子地蔵菩薩)。
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釈迦如来座像…『桧材の寄木造りで漆箔をおしている。像高63センチ、彫刻年代は江戸時代。政宗公長女五郎八姫の御霊を祀るため本堂に安置されている。』
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天麟院は、政宗公の正室愛姫との間に生まれたただ一人の娘五郎八(いろは)姫の菩薩を弔った寺で、陽徳院、円通院と並んで松島の三霊廟に数えられています。五郎八姫は、徳川家康の六男で鬼子といわれた松平忠輝のもとへ政略結婚として嫁ぎましたが、忠輝も父家康の政略方法などに反発を強め、大阪夏の陣には参戦しませんでした。そのため、高田75万石を召し上げられます。五郎八姫は離婚して仙台へ戻り仏門に入りましたが、政宗公は不幸な娘に同情して娘の信仰を全面的に援助したといわれています。なお、松島町富山の大仰寺には出家寺の五郎八姫の遺髪、仏舎利があり、門外不出の寺宝となっています。
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五郎八姫(文禄3年6月16日(1594年8月2日)-寛文元年5月8日(1661年6月4日))…『徳川家康の六男・松平忠輝の正室。伊達政宗の長女。母は正室の愛姫(田村清顕の娘)。出家後の院号は天麟院。京都の聚楽第屋敷にて生まれた。政宗と正室の愛姫との間に結婚15年目にして初めて授かった待望の嫡出子であり、当然夫妻は伊達家後継者となる男児誕生を熱望していたであろうが、生まれたのは女児だった。このため、男子名である五郎八しか考えていなかった政宗が、そのまま五郎八姫と命名したといわれている。五郎八姫は、聚楽第から伏見、大坂と各地を転々としたが、慶長4年(1599)1月20日に有力大名との関係を深めようとする徳川家康の策謀の一つとして、家康の六男・松平忠輝(越後高田藩初代藩主)と婚約することとなる。慶長8年(1603)には伏見から江戸に移り、慶長11年(1606)12月24日に忠輝と結婚した。忠輝との仲は睦まじかったが子供は生まれなかったと言われている。元和2年(1616)、忠輝が改易されると離縁され、父の政宗のもとに戻り、以後は仙台で暮らし、仙台城本丸西館に住んだことから、西館殿とも呼ばれた。』(wikipedia一部抜粋)。
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本堂扁額、石灯籠一対。
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三陸三十三観音霊場第二番札所(聖観世音菩薩・通称いろは観音)・永代供養合祀納骨霊廟涅槃境。
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西行法師。台座「西行の露坐像照らす春の月」木庵子。
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西行法師(元永元年-建久元年1118-1190)…『鳥羽院北面武士。佐藤兵衛尉義清。今より約799年前の歌人として有名である。出家して西行といい、法号を円位と称した。建久元年庚戌(1190)2月16日、73歳で入寂した。河内(大阪)弘川寺の草庵にて、西行が陸奥「松島」を69歳で雲水姿で訪れたのは、文治2年(1186)とされている。この石像は、松島の長老坂の中腹の松の下にあったが、大正はじめ、この寺に移されたもので、約200年以上の作と推定されている。辞世に「ねがわくは花の下にて春死なんその如月(二月)の望月のころ」。「西行の露坐像照らす春の月」木庵子。1989(平成)元年2月吉日建立。松島瑞雲峰天麟院』
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子育水子地蔵尊。
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延命地蔵尊。
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池。
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伊達政宗公長女伊達五郎八姫霊屋の地…『政宗と愛姫(めごひめ)の長女で徳川家康の六男松平忠輝の正室。五郎八姫とは、母正室愛姫が生まれた女の子に男名をつけると次は男子が生まれるといういわれから五郎八姫と名づけたと言う。』
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伊達五郎八姫霊屋参道標柱。
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こちらの墓所入口からも行けます。
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参道石段を振り返るの図。
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伊達五郎八姫霊屋。
