くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:寺・神社 (岩手県) > 寺・神社 (盛岡市)

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盛岡三十三観音第五番。山号は妙法山。本尊千手観音。
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通称寺の下のおかんのんさん。
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山門には大きな提灯があります。
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屋根には南部家の家紋と黄金の鯱鉾。
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開山は円秀和尚で延宝年間頃と考えれています。
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阿弥陀如来石像延宝5年円秀建立銘。
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盛岡砂子・秘仏観音菩薩縁起によりますと、元禄年間盛岡藩4代藩主南部行信により堂宇建立。天明元年(1781)9代藩主南部利正から寺領12石を与えられています。
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旧本寺愛宕山法輪院広福寺(明治維新により廃寺)より移された歴代藩主の一代守本尊八体仏や旧愛宕山太郎坊堂の太郎坊像、旧山岸阿弥陀堂の阿弥陀如来坐像などがあります。
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千手観世音の額は明治35年に12代鈴木盛久氏が奉納したもので南部鉄器です。
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御香台。
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護摩堂。
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厄よけ観音千手院畧縁起。
『本尊千手観音(右:不動明王、左:毘沙門天)。右三尊は寺伝によると春日の作にして当院開山寛智円秀法印元禄年中念願により王城清水の尊体を遷座され、南部三十代藩主行信公の信仰厚く元禄十年堂宇を建立され、その後歴代藩主を初め四民の尊信厚く至心信仰の人々に幾多の不思議な霊験を与え今日に至っている。
当院安置の尊像
本尊千手観音、両脇侍。祭礼7月16日、12月16日 縁日毎月16日・17日。
南部歴代藩主一代守本尊八体仏。虚空蔵菩薩、八幡大菩薩、不動明王、文珠菩薩、大日如来、勢至菩薩、普賢菩薩、太郎坊坐像、盛岡火防神。祭礼4月24日。
弁才天、商売繁昌に霊験あり。毎月1日、15日。
阿弥陀如来座像。市指定文化財。祭礼旧12月14日。
聖徳太子立像。南北朝時代作。
撫牛。交通安全。』
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木造阿弥陀如来坐像は市内山岸にあった阿弥陀堂と称される天台宗護念山西光院は慈覚大師開基と伝えられますが、その阿弥陀堂から本寺に伝えられた古仏像2体のうちの1体。像高79cm、寄木造りの漆箔像。室町時代の地方作といわれており、盛岡城築城以前から天台宗がこの地に深く根付いていたことをうかがい知ることができる貴重な仏尊です。西光院は昭和47年に廃寺となり、本像は千手院に移され、水子供養の本尊として安置されています。
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野田塩ベコの道史跡。江戸時代に古来より塩の産地である野田村の海岸で作られた塩は野田ベコと呼ばれる牛で盛岡方面に運ばれたそうです。200年程前、清右ェ門という牛方が7頭の牛を連れて盛岡へと向かいましたが、暑さのために牛たちが中津川に入ってしまい、運んだ塩は台無しになったそう。それに怒った清右ェ門が牛を叩いてこらしめましたが、牛は千手院に逃げ込みます。千手院五代寓円和尚は、牛には何の罪もないと清右ェ門を説教。清右ェ門は泣きながら弱った牛を撫でましたが、祈りも虚しく牛はそこで亡くなったそうです。悲しんだ清右ェ門は、牛の姿を当時の名工藤田善九郎に頼み、尺五寸、重量十二貫の南蛮鉄の撫牛を千手院に寄進したそう。撫牛は本堂内にあります。
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大慈寺町の由来は寛文13年創建の黄檗宗福聚山大慈寺にちなみます。
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この地は江戸期から寺の下寺院群と称されていました。
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天正年間の創建、あるいは中興と伝えます。
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盛岡三十三観音第7番札所。
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本尊は釈迦如来。天正3年(1575)尽室長呑が中野村新山館(現在の高崩)に一宇を建立。
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源勝寺(当時は紫波郡土館村にあり)9世天室清耽を招請して開山とし、いつの頃か現在地に移転したと伝えます。
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盛岡藩主南部利視の実母浄智院の帰依により、享保14年(1729)に伽藍を造営、寺領10石を賜り、八幡片原町に隠居所を寄進。
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しばしば火災に遭い、明治6年(1873)にも類焼しましたが、同15年に現本堂を竣工。
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寺宝として左甚五郎(江戸時代初期に活躍した伝説的彫刻職人)作と伝える木造七福神があるそう。また盛岡市指定文化財として「十六羅漢図」16幅及び「所記次第」1幅があります。
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今回は笠森稲荷ゾーンです。御祭神は岩手県ゆかりの殉国の御英霊およそ3万5800柱。
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岩手護國神社は明治天皇の畏き思し召しにより、明治新政の夜明け勤王の大義を固守し国事に殉ぜられた郷土の勤王の志士目時隆之進命・中島源蔵命の二柱の御霊を祀るため、明治2年11月2日、岩手郡東中野村茶畑の地に、時の盛岡藩知事南部利恭により創建されました。
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その後、西南戦争、日清日露の両戦役、そして大東亜戦争等幾多の事変戦役で、我が国の平和と繁栄を念じつつ、尊い生命を御国に捧げられた、岩手県ゆかりの御英霊35,700余柱がお祀りされています。
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明治14年、当時の内丸公園地に遷座されましたが、明治39年にはその社地を県社八幡宮の境内に求め遷座されました。
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更に、昭和14年には境内地を拡張して、神明造様式による新たな大社殿が造営され、現在に至っています。
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天皇皇后両陛下(昭和天皇)は、昭和45年10月13日、本県で開催された国民体育大会御臨場の行幸啓の御砌り、畏くも当神社に幣饌料を御奉納の上、御親拝あらせられました。
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招魂斎庭。
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社務所。
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岩手県戦没者遺品館。開館時間は10~16時。御遺族約500名の奉納により、岩手県出身の戦没者の遺品8000余点を展示・保存。昭和60年4月25日、ご遺族をはじめ多くの県民からの寄付によって、平和を祈って建設されたそうです。
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歩兵第三十一連隊戦没者将兵一同之霊。
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ビアク支隊戦没者顕彰碑。
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平和の塔。
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戦没者遺骨奉安殿。
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大東亜戦争無縁遺骨奉安殿とありました。
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ここには身寄りのない戦没者の遺骨を安置しています。
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霊璽簿奉安殿。岩手護国神社に祀られている戦没者と遺族の名前を記した名簿を保管している場所。
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岩手県神社庁より。
『畏くも明治天皇には、維新の大業に際し、殉難死節の士の功勲をご嘉尚せられ、祠宇を設け、厚く祭祀を行うべき旨仰出される。明治2年(1869)11月、藩知事南部利恭は、その聖旨を体し、目時隆之進政明命、中島源蔵常明命二柱を盛岡市東中野茶畑に奉祀したのが本社の創祀である。のちに、官祭招魂社となり戊辰の役、西南の役、日清・日露の戦役、満州事変、支那事変、大東亜戦争に至るまでの殉難の士35000余柱の神霊を祀る。この間にこのお社を、茶畑より盛岡市内丸公園地内に奉遷したが、明治39年(1906)八幡宮境内に、昭和14年(1939)現在地に社殿を造営して岩手護國神社と改称、昭和24年(1949)岩手神社、更に講和条約締結に伴ない昭和28年(1953)岩手護國神社と復称し、現在に至る。』
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神楽殿。
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岩手護國神社入口付近にあった草木之碑。造園のために断ち切られた草木に宿る御霊の慰霊と、草木に関わる神々に感謝を申し上げる祭儀が行われています。
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