くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (田舎館村)

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南津軽郡田舎館村和泉岡本。
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由緒等は以前の記事を参照ください。
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拝殿内は真っ暗で何も見えず。
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和泉鎮守稲荷神社鎮座地蹟碑。
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狛犬一対(昭和31年旧6月16日・和泉村中一同建立・撫牛子桜庭石工)。桜庭石工は撫牛子八幡宮の鳥居の鬼コを製作した石工です。
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手水石。
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本殿。
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本殿横にもう1つ小祠があります。
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周囲に水田が広がり、南に小阿弥堰が流れる東光寺村。正保2年(1645)の津軽知行高之帳の田舎郡の新田に藤光寺村とあります。
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貞享4年検地水帳によりますと八幡社地2畝歩とみえます。
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御祭神は誉田別命。
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最も古い棟札として文化7年(1810)のものがありますが、伝承として宝暦5年(1755)の大飢饉の時に堂が鳴動し、明治2年(1869)の大凶作の後も社殿が鳴動したと伝えます。
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青森県神社庁HPによりますと創建は不詳ですが、古くから東光寺村内に常光寺道という小路があり、その北傍の僅かの場所に祠があったといいます。天文10年(1541)、当村字高田の地の開基で太左衛門という者が移住し、これを深く崇敬。以来、年々移住の者が増加して100年を経て20余りの戸数になったそう。
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天正年間(1573-1591)村中一同協議の上、社殿を新築し、初めて産土神と崇め崇敬し今日に至ります。
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忠魂碑。
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御大典記念碑、庚申塔、力士の碑など。
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末社。
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これは倉庫かな。
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本殿裏からは岩木山が望めます。
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御祭神は倉稲魂神、素盞鳴尊。
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枝川村周辺では浅瀬石川からの取水が行われており、所謂枝川三堰と呼ばれる枝川堰・諏訪堂堰・大曲堰が設けられました。
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旧村社の地内稲荷神社は、かつて神八之助の宅神であったものを、寛永元年(1624)に枝川三堰の守護神として、現在の社地に祠を建立したもの。
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灌漑地域の藩代官を始め、水域農民の崇敬が篤く、年々の祭事には多数の人々が参拝して供物を献じ、盛大なる祭事が行われてきたと伝えます。明治7年5月に村社。
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境内敷石奉納記念碑。
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灯籠と手水舎。
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本殿。
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本殿前の狐。
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かつての境森村。
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御祭神は大日靈尊。
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元禄年間(1688-1704)再建。
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延暦12年(793)6月に坂上田村麻呂が蝦夷退治の際に大日靈尊を祀り大日堂を建立したとの伝説も残します。
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天正6年(1578)に津軽為信公が浪岡城を攻撃の折、当社の森にて休憩し、夢にて天照皇大神の教えを受けて進撃の功を奏すと伝えます。
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明治3年に神仏分離にて神明宮と改称。明治6年村社。
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本殿。
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手水舎。
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御神馬一対。
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狛犬一対。
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庚申塔(弘化3年3月5日)、二十三夜塔。
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百万遍。
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従軍記念碑、御大典記念碑。
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御祭神は天照皇大神。
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かつては修験弥勒院抱えの日月堂(日天月天堂)。
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創建は寛永元年と伝えます。
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垂柳と枝川両村の氏神として崇敬された神体仏号の神社。明治4年の神仏分離の際に神明宮に改称。
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大同2年(807)、坂上田村麻呂が蝦夷征伐に来た折、神仏の加護を受けんとして百余りの神社を建立して祈願。日月の絵を書いた軍旗に改め、見事蝦夷を討ち平らげることができたとし、その際に清浄の地を選んで軍旗を置いたのが垂柳と伝えらています。村民はその旗が風雨に曝さらされるのを恐れ、日月堂を建立して納め崇敬。
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それから400年後の天正年中(1573-1591)、火災に遭いますが、後に田舎舘城主千徳掃部政武の家来福士市左右衛門が再建して産土神として崇敬。日月の像を鋳造。金属を溶かして作り、それを御神体として神殿を造営したと伝えます。明治の神仏分離によって天照皇大神を祀る神明宮になりました。
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石鳥居敷石奉献記念碑。
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不明の石。
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手水舎。
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何やら陸軍に係る碑(明治40年5月16日建立)。
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御神木。
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四方八方、穴がいっぱい。
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三頭木。
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