くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:寺・神社 (岩手県) > 寺・神社 (盛岡市)

上米内村。字名乗沢の七滝神社は米内村の村社。米内村は米内川流域の谷間に位置。地名の由来としてアイヌ語で「そこに熊が出る沢」という意味があるらしいです(諸説あり)。御祭神は七瀧大神。例祭日8月7日。例大祭では庄ヶ畑さんさ踊り(市指定文化財)が奉納されます。明 ...

岩手県盛岡市内丸。一之鳥居・二之鳥居は下曲輪にあります。神門から見た鳥居。ズーム。盛岡じゃじゃ麺の元祖「白龍」もあります。神門。御祭神は南部光行公(南部家初代・開祖)・南部信直公(盛岡藩初代・南部家26世)・南部利直公(盛岡藩3代・南部家27世)・南部利敬公( ...

盛岡三十三観音第五番。山号は妙法山。本尊千手観音。 通称寺の下のおかんのんさん。 山門には大きな提灯があります。 屋根には南部家の家紋と黄金の鯱鉾。 開山は円秀和尚で延宝年間頃と考えれています。 阿弥陀如来石像延宝5年円秀建立銘。 盛岡砂子・秘仏観音菩 ...

大慈寺町の由来は寛文13年創建の黄檗宗福聚山大慈寺にちなみます。 この地は江戸期から寺の下寺院群と称されていました。 天正年間の創建、あるいは中興と伝えます。 盛岡三十三観音第7番札所。 本尊は釈迦如来。天正3年(1575)尽室長呑が中野村新山館(現在 ...

「盛岡八幡宮 (盛岡市八幡町)」 「笠森稲荷神社 (盛岡八幡宮境内社 / 盛岡市八幡町)」 今回は笠森稲荷ゾーンです。御祭神は岩手県ゆかりの殉国の御英霊およそ3万5800柱。 岩手護國神社は明治天皇の畏き思し召しにより、明治新政の夜明け勤王の大義を固守し国事に殉ぜ ...

「盛岡八幡宮 (盛岡市八幡町)」記事。 今回は笠森稲荷ゾーンです。 明治天皇御聖像。 御聖跡碑。御聖像は昭和50年、碑は昭和15年に建てられました。 御聖像奉建之詞。 明治9年(1876)天皇の東北巡幸の際には当社に行幸を仰ぎ、県産馬を天覧。 田村了咲句碑。 「 ...

盛岡八幡宮は総面積約2万坪の境内に多くの神社が祀られているため、1度に紹介するのは無理。細かい由緒等もネットでいくらでも検索できますので簡単に紹介します。 さて、盛岡八幡宮のホームページを閲覧しますと、大きく護国神社ゾーン・笠森稲荷ゾーン・八幡宮ゾーンの3 ...

盛岡天満宮の狛犬です。 かつては地面に置かれていましたが、昭和8年7月に思郷歌「病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあをぞらの煙かなしも」の歌碑除幕式と同時に啄木の歌を刻んだ台座に据えられました。 阿形の台座には「夏木立中の社の石馬も 汗する日なり 君を ...

天神山に位置します。御祭神は菅原道真。 創建は不詳ですが、盛岡砂子によりますと、寛永2年(1625)まで四ッ家町から花屋町への入口の町裏の土手の上に鎮座。寛文年中(1661-1672)の頃に紙町の中津川沿いの町裏に遷座。同6年に現在の盛岡八幡宮の地へ遷座しましたが ...

町の至るところに設置されているこの看板を辿れば大慈寺に着きます(笑) 大慈寺町の由来は寛文13年(1673)創建の当寺にちなみます。 祇陀寺の東に隣接。 本尊は如意輪観音。 盛岡三十三観音第6番札所。 山門は明治38年(1905)に建てられた竜宮門と呼ばれる形式。 ...

茶畑児童公園(通称ラカン公園)にある五智如来と十六羅漢の尊像。ラカン公園は祇陀寺の末寺宗龍寺跡地(※宗龍寺は明治維新後に祇陀寺に併合され廃寺。堂宇は明治17年11月の大火で焼失)になります。 江戸時代の盛岡藩の4大飢饉といわれる元禄・宝暦・天明・天保の大凶作 ...

盛岡天満宮の南西に位置します。 御祭神は底筒男命、中筒男命、上筒男命、神功皇后。別当は津守越後で航海安全の神として信仰されました。 元は下厨川村境田川原に鎮座した古社で(一説によりますと康平6年(1063)、源八幡太郎義家が厨川の柵政略の際、大阪の住吉大 ...

盛岡といったら…わんこそば?じゃじゃ麺?冷麺? いえ、豆腐です。一世帯当たり豆腐消費量日本一の町盛岡。寄せ豆腐は盛岡発祥で藩政時代より市民から愛されています。 岩手三十三観音霊場第6番札所。本尊・胎蔵界大日如来(12年に1度御開帳)。 右に弘法大 ...

江戸初期に建立したと伝えます。 宝珠盛岡山永福寺の末寺として建立。本尊の大聖不動明王は300年前に比叡山からきた伝教大師の自刻といわれ、霊験あらたかなことで盛岡市民から崇拝されてきました。 愛染横丁は愛染明王像を有する真言宗宝林山愛染院に由来する町名ですが ...

修験宗。寺社修験本末支配之記によりますと、川又村(現岩手郡玉山村)の修験西福院の末流。初めは感応山神通寺と称し、享保14年(1729)5月に京都聖護院から三明院の院号を賜ったと伝えます。 南部家の信仰を得て、祈願につとめますが享保14年4月の大火で堂宇焼失。その後 ...

↑このページのトップヘ