くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (十和田市)

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青森県十和田市三本木稲吉。
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曹洞宗高雲山観音寺。
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由緒等については公式HPがありますのでそちらも参照ください。
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曹洞宗高雲山観音寺縁由…『開山:村松幸榮。開基:苫米地眞宗。曹洞宗は、鎌倉時代に開祖永平寺開山高祖道元禅師が、釈迦の教えである正伝の佛法を中国から我が国に伝え、宗旨の根本を確立した。その宗旨は、歴代の祖師方によって受け継がれ、特に四代目総持寺開山太祖瑩山禅師によってあまねく日本国中に広められ、今日全国に1万5千余の寺院とおよそ1千万檀信徒を擁する我が国で最大の宗派となっている。曹洞宗では、一佛両祖即ち本尊のお釈迦様と両祖太師を敬い礼拝し、諸佛菩薩を信仰している。観音寺では、ご本尊に聖観世音菩薩をお祀りしている。観音菩薩は、佛教における代表的な「救世」の佛様であり、世の中総ての悩みを聞いてくれる無差別平等の救済力を持つ佛様である。両祖様は、共に観世音菩薩に深く帰命していたとされている。道元禅師は中国より還郷の時に観音菩薩によって守護された。瑩山禅師は出生の因縁など観音菩薩に相通じるものがあり、開基様はそのようなことを深く心に止められたのであろう。開基様は、寺院建立の縁由を著書に書き残している。「私は、5歳の時に母と祖母を亡くし、後の母も15歳の時に逝った。母や肉親への思慕の情は押さえようもなかった。昭和13年に、私は近衛歩兵第一聯隊に入隊した。南支那方面では多くの戦友の死傷に遭遇し、私も負傷して野戦病院に収容され、そんな中でもし生還できたら亡き母たちや幼くして逝った妹や、戦友たちの御霊を供養しようと心に誓った。今、寺院建立を決意して稲吉の台地に立ち、蒼々と広がる美田や躍進著しい街並みを眺望しながら、開祖新渡戸傳翁の慧眼に改めて畏敬の念を深くした。私は、稲吉の丘に寺院建立を発願し、その成就に余生を捧げる。」開基様は、寺院建立に不退転の決意をされ、開山五百十有余年の名刹、光明山高雲寺24世村松幸榮老師を開山大和尚として拝請し、本尊に聖観世音菩薩を祀り、高雲山観音寺を建立された。茲に、開山様と開基様の深いご慈悲と卓越した識見と、これに賛同し発願成就に献身された発起人各位の恩徳に感謝報恩の誠を捧げ、併せて、特段のご理解をもって浄財喜捨勧進にご協力を賜りました檀信徒各位の篤心を、観音寺歴史の序章として後世に記すものである。【発起人】村松幸榮、苫米地眞宗、竹ヶ原拓治、竹ヶ原正彦、佐々木陸奥男、小林正人、苫米地良助、小山田武信、小山田紀夫、久保田亥三郎、苫米地勇作、小山田常夫、栗山金雄、泉山徳治。【沿革(抄)】昭和61年1月25日本堂落慶式・入佛開眼供養・竣工祝賀会。昭和61年12月25日宗教法人「高雲山観音寺」設立。昭和62年9月30日観音寺二世住職前田憲良就任。平成9年1月17日10周年記念事業-位牌堂落慶式・檀信徒玄関、書院、庫裡他増改築。平成16年10月5日観音寺2世住職前田憲良、晋山・結制式。平成16年10月5日20周年記念事業-山門、鐘楼堂落慶式、記念碑建立、記念誌発刊。尚、この間に墓地拡張、境内整備、参道舗装、駐車場整備等聖苑構築。(以下、観音寺開創20周年記念事業実行委員名省略)維持平成16年10月5日。撰文:元十和田市立十和田中学校校長宮崎義久。』
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HPより一部抜粋…『新渡戸傳は、安政2年(1855)三本木原開墾に着手。最も困難を極めた奥入瀬川から三本木台地への上水は、安政6年5月4日遂に通水。傳の意志は息子十次郎へ受け継がれ京都の条里制にならい、道を碁盤の目状に配した近代都市基盤の構築。明治30年植民募集の計画を立て、最初の入植は福島県よりの25戸であった。この不毛の地と言われた原野、度重なる冷害・凶作、そして戦争。入植した人々の風俗習慣の違いと貧困。こうした中近隣の方々の保護・援助・指導・励ましを戴きながら、不撓不屈の精神でたゆまざる努力によって今日の繁栄を築くに至ったが、その三本木には昔より寺がなくずっと不便を強いられてきた。開基苫米地眞宗氏は、「私が5歳の時、母と祖母を亡くし、その後の母も15歳の時に逝った。母や肉親への思慕の情は抑えようもなかった。昭和13年に、私は近衛歩兵第一聯隊に入隊した。南支那方面では多くの戦友の死傷に遭遇し、私も負傷して野戦病院に収容され、そんな中でもし生還できたら亡き母たちや幼くして逝った妹や、戦友たちの御霊を供養しようと心に誓った。」と綴っている。寺院建立発起人委員会を立ち上げ多くの人達の努力の末、住職を五戸町高雲寺住職村松幸榮老師へお願いし。昭和60年12月20日に念願の宗教法人観音寺を設立。』
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本堂。
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聖観世音菩薩(維持平成16年1月18日・観音寺二世法濟憲良代建立)。
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鐘楼堂。
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梵鐘。
