くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (新郷村)

イメージ 15
一の鳥居です。ここから社殿近くまで車で行くことが可能ですが、本来の参道を進みたい方は、途中から石段となるのでここから歩いた方がいいです。
イメージ 16
社号標(昭和44年1月26日・42歳厄年拂記念)。
イメージ 17
狛犬一対。
イメージ 18
イメージ 19
台座。「昭和46年度厄祓祈願者一同」「昭和47年度厄祓祈願者一同」。
イメージ 20
イメージ 21
石灯篭一対。
イメージ 22
イメージ 23
正面のあの山の中に鎮座しています。巨木ばかりですが、正面のイチョウの木が目立ちますね。
イメージ 24
そのイチョウです。
イメージ 25
イメージ 26
他の巨木も中々でございます。
イメージ 27
イメージ 28
イメージ 29
イチョウを過ぎるとすぐに次の鳥居が見えます。
イメージ 30
二の鳥居付近から見た一の鳥居。
イメージ 31
車で来るとこの鳥居から向かう正面参道は迂回することになります。
イメージ 32
参道脇に石碑がいくつかあります。石段に関する記念碑です。
イメージ 33
一ノ段「西越字田中 田島吉太郎奉納・戸耒字金ヶ沢 髙橋工務店施工・昭和60年8月16日敬白」
イメージ 34
二ノ段「西越字田中 田島博奉納・昭和60年8月16日敬白」
イメージ 35
イメージ 36
結構勾配がきついですね。
イメージ 37
手水石(昭和59年8月16日)。
イメージ 38
御神木。
イメージ 39
途中に随身門があります。
イメージ 40
随身門。
イメージ 41
かなり個性的ですね。歌舞伎役者にしか見えません。もしくは健康ランドの大衆演劇。
イメージ 42
イメージ 43
平成24年8月16日に修復されています。
イメージ 44
最後の石段と社殿前の鳥居。私の下調べでは、拝殿前の大鳥居は西越部落の氏子連中奉納、参道入口の赤い鳥居は田中部落の氏子連中奉納とありましたが、どうやら変わっているようですね。
イメージ 45
随身門を振り返るの図。
イメージ 46
御神木。
イメージ 47
鳥居扁額には「三嶽社」。
イメージ 1
厄払者による奉納が多いですね。
イメージ 2
新郷村西越の三岳神社は神仏分離で倉稲魂命(農事の神)を祀りますが、古い伝えに、昔は三女神が祀られていて、一人は戸来に、一人は貝守に祀られるようになりましたが、旱魃に雨乞いすると必ず雨を降らせてくれると伝えます。しかし棟札では、三岳山蛇王権現とあり、竜神であるといいます。『水神竜神 十和田信仰』(小館衷三)にも次のようにあります…『(前略)明治の神仏分離にさいして倉稲魂命を祀る。古い伝えに、昔、三女神が祀られていて、一人は戸来に、一人は貝守に祀られるようになったが、旱魃に雨乞すると必ず雨を降らせてくれる。これはミタケのミが水のことであるし、雨を恵んでくれるから水の神であるとしているが、あてにならないと新撰陸奥国誌の編者は述べ、さらに「奉建立 安永五歳 三岳山蛇王権現諸願成就 丙申十一月中五吉辰 三戸郡西越村 別当市助」の棟札を載せ、蛇王は竜神であるから雨乞の御利益があるのだとしている。この二つの説は、吉野蔵王信仰の実際をあまりによく説明しているので驚いた。前に述べたように、吉野の水分神社の水神性、三女神の御子守神性、吉野山を取りまく川上三社(竜神)の水神性、みろく浄土としての吉野山、これらがはるばる青森県にまで伝播され定着しているのである。』
イメージ 3
