くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (深浦町)

岡崎海岸夕陽展望台の場所になります。 港の一本杭案内板…『ここから沖合い300m先にある杭は一本杭と呼ばれ、帆船時代に船が湾内で安全に航行し、係留するために使用された。入港時は一番杭で帆を降ろし、二番杭、三番杭へと順に綱をかけ替えて徐々に船を港に近付け、出 ...

高台にあります。 天和年間頃の田野沢村は山手にあり、本田野沢村と田野沢新田からなり、後に海岸通りに移って1村となります。塩釜が2ヶ所あり、製塩が行われていました。 御祭神は宇迦之御魂命。 創建不詳。宝暦10年(1760)村中にて再建。 明治初年に地内成瀬の竜田 ...

参道途中に踏切があります。 気をつけて渡りましょう。 一之鳥居の近くにあった石。 手水舎。 海が見えますね。 石鳥居をくぐり… 石段を登って行きます。 勾配はありますが距離はさほどないので楽勝です。 鳥居が多いですね。 御祭 ...

貞享4年検地水帳によりますと、神明社地・弁才天堂地・観音堂地・八幡社地・毘沙門堂地・愛宕堂地がみえます。 国誌によりますと字浜野に武甕槌神社に相殿として胸肩神が見えることから、一時武甕槌神社に合祀されていたようです。 岩崎弁天島には明治29年から昭和47年ま ...

風合瀬村は風合瀬・晴山・柳萢・館・野中・新左衛門新田の6ヶ村の総称であったと言われ、風合瀬以下の5ヶ村は枝村でした。 御祭神は宇迦之御魂命、保食命、猿田彦命、大宮能売命。 農業の神、道案内の神(庚申様)猿田彦命を祀っています。 元和4年(1618)村中にて勧請 ...

驫木村の産土神として崇敬されている熊野宮。 御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。 勧請年月日不詳。 延宝5年(1677)村中再建。 明治6年村社。 本殿。 狛犬一対。 拝殿の蟇股(彫刻師中村隆造)。 昭和35年8月部落一同奉納。 木鼻。 疱 ...

風合瀬の宝龍権現です。 御祭神は海津見命、大国魂命、保食神。 創建年月日は不詳。安政2年神社書上帳にその名が見えます。 風合瀬の部落ができた頃には既に存在していたと伝え、相当古いものであると言われています。 また同地区にある稲荷神社はここから遷されたも ...

御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神。 貞享4年検地水帳に熊野堂地がみえます。この附近は玉川館跡地(工藤氏)のようです。 寛永年中(1624-1642)、村中安全のために建立と伝えます。※青森県神社庁HPによりますと草創不詳。破損の際にはその都度村中にて再建。 国誌により ...

地図では愛宕神社となっていました。俗称愛宕様として親しまれているようです。岡町の産土神。御仮屋(無為館松嵐)の近くです。 御祭神は軻遇突智命。寛文2年(1662)もしくは延宝4年(1676)村中にて勧請。貞享4年検地水帳によりますと、荘厳寺屋敷、宝泉寺屋敷、浄念寺 ...

森山村集落は森山館の北側崖下から北に海岸に沿って発達。西側は海に面しています。 場所は民宿「汐ヶ島」の裏手になります。この汐ヶ島は美味しい料理と店主のおもてなしにより、大変評判が良く、大人気の民宿となっているようです。いいなぁ~泊まりたいなぁ~。 さて、 ...

関連記事 『御仮屋(無為館松嵐)・廣田家住宅・元若狭屋竹越里圭家他(深浦町)』 『下口稲荷神社 ・ 留土坂 & 新坂 (深浦町)』 こちらが通称新町稲荷かな。違っていたらすいません。御祭神は倉稲魂神・保食神。 御仮屋のすぐ近くに鎮座しております。 向拝下の蜘蛛 ...

御祭神は月夜見命。創建年月日不詳。 かつての艫村で、安政2年神社書上帳によりますと寛文元年(1661)再建の月山権現(月屋村艫作権現宮社地)が地内清滝にあります。 同社は延宝年間(1673-1681)村中再建とも伝え、現在の社地とは違う場所に鎮座していたようです ...

一之鳥居横にある案内看板より…『奈良県生駒郡三郷町立野に鎮座する龍田大社は、天御柱命・国御柱命二神を祀る。大和盆地に吹き込む西風の入口にあたる龍田の地に、竜巻の旋風を天地間の柱と見立てた風の神を祀って、農作物の風害がないことを祈ったものである。田野沢の龍 ...

松神村は元和年間には開村していたと考えられる村。自然に囲まれた神社です。 カラスザンショウ(ミカン科イヌザンショウ属)の林『カラスザンショウは、本来ヤブツバキクラス域の先駆植物として、伐採跡地や野火跡など自然が一度破壊されたところに他の樹種より先に侵入 ...

大間越街道沿い、驫木郵便局の向かいにあった馬頭観音堂です。 馬頭観音堂からは少し離れた場所ですが、遠く田園の向こうに小さな鳥居が見えたので向かってみました。 鳥居をくぐって少し登った場所にあったのは… 竹越元次郎之像(昭和30年旧8月1日竹越貞次郎建立)! ...

鳥居横にある菅江真澄の道。 『寛政8年(1796)7月16日、真澄は「海榴(椿)崎や見なん」(「外ヶ浜奇勝」)と出かけ、その途中にこのお宮に参拝した。「新山権現とてほくらあるに ぬさとりたいまつ」ったとあるが、正しくは「深山」で真澄が男鹿の真山神社の「シンザン」 ...

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