くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (藤崎町)

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車1台は通ることができる幅ですが、農家の方々の車にご迷惑をかける可能性がありますので、福舘公民館が面している通り沿いに設置された案内板から、田んぼに囲まれた道を歩いて行くことにしました。案内板によると300m。
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案内板「赤沼」…『福舘の枝村福野田(今はない)に赤沼という沼があって、ここに堂宇が建っていた。村に異変があると赤く濁ったので赤沼と呼び豊凶を占って現在にいたっている。今はないが矢沢村にも赤沼があり一方が濁ると他方も濁るという現象があり二つの沼は底が連なっていて主は蟹であるといわれている。ここより南西300米の地。昭和58年3月31日常盤村教育委員会』
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福舘地区にある赤沼。
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町に異変があると赤く濁ったことから名付けられたと言われ、かつて町民が沼の色を見て豊凶を占っていた場所とされます。ちなみに案内板にあった福野田村についてですが、寛永年間に永沢仁助が自費で藤崎村から1里余の新堰を開削し、立木村とともに開発した村とのこと。元禄3年には赤田組に属し、村位は上。永沢家は代々庄屋役で、元禄8年の飢饉の際には福野田・立木両村に貯米30俵・籾20俵、天明3年の飢饉では貯米20俵を提供して救済にあたっている記録があります。藩では寛政改革の一環として荒廃田畑の復興を目指し、藩士の帰農土着政策を推進しましたが、寛政7年に当村に割り当てられた在宅者は御中小姓野呂五左衛門と御家老与力宮館丹治の2名。天保年間には藤崎堰の水下に編成されていました。明治3年津軽承昭が10町歩以上の耕地所有者に耕地献田買上を諭し、翌4年に士族の帰農在宅が行われるも、同年当村に割り当てられた在宅士族は俵子30俵3人、28俵2斗1人、15俵2人の計6人。明治初年は地内南北2区(戸数南12区・北54区)に分かれていました。また三上久之助が寺子屋を開設しています。明治9年立木村を合併し、同22年に板屋野木村の大字となりました。ちなみに福野田・立木両村の産土神は宝量大権現を祀る宝量宮(現在の海童神社)。
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さて、赤沼の周囲には特に目印になるものはありませんので、案内板もしくはこの景色のみを頼ってください。
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手前の用水路にはきちんと橋が架かっています。
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矢沢正八幡宮の縁起の一つとして、大同年間に坂上田村麻呂が蝦夷の頭領高丸を射殺した際、その矢を修験の僧である明円に与え、正八幡宮を祀って矢沢山勝軍寺を建立したという伝説と、それを延暦3年のことであるとし、沼洲村(藤崎村)の近くの赤沼に高丸の遺骸を埋めて、矢は正八幡宮の御神体として崇敬したという伝説が残されています。なお、矢沢正八幡宮は昔はもっと藤越寄りの赤沼の方にあったと伝えられており、最初の案内板にもあったようにその赤沼と当赤沼の底が繋がっていたという伝説を残します。伝説なので文献や資料によって細かい内容は様々ですが、田村麻呂が高丸を矢で射殺した後のこと、再び高丸の亡霊が襲い掛かり、その際に田村麻呂が太刀で斬りつけると亡霊は沼に落ち、沼は忽ち赤く染まったといい、そこから赤沼と名付けたともいいます。後に赤沼の主として大きな蟹(もしくは蟹の化け物)が棲むようになりましたが、その蟹こそが高丸の化身だという伝説が伝わります。
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赤沼の畔の木が立っている辺り。
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鳥居の跡と堂宇(小祠ほどの大きさ)があったと思われる比較的新しい痕跡。
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中島小畑八幡宮の由緒によれば、赤沼の畔にあった薬師様を合祀しているとありますが、村の南の赤沼とあるので、当赤沼ではなく沼洲村(藤崎村)の近くの赤沼のことでしょうね。こちらにも薬師様が鎮座していたのかな。いずれにしましてもこちらも合祀又は移転された可能性が高いですね。中島小畑八幡宮か正八幡宮に再訪すればわかりそうですね。ちなみに福舘の稲荷神社にはそれらしきものは見当たりませんでした。
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藤崎町福舘前田。由緒等は以前の記事も参照ください。
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大変立派な注連縄が偶然目に留まり2度目の参拝。
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社号標(大正4年8月10日・村中建立)。
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藤崎町福舘。延宝3年(もしくは同5年)建立。
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幕末と明治の庚申塔。
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石灯篭一対(明治18年12月10日)。
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狛犬一対(昭和29年4月10日・初老記念奉納)。吽形の前足損傷。
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台座。
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狛犬一対(明治18年12月10日・福舘村中)。
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拝殿内。年縄奉納記念の写真がたくさん飾られていました。よく見えませんでしたが、常盤八幡宮と同様に、元旦に新年の五穀豊穣や家内安全を祈願し、締め込み一本姿の男衆が奉納しているようです。