創建年代は不詳です。かつては三嶽山藏王権現と称しており、 神社設立の際、 三嶽神社と改称。昭和23年4月、無償にて境内地の譲与を受けています。元庭は西越部落の西方の高地で館山という山林地内の一角です。安永5年11月15日に移転。当神社については新郷村史にかなり詳しく掲載されていますのでそちらもご参照ください。
イメージ 4
御祭神は宇迦之御魂命(倉稲魂命)、豊受大神。例祭日は8月16日。
イメージ 5
拝殿蟇股。須佐之男命・八俣遠呂智ですかね。
イメージ 6
木鼻。
イメージ 7
イメージ 8
海老虹梁。
イメージ 9
手鋏も組物も派手です。
イメージ 10
イメージ 11
拝殿向拝神額。扉も派手です。
イメージ 12
拝殿内は地味です…っていうより暗くて見えず。
イメージ 13
長くなりましたので『西越三嶽神社(新郷村)~其之弐』へ続く…
イメージ 14
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 26
三嶽神社(新郷村戸来)』からの続き。
イメージ 27
水害記念碑(昭和10年)。竹内巨麿(武内巨麿)が古文書(竹内文書)をもとに戸来村を訪れて十来塚を発見した年ですね。さてはノアの方舟とも関係が…
イメージ 28
三嶽神社有地記念碑(昭和29年11月建立)。裏面には『昭和5年3月21日、村有地字丹内澤番一号山林、内立木共六丁三反一畝二十歩、神社有地トシテ寄附決議者、昭和28年4月15日登記完了者(名は省略)』などと彫られていました。
イメージ 29
こちらは正面に「川崎東洋洗濯機械製作所」とあります。洗濯機なの!?いつの時代の洗濯機なの!?平成生まれの私にはわかりません。っていうか…それ以前の問題としてなぜここに?(笑)中には洗濯物はなく、枯葉などが詰まっていました。
イメージ 30
明治37、38年役従軍記念碑(常陸齋藤敬正謹書)。
イメージ 31
こちらも從軍紀年碑。
イメージ 32
手水舎。
イメージ 33
手水石には南部家家紋の向鶴。
イメージ 34
神門。
イメージ 35
神門前の狛犬一対。
イメージ 36
イメージ 37
昭和9年8月19日。奉納者、戸来村字沢口澤口喜好、戸来村字金ヶ沢山岸兼松他
イメージ 38
イメージ 39
神門をくぐって石段を上ります。
イメージ 40
鳥居と拝殿が見えてきます。
イメージ 41
石段親柱(創建一千百年記念・昭和37年8月18日)。
イメージ 42
イメージ 43
石段上の鳥居。
イメージ 44
鳥居横の小さな狛犬(明治40年6月・奈良縣石工平井庄太郎)。
イメージ 45
イメージ 46
イメージ 47
かなり小さいです。足元のお賽銭が500円玉に見えるくらい(実際は1円玉)。
イメージ 48
イメージ 49
石灯篭一対(昭和37年8月19日建立)。
イメージ 50
イメージ 51
使用されていない手水石。
イメージ 52
灯篭と狛犬を比較。
イメージ 53
古色蒼然たる神威の崇厳を窮める旧御社で、皇朝第56代清和天皇の御代貞観5年7月19日(今日から1140年前)の創建。数々の神話と伝説に包まれた古社の境内には、樹齢500年とも800年ともと言われる欅をはじめ、古木大樹が林立して昼なお暗く、歴史的な重みを感じさせます。
イメージ 54
御祭神は宇迦之御魂命。所謂稲荷神社ですが、一説には新郷村ゆかりの聖人を祀るともいわれています。例祭日は8月19日。清和天皇御宇貞観5年(863)7月19日より明治28年まで1033年の歴史を持つ古社。永正、明和の2回の火災と、天保年間の凶災のため人心の乱れのための盗難によって諸資料紛失。宇賀神を祀っていましたが、十二薬師とも三嶽山大権現とも唱え奉られていました。萬延元年一千百年祭を執行するにあたり、第三十二座正一位三嶽大明神と、荒神宮へは第一百十一座勅宜荒神宮が盛岡藩士家老戸来官左ェ門秀包により勧請。明治元年4月15日郷社。昭和21年3月24日宗教法人令によって神社規則を承認され、神社本庁に所属し、昭和24年11月に国有境内地の無償譲与の許可を受けています。合祀社…勅宜荒神宮(第111坐神直日命)、大神宮(天照皇大神宮)、八幡宮(品多別命)、鹿島神社(武甕槌命)、袖前神社(宇気母持命)、石上神社(大和石上分霊)、雨龍神社(霊神社・高おかみ神)、八坂神社(素弟鳴命)、稲荷神社(蒼魂命)、天満宮(菅原大人)、力神社(天之手力雄命)。
