くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (藤崎町)

御祭神は少彦名命。 永正17年(1520)、水木(溝城)城主の溝城刑部の家臣である水木村の今市右衛門が薬師堂として勧請したという記録があります。 今市衛門と今次右衛門の2人が、主君の命により用水堰を開削した際、土の中から薬師如来の木像を発見し、それを祀ったそ ...

平川の岸に位置し、江戸時代には神社下流側に藩の年貢米の集積基地(御蔵・役蔵)があり、付近は人馬の往来と米を積み出す船で賑わっていたようです。 『藤崎に築城した安東氏が、藤崎城西の丸のこの地に、館神として祭祀されたもので、創立年月日は不明である。稲荷神社 ...

羽州街道沿いです。藤崎町中島種元。 明治8年(1875)、矢沢の正八幡宮の遥拝所として分離したのが始まりとされています。とはいえ、かなり近いです。 第二次世界大戦前、中島と小畑は「中小(なかこ)」と呼ばれており一つの単位でした。 この八幡宮が中小の神社 ...

坂上田村麻呂が藤の鞭を地にさした場所を藤崎、そこから藤の蔓がのびてできた場所として藤越の名がついたという由来がある場所です。 慶長元年(1596)、現在地よりも東側の字東一本木に堂宇が建立され、藤崎村の毘沙門宮(鹿島神社)の分霊を祀って鎮守とされていました。 ...

榊八幡宮です。 二の鳥居横に地蔵堂。 癒し系の化粧地蔵尊です 結構広い境内です。 小祠が多いですね。 こちらには南無大師遍照金剛とあります。 その隣の祠。 こちらにも仏像。神仏混淆。 更にその横に馬頭観音2基。 オシャレな御神馬。 2 ...

はじめ芦萢中、文禄2年(1593)には水鶏村、天和4年(1684)には水鶏館村と称しています。幕末の床屋手牒に庵寺が見え、これは法政庵を指し、開庵年月日は不詳。この法政庵が正法庵でしょうか。元禄時代(1688-1704)に正法庵をむすんだという説もありますが、いずれにせよ ...

はじめ芦萢中、文禄2年には水鶏村、天和4年には水鶏館村と称しています。 貞享4年検地水帳によりますと、稲荷社地4畝余が見えます。 創建は不詳。 万治年間(1658-1561)に村中にて再建と伝わります。 御祭神は宇賀霊命。 昭和61年発行の常盤村文化財資料Ⅰ神社・仏 ...

氏神の八幡宮は由緒等不詳。 神社前標柱より…『八幡宮建立は寛文4年(1664)、年縄奉納はこのころからと伝えられる。日章旗・扁額・柳樽・福俵・注連縄・邪払からなり一切を稲藁で作り、多数の男子が締め込み1本で、毎年1月1日に行われる。』 参道脇の木が凄い形。 全 ...

かつての福館村で、集落ははじめ元目(求馬・求目)派の東側にあり、天明年間の大凶作の際に南方へ移転しています。 神社は前田の旧村社稲荷宮があり、延宝5年(1677)に一戸弥右衛門が産土堂として勧請。天和4年(1684)の書上帳には稲荷堂とあります。 青森県神社HPに ...

藤崎字一本柳(通称下町)にある保食神社には農業の神様である保食神が祀られています。 この神社には、源義経の乗馬がこの地で死んだのを祀ったという伝説(源義経北行伝説)、唐糸御前を探しに来た北条時頼の家来の馬が倒れた場所だという伝説などが伝えられていま ...

一の鳥居には昇龍・降龍。 二の鳥居にはド迫力の注連縄。 天文年間(1532-1555)の津軽郡中名字に「溝城」とあるのが当村。熊野宮は溝城館跡の南側に建ちます。 御祭神は伊弉諾命、伊弉册命、誉田別命。 住古溝城の館神として恵心僧が都から永正17年(1520)に勧請 ...

くぐれない程立派な注連縄。 福島村は十川の氾濫原上にあり、東は馬場尻村、西南は徳田村、南は東光寺村、西は増館村に接します。 旧村社八坂神社はの御祭神は素盞雄命。 寛永年中(1624-1644)の勧請と伝えます。 寛文6年(1666)8月17日、津軽藩御家中、古川仁佐 ...

福島村八坂神社の近くに、稲荷神社旧跡という石碑と徳田村跡という説明板を見つけました。 『このあたりは、江戸時代に徳田村があった場所である。【徳田村】…天和4年(1684)書上帳に家数6軒とある。貞享年間(1684-1688)検地水帳(検地御図帳)に、本百姓が12人とある ...

通称伝馬・大字藤崎字若前にある鹿島神社は、藤崎八幡宮と並ぶ藤崎を代表する神社です。 昔は付近一帯が大林と呼ばれる巨大な林で、明治3年の神仏分離以前は毘沙門と呼ばれていました。 貞享4年検地水帳には円太夫抱えの毘沙門堂とあります。別当興福寺。 平安時代初め ...

御祭神は保食大神で、水神様の飛龍権現が合祀されています。 神社微細社司由緒調書上帳によりますと、享保3年(1718)創立の惣染堂とあり、柏木堰村・俵升村・下俵升村の産土様として馬頭観音を祀ったのが縁起と伝えます。 境内の由緒案内によりますと、安政2年神社書上帳 ...

本尊阿弥陀如来。もと弘前貞昌寺末。 法然の弟子金光が奥州布教の際藤崎の法輪丘に住み、建保五年(1217)金光の死により施主堂が建てらてられたとしますが伝説の域を出ないとされます。 寺伝では建保3年(1215)金光を開山として創立。 天和4年(1684)の藤崎村絵図に ...

↑このページのトップヘ