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伊達五郎八姫霊屋(墓所)…『五郎八姫は、仙台藩62万石の領主である伊達政宗公の長女で、徳川家康公の第6男である高田藩61万石の領主松平忠輝公の正室である五郎八姫は、万治元年5月8日没。享年68歳、法謚を天麟院殿瑞雲全祥尼大姉と号す。寛文3年伊達家4代綱村公によって霊屋が創建され、瑞巌寺第百世天麟院開山洞水和尚の書になる「定照」の扁額が掲げられた。明治2年霊屋が解体、明治22年7月14代伊達宗基伯爵の墓銘になる墓が建立され、仮霊屋として現在に至る。五郎八姫が没後本年で322年になる。墓前左側の大樹のハリ樅は、霊屋創建当時に植えられたもので、松島町の「天然保存木」である。ご参詣の皆さま、由緒ある霊屋を落書で、けがすことなく、「天然保存木」である「ハリ樅」を保護していただくことを、お願いいたします。1983、昭和58年5月吉日瑞雲峰天麟院』
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天麟院のハリモミ。
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天麟院のハリモミ(松島町指定文化財)…『仙台藩祖伊達政宗の長女である五郎八姫(寛文元年=1661没)の霊屋定照殿(じょうしょうでん)の傍らにあります。ハリモミは針樅、別名バラモミ、トラノヲモミ、シロモミなどとも称し、日本特産の常緑針葉樹であるが日光以南の温暖地に見られ、宮城県内での自生は珍しい。幹の周囲が4m、高さ40m以上で、枝下長8.5m、枝の張りが東西20m、南北18m以上に及ぶ。樹齢は300年以上と推定されます。平成13年3月松島町教育委員会』
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天麟院洞窟群へ。
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天麟院洞窟群(松島町指定文化財)…『天麟院は、仙台藩祖伊達政宗と正室陽徳院(愛姫・めごひめ)との第1子で長女である五郎八姫(寛文元年=1661没)の廟所及び菩提寺(万治元年=1658開山)であります。本堂上の霊廟背後には凝灰岩壁を掘削、加工した5つの洞窟があり、北から数え、第1窟は、伊達政宗の3男伊達河内守宗清を供養した塔があり、寛永年間の伊達一族の供養塔があります。第2窟は、政宗の4男岩出山領主伊達三河守宗泰の供養塔を中心に、左右に10人の殉死者の塔があります。その他、天麟院歴代の住職の墓があり、入口には弘安7年(1284)の板碑もあります。平成13年3月松島町教育委員会』
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洞窟は確認できるものの…
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この日は天気が悪かったせいもあり、石窟内は暗い上、かなりの石塔があり、何が何やらわかりませんでした。※板碑はわかりやすい位置(霊屋向って左手)にありましたが写真はありません。
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洞窟内。
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説明省略。
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宮城県宮城郡松島町松島町内。
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三聖堂(松島町指定文化財)…『天和2年(1682)瑞巌寺101世鵬雲によって建てられたこの堂は、方3間素木造、屋根は宝形造で茅葺、正面に一軒の向拝のついた、質朴端正な建物である。堂内正面中央に聖観世音菩薩、左に達磨大師、右に菅原道真を安置したことから三聖堂という。堂は当初北向きに建てられたが、宝永6年(1709)に参拝者の便をはかるため、南向きに改められ現在に至っている。創建以来、屋根替え以外の修理は行われていない。「三聖堂」の扁額は創建者鵬雲の筆による。創建当時の棟札が残されている。平成12年3月松島町教育委員会』
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天和2年、瑞巌寺第百一世鵬雲によって建立。元は瑞巌寺参道側北向きで建立されていた堂を宝永6年に当山百四世夢庵如幻が現在の南向きに変更。これは江戸時代に瑞巌寺で女人禁制の日が月に半分以上もあり、女性がお詣りに中々来られなかったのを解消するために、禁制地の参道を通らずお参りできるようにしたものといいます。
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御本尊の1体聖観世音菩薩は「蜂谷観音」といわれており鎌倉時代初期の作。
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三聖堂の向かいにあるいぶき(柏槙)。
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いぶき(柏槙)…『ひのき科の常緑小高木。いぶきは和名。幹の周囲は1.8m、高さ3m、枝は東西7.6m、南北9mほどに広がっている。樹齢700年以上と推定され、臨済宗円福寺時代から今に伝わる名残りの樹木と言える。いぶきは、禅問答で取りあげられることから禅寺に好んで植えられる。瑞巌寺の前身円福寺の姉妹寺である鎌倉建長寺の境内には、開山大覚禅師蘭渓道隆が手植した巨木がある。平成12年3月松島町教育委員会』
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