イメージ 55
拝殿向拝神額。
イメージ 56
なお蟇股の裏側に…
イメージ 57
賽銭箱があります。初めてのパターン。っていうか気付きません。
イメージ 58
拝殿内。
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
本殿。
イメージ 4
古そうな狛犬が見えます。
イメージ 5
本殿狛犬一対。木製ですね。
イメージ 6
イメージ 7
本殿脇障子。
イメージ 8
イメージ 9
拝殿向かって右側。
イメージ 10
社務所でしょうか。社殿と繋がっています。
イメージ 11
っていうか長いです。
イメージ 12
拝殿向かって左側へ。
イメージ 13
末社。
イメージ 14
イメージ 15
荒れてます。何かはわからず。
イメージ 16
末社。
イメージ 17
駒形神社でしょうか。判断はしかねますが。
イメージ 18
イメージ 19
イメージ 20
末社。
イメージ 21
イメージ 22
1つは馬やら牛やら狐やら大黒様やら。
イメージ 23
もう1つは高山稲荷大明神分祀社。昭和39年8月25日建立。
イメージ 24
以上、新郷村戸来の三嶽神社でした。なお、当神社については新郷村史にかなり詳しく掲載されていますので、そちらをご参照ください。
イメージ 25
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 2
三戸郡新郷村戸来字三嶽下。慶応3年の給地は戸来守285石余、戸来又兵衛263石余、戸来六衛門88石余で、すべて戸来氏一族が知行していました。西の十和田湖を経て津軽や秋田に至る小道筋にあり、戸来氏は藩命をえて番所を開設し、番人を配置していました。支村の田中には修験の五戸年行事の多門院が在住。多門院は本山派の修験を統轄し、霞は貞享4年の年行事職補任状(細川家文書)に「陸奥国南部三戸六戸七戸之内六拾七箇村」とみえ、五戸通を中心に三戸通から七戸・野辺地通までの広範囲に及んでいました。宝暦5年の社地堂社書上に堂社39か所、修験64人、神子6人、霞村153か村(小字数)とあり、その勢力は三閉伊年行事の寿松院に次ぐものでした。多門院直轄の堂社は当村内の三岳山観音堂・新山権現宮・白山権現・川台大明神・毘沙門堂の5社。村内には戸来氏創建の曹洞宗金沢山長泉寺があり、元は獅子咬山朝仙庵と称したといいます。神社は三岳堂があり、例祭日には金ケ沢鶏舞が演じられます。金ヶ沢鶏舞は金ヶ沢地区に数百年前から継承されてきた郷土芸能で、県無形民俗文化財(昭和51年6月26日指定)となっており、毎年盆の期間に墓地で供養の墓念仏を踊り、その後各家を回って先祖供養をします。8月20日の三嶽神社、9月1日の五戸町稲荷神社の例祭にも踊りを奉納。鶏舞・七つ道具・さんさの3演目があります。タイシカという太夫とその相手のシケンバイが鍬形の兜をかぶり、トリという踊り手は鶏形の烏帽子を付けて跳ねます。ハナと呼ぶ六角灯籠を中心に、笛・太鼓・手平鉦・ささらの囃子で庭入りし、三国という供養の歌に合わせて一本扇・サンパ・高太刀など10種目があります。七つ道具では太鼓・杵・太刀・棒・長刀・手平鉦・ささら・笛が庭入りし、太鼓の拍子の変化に応じて5種目を踊ります。八幡太郎義家が奥州征討の際、三嶽神社で戦勝を祈願し、白鶏赤鶏に蹴りあいをさせて戦況を占い、主従武者揃の式を挙げて士気を鼓舞したことのに始まると伝え、また、文政8年新郷村の長泉寺の新築落成で、岩手ニ戸郡から指導者を招いて踊ったともいわれているそうです。