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ガラス越しですが…
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狛犬・灯篭一対。
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12.5
六地蔵。服が素敵です。
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青森県十和田市相坂高見。相坂六日町との境。
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小祠が3基。
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向かって左の小祠。
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影沼大明神。『水神竜神 十和田信仰』には大池神社 (十和田市相坂)の末社19社の内の1社として、水罔象女命を祀る影沼神社があるとの記載が見られます。『青森の伝説』には次のように記されています。「(十和田)市内、六日町の駒形神社の下に、昔、影沼という大きな沼があった。この沼の水に影を映すと、その人は死ぬといって戒められた。近くの折茂部落にも、同じ伝えをもつ影沼があった。」。
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真ん中の小祠。
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駒形神社。平成14年8月21日遷座祭・再建立。御祭神は保食神(身心安穏・衆病悉除・寿命長延・福禄円満)。斎主に大池神社宮司の名が見えます。
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向って右の小祠。棟札には高見護水大明神、御祭神は保食命と見えます。祭日は8月21日。
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縁起…『高見護水大明神縁起…宝暦四甲戌年(1754)南部藩御領分中神社調より高見護水神社祭神保食命お堂二尺九寸~一尺九寸とあり往時は六日町農民達にお堂建立し崇敬されてきたがそれが何時の頃か失われ村内中に厄災多発す占卜達に依水神お再建の必要性強調に依り昭和七年四月四日當六日町住信者一同(代表苫米地たけ)に依り大工苫米地徳三郎再(建立)興された。昭和六拾三年十二月二十三日苫米地広治』※自信はありませんが大体の内容は合っていると思います。
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十和田市法量焼山。
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奥入瀬渓流の玄関口となる焼山地区の十和田湖温泉郷。毎年7月下旬にはうしの湯祭りが開催されます。土用の丑の日に温泉に入ると1年間は病気に罹らないと云われています。
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十和田湖温泉神社は十和田湖温泉スキー場横に鎮座しています。うしの湯祭りの際に十和田湖温泉神社に御祈祷されるようです。
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参道のツツジ。
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参道石段途中に手水舎。
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石の形が独特でございます。
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参道途中から見た拝殿。
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社殿前から見下ろした参道石段。かつてはもっと鳥居があったのか…はたまたこういうデザインなのか…。
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拝殿。
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向拝神額。
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拝殿内。本殿手前には木彫りの神像2体と牛が見えました。
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社殿横の小祠。
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所謂コンセイサマ・アワシマサマといったもの。石製男根(金精様)・木製女陰(子安様)。この地方、特に温泉街においては珍しくないものです。一般的には子宝、安産、縁結び、下の病や性病などに霊験があるとされており、豊穣や生産に結びつくことから商売繁盛にも霊験があるともいわれています。
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小祠の隣にかなり独特な形をした石がありますが、こちらも性器崇拝に関するものかと思われます。
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