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本殿。
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南津軽郡藤崎町常盤。社号標の上部の「常盤」は以前「村社」だったんでしょうね。
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石燈籠寄附者名碑。
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常盤八幡宮年縄奉納行事標柱。標柱の内容及び常盤八幡宮由緒等は以前の記事を参照ください。
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さすがに立派な注連縄でございます。
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立派過ぎてくぐることさえできません笑
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石鳥居(昭和30年旧6月15日)。急に地味に感じます。
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参道。
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左手に社殿が見えてきます。
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現在の拝殿は昭和43年建立で、その際には本殿も修築しています。御祭神は誉田別命、気長足姫命。創建不詳もしくは寛文4年(1664)創建。少なくとも天和年間(1681-1684)以降の古図には見えます。
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常盤八幡宮年縄奉納行事(年縄奉納裸参り)で大変有名な神社です。元旦に新年の五穀豊穣や家内安全を祈願する常盤地区に伝わる伝統行事。長さ約4.5m、幅約2.5m、重さ約400kgある巨大な年縄を常盤八幡宮に奉納します。厳寒の中で水垢離をして身を清め、締め込み(ふんどし)一本姿の男衆が、巨大な年縄や福俵を肩に担いで「サイギ、サイギ、ドウコウサイギ」の掛け声を町内に響かせながら常盤八幡宮を目指します。この神聖な行事は寛文4年から続くとされています。
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手水石(大正9年3月15日)。
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御神馬一対(昭和13年旧6月15日)。
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御神木。
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こちらの倉庫的な建物は何かわかりませんが、正面に扁額「八幡宮(昭和25年7月28日)」があります。
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石灯篭二対と狛犬一対。
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手前の竿が四角い石灯篭一対(明治19丙戌年10月15日)。
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竿が円い石灯篭一対(昭和41年8月15日)。
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狛犬一対(大正9年旧6月15日)。
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本殿横に安置されている方。
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自撮り棒を駆使しても相変わらず全貌は見えません。阿吽形。
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石塔。馬頭観音でしょうか…重要な部分が隠れているので判断できず。裏には奉納者名と住所。
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紀年銘は「大正7年旧…」まで見えます。
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下部の絵が馬っぽく見えるのでたぶん馬頭観音。
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紀年銘は天保15年。
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隣の石塔は読み取れず。
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力試石。
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向かって右の石。六斗三升(約95kg)。台座(昭和36年8月25日建立。金婚記念、石澤勇次郎・ミサ、髙木東太郎・み江)。
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向かって左の石。一石二斗石(約180kg)。台座(同上)。右なら余裕ですかね。
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庚申塔4基。
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二十三夜塔(安政5戊午年5月23日・下部願主5名は省略)。
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庚申塔。こちらは読み取りにくかったです。
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庚申塔(天保3壬辰年9月17日・村中)。
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庚申塚(大正9庚申年蕉1月13日)。
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