イメージ 3
国道454号沿いに入口が3ヶ所もありました。こちらは東側の鳥居。
イメージ 4
東の鳥居近くにある三嶽神社東西大鳥居建立碑(昭和58年8月19日)…『三嶽神社は、三十二鳩嶺座宇迦之御魂命を主祭神に、神直日命を御相殿の神と仰ぎ、皇朝五十六代清和天皇貞観五年癸未七月十九日開基による県内希に見る古社なり。創建一千百二十年の祭りにあたり東西両参道大鳥居の建立に際し、氏子崇敬者中より各自、金壱万円の献金あり、誠に敬神の志篤きおこないなり。これを顕彰して各々その姓名を刻み後世に伝ふるためこの碑を建つるものなり。(以下寄付者芳名は省略)』
イメージ 5
中央の白い鳥居。
イメージ 1
中央の鳥居からの参道石段。
イメージ 6
イメージ 7
中央の鳥居脇の社号標と一千百年祭記念碑。
イメージ 8
イメージ 9
中央石段上の鳥居。
イメージ 10
西の鳥居。
イメージ 11
イメージ 12
西の鳥居からの参道。
イメージ 13
西の鳥居からの参道(上から)。
イメージ 14
中央の鳥居と東の鳥居の間には石碑群(様々な石塔ほか、「軍艦夕張108號輸送艦記念碑 大東亜戦争五拾週年海軍ドラマ千字文 ラバウル サイパン 硫黄島 高雄 香港 トラック パラオ マニラ 厦門 九龍 平成4年4月建立 海軍二等機関兵曹 機関科甲板助手 大和幸一郎謹書」「香港海戦」「米内光政」「笹川良一先生」などの文字が見えました。)がありました。大雨だったのでよく見ていませんが、頂いた情報によりますと神社とは無関係で個人宅のようです。
イメージ 44
ちなみに各鳥居の位置関係はこのような感じ。車の方は東側から行くと駐車場まで行けます。
イメージ 15
中央もしくは東の鳥居から上ってくると、欅(ケヤキ)の御神木が見えてきます。
イメージ 16
イメージ 17
樹齢は500-800年(推定樹齢650年)といわれております。
イメージ 18
ちょっと大雑把な推定樹齢ですが、神社の創建年を考慮するとどちらでもいい気になります。
イメージ 19
イメージ 20
欅の横にあった伊勢神宮・熊野大社参拝記念碑(平成4年3月3日建立)。禰宜、責任役員、神社功労者、神事係、一般参加者などの名前が彫られています。
イメージ 21
欅から少し進むと更に鳥居があります。
イメージ 22
創建一千百五十年記念鳥居。
イメージ 23
鳥居の脇にあった石碑。まったく読めず…もしかして裏だった?笑
イメージ 24
狛犬一対(昭和11年8月19日)。
イメージ 25
イメージ 26
石工吉田熊吉(盛岡市神子田)。
イメージ 27
イメージ 28
台座「満州事變從軍記念」。
イメージ 29
イメージ 30
台座裏面碑文。
イメージ 31
イメージ 32
石灯篭一対(明治37年7月19日)。
イメージ 33
イメージ 34
防火かん水池。
イメージ 35
長床。
イメージ 36
中には三嶽神社夏まつり時の写真や、新郷児童クラブ・しんごう保育園の皆様の作品などが展示されていました。
イメージ 37
イメージ 38
三嶽下生活環境保全林案内図。
イメージ 39
イメージ 40
三嶽下生活環境保全林案内図によりますと、作業歩道がこのようにあり、三嶽神社を1周するような形で様々な樹木等を見らえるようですが、天気が悪かったので行きませんでした。
イメージ 41
イメージ 42
イメージ 43
イメージ 3
イメージ 2

↑このページのトップヘ