くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:寺・神社 (つがる市) > 寺・神社 (旧木造町)

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青森県つがる市木造兼館高取。県道162号線沿い。
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かつての兼館村。新田開発により天和2年(1682)の開村。享保12年(1727)広須新田広須通り23か村の内の1村として見えます。
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神社として地内南西端に宝永2年創建の八幡宮が見えます。八幡宮は明治初年に一時期蓮川村月夜見神社に合祀、後復社。
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社号標(大正14年5月15日)。
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御神木。
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御祭神は誉田別尊。例祭日は7月15日。寶永2年(1705)創立。
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明治9年旧社格を村社に列格。大正6年神饌幣帛料供進指定。
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大黒天神塚。
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弘化3年6月11日。
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狛犬一対。
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11.5
石灯籠一対(昭和40年11月15日)。
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12.5
庚申塔(昭和35年11月28日)。
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馬頭観音。
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小祠。
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う~ん…
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馬頭観音かな。
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出精川沿いに美しい松並木があります。元禄年間に赤穂義士の快挙になぞらって47本の松を植えましたが、その一部です。戦時中に松根油採取のために伐採されたため、現在は全龍寺境内にその一部が名残りを留めています。
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門前の六地蔵。
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當寺開創三百年記念碑(全龍寺廿三世普岳泰潤書)。
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大門及土留敷石等寄附者名碑。
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こちらも大門及土留敷石等寄附者名碑
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灯籠一対。
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青森県つがる市木造蓮川清川。かつての蓮川村で、村内の神社仏閣として、村内を東西に横断する道の南側に延宝7年草創の月夜見神社があります。元飛竜宮であり、明治3年の神仏分離に際して仏像を弘前の最勝院に納めて月夜見神社となっています。また、同社境内の観音堂は正徳2年の創建。村の南東端の清川に曹洞宗瑞光山全竜寺が見えます。
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曹洞宗瑞光山全龍寺。御本尊釈迦如来。津軽八十八所霊場第79番札所十一面観世音菩薩。
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開山は弘前の長勝寺12世徒伯で、蓮川村を開いた蓮花田村小山内作右衛門が貞享3年に開基。なお、同寺草創については延宝3年小山内作左衛門によるとも伝えます。
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また、文献によって少々異なる部分がありますが…蓮川村が開村となった翌年の貞享3年(1686)、越後から来た宗鉄(号は随応)が、弘前の長勝寺16世船叟徒泊大和尚に依頼して開山。津軽藩士小山内作左衛門がほとんど独力で建立。梵鐘鋳造寄進者芳名録に「-伽藍諸堂を建立し同時に梵鐘鋳造の大願を発し檀力を結集して之を完成した-」とあります。小山内は元禄10年2月に死去し、後に竜巖院殿清山浄川居士の法名がおくられ、子孫は蓮花田で農業を営んでいるそうです(現在もそうであるかは不明)。文政7年、慶応2年、明治26年の3回にわたって火災に遭っており什物など焼失。現在の庫裏は明治26年、本堂は33年に完成。梵鐘は4回鋳造されています(明和元年、明和8年、弘化3年、昭和38年)。薬師堂は昭和30年に完成。ガンダラ文化の手法を取り入れたエキゾチックな薬師如来像で、仏像前の「瑠璃光」掲額は永平寺の熊沢泰禅貫首が書き、中野桂樹(蓮川出身)がノミをふるったもので宝物の1つです。なお、寺宝として大般若経六百巻もあります。
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地蔵堂。
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有縁無縁三界萬霊塔(明治44年3月20日)。
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三十三観音。
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聖観世音菩薩(台座:圓通)。
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髪塔(昭和63年7月)。
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高祖道元禅師750回大遠忌記念(平成14年3月1日-10月20日奉修・平成14年7月7日早農諷経 焼香師当山23世謹修)。
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こちらは何でしょうね。
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冒頭で述べた赤穂義士の快挙になぞらって植えられた松でしょうか。
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梵鐘鋳造・鐘楼堂新築寄進者名碑。
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鐘楼堂。
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梵鐘。
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福寿観音(平成22年8月)。
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青森県つがる市木造宮崎。
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木造駅の裏付近です。
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なにげに木造駅の裏側を初めて見ました。
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鎮守の杜というよりも…
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荒れているだけといった感じ。
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管理する人がいないのかな。
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狐一対。立派な狐です。紀年銘等の確認は無理。
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こちらは台座に…「川村豊太郎■像」と見えます。
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恐らく像があったのかと思われますが、足しか残されていません。
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社殿です。
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地図等にもしっかりと記されている神社ですが、由緒等はわかりませんでした。
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社殿内。松岡稲荷大神とあります。幟には平成7年旧3月10日の紀年銘も見えます。
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意外に広いです。
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少し掃除すれば綺麗になりそうです。
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青森県つがる市木造出野里山吹。
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かつての出野里村。
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出野里村の神社仏閣として、集落西部に貞享3年創建(もしくは正徳6年)の神明宮ほか、集落北部に元禄10年(もしくは元禄15年)草創の浄土宗出里山無量院が見えます。御本尊聖観世音菩薩。
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無量院は過去に2度の大火、水害に遭っており、焼失や流出により古い仏像及び記録等は残されていません。
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過去帳によりますと、「大善寺四代祖廓和尚開基。当寺造立元禄五年四月八日。境内反別一畝十七歩」とあります。更にこの後に「良東上人=天保七年三月十二日、貞昌寺から。良順長老=嘉永三年七月貞昌寺から来て蟹田専念寺へ。良直上人=天保九年四月専念寺から。良乗上人=天保十一年四月深浦より」と4名の住職の名があるだけで何代かは書かれていません。
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津軽八十八所霊場第78番。
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観音堂。
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観音堂内。
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私の下調べでは確か阿弥陀如来だったのですが…記憶違いかな…。向って左から水子観音・聖観音・地蔵菩薩です。
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「出里山 岩木の流れ清ければ 無量諸仏の迎えぞ待つ」
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隣に閻魔大王と奪衣婆。
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こちらは弘法大師像かな。網代笠というより…お椀もしくはヘルメットみたい。
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地蔵堂(※観音堂と同じ建物)。次のような伝説があります。明治初めの2月14日、冬では珍しい大水にて堤防決壊。寺を中心に付近一帯が大きな沼と化してしまいました。60日間も沼のような状態が続きましたが、ある日突然、境内に祀ってあった石の地蔵様が浮き上がり、沼の中をぐるぐると何回も回り始めました。その後、水が引き始めたと云います。以来、その地蔵様は浮き地蔵と呼ばれるようになりました。浮き地蔵は今も地蔵堂に祀ってあります。また、無量院から南へ約100mのところに「沼」の俗称が残っているといいます。この洪水があってから10年後に、寺の西側にあるセキの中から一冊の過去帳が見つかりました。上記で紹介した過去帳です。厚めの和紙を使用していたのと、土の中に埋まっていたことから29日、30日の分が欠如しているだけの状態でした。
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木造町史か何かの文献にて浮き地蔵の写真を見たことあるのですが、あまり特徴がなかったと記憶していて、どれが浮き地蔵かはわかりませんでした。
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宗祖圓光大師碑・百萬遍(平成10年8月)。
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無量院廿一世中興開山正僧正佐藤徳亮大和尚。
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戦歿者慰霊之碑(出精遺族會建立)。
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青森県つがる市木造芦沼雲雀野。県道162号線。かつての芦沼村で延宝年間に開拓された村です。
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恐らく馬頭観音です。
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もう一つ祠がありますが中は確認していません。よって水虎様かどうかはわかりません。たぶん違うと思います。『水虎様への旅~農業土木文化の時空』には記載なし。
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塞神と猿田彦大神(弘化2年7月1日)。
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