くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (板柳町)

御祭神は品陀別命。寛文9年に再建し村社八幡宮。現在の社殿は昭和37年建立。8月14日に落慶式。翌日の15日の大祭には善男善女合わせて数千人が集まったといいます。例大祭6月15日(現8月15日)。鳥居には杉山家の家紋である籠目風車の紋章が掲げられています。 関ヶ原の戦い ...

昭和32年、私有とされていた毘沙門天を再び氏神として祀って鹿島神社として建立。 御神体の毘沙門天は徳兵ヱという人が南部から持って来たもので、田村麿呂将軍手造りの古物と伝えられています。 徳兵ヱはこれを氏神として屋敷内に祀っていましたが、没後はその子孫が絶え ...

標柱より… 「万治2年(1659)弘前真教寺より開基されたとある。以来焼失再建等の記録有り、山門は寛政年間の建立と推定、切妻造、四脚門等の構造技術が発揮された貴重なる建造物である。」 貞享4年(1687)検地水帳にも正休寺屋敷がみえます。 山門は町文化財第2号。 ...

御祭神は倉稲魂命。 一の鳥居と社号標が比較的新しく感じました。中々大きな鳥居です。幼児体型のフレンチブルドック…ではなく!鬼コがおります。 安政2年書上帳によれば「飛竜宮」とあり、正保3年(1646)の創建。 明治6年に稲荷神社と改めて海童神社に合祀。 明治8 ...

天保年間には三千石堰・藤崎堰の水下に編成されていました。 境内を用水堰が流れます。 御祭神は譽田別尊。 承応3年(1654)氏子によって建立。 明治6年4月村社。  明治40年4月19日神饌幣帛料供進指定神社。 かつては鳥居に鬼コがいたそうですが現在はありません。 ...

道沿いに見える大木と鳥居。 馬頭観音でした。 その横には小さな祠があります。 うわ!何て読むんだろう?(笑) 中には水色とピンクの可愛い水虎様が2体。 甲羅を背負った河童らしい河童です。 付近にあった百万遍。 ブログ村ランキング参加中←クリック宜しくお ...

一の鳥居の横にある庚申塔。 最初の鳥居から拝殿が見えません。 想像よりも長い参道でした。 御神馬。 一瞬、青森県に見えました。 狛犬。 姿勢が良過ぎます。 御祭神は譽田別尊。 同社由緒書によりますと、「勧請年月不詳。寛永17年再建。境内牡丹多かりし故 ...

御祭神は月讀命。  草創不詳。 月読神社、又は月夜見神社とも書き、北向きの社です。 明治6年、深味八幡宮に合祀し、後に復社。 御神体は仏像(牛頭天王)と神像(素戔嗚尊)の2体。神仏混淆時代のものと、明治4年の神仏分離以後のもの。 この地方では、子の年生ま ...

八坂神社といえば御祭神は素盞鳴尊ですね。  かつては正観音堂。開拓の際に土中より観音像一体が出てきたために産土神として祀ったと云われています。 青森県神社庁由緒によりますと現在も本殿内に納められているそう。昔は山伏がいて祭事を行っていたとか。 創建不詳 ...

通称博労町にあり、枝川鶴田堰を背にして建ちます。本尊十界曼陀羅。もと弘前法立寺末。 重宝錦嚢によると文禄2年(1593)の創立。その後廃墟となり万治2年(1659)再興、延宝元年(1673)中興。 「平山日記」や「永禄日記」によると延宝3年板屋野木村に引越したとあ ...

何となく神社がありそうな杜が見えたので向ってみました。馬頭観世音でした。 特別養護老人ホーム鶴住荘や蓮正院、野中八幡宮からも程近い場所です。 元々道端にあった馬頭観世音をこのようにして祀ったのでしょうか。 決して大きいものではありませんが大切にさ ...

御祭神は誉田別尊。 境内にあった由緒によれば… 創建不詳ですが、津軽藩最古の神社調「延宝9年堂宮神主山伏行人之覚」によれば蒔苗市兵衛により寛永2年(1625)の創建という記録は残っているようです。 また、明治初期編「新撰陸奥国誌」によれば貞享4年(1687)の創建。 ...

さて、其之壱からの続きでございます。 福寿門。 神仏習合。 立派な門です。 木鼻がかっこいい。 狛犬。 福寿門のすぐ横にある大師像。 薬師堂。 御祭神は薬師大神。 竜神池。 かなり大きな竜神です。 ドラゴンボールを自慢していますね。 拝殿・本殿・祝詞 ...

広くて見応えのある神社なので2回に分けて紹介します。 御祭神は大山祇神。  例祭日は9月12日。 由緒は以下の通り。 安田健之助翁が、りんご生産に専念していた昭和3年の春頃より、不思議な事が起り始めました。庭の立木に一尺二寸、高さ三尺位のお堂が紅白の縄で結 ...

津軽弘法大師霊場第14番札所。 門に小さな仁王像がいます。仁王門なんですね。 これは何でしょう? 板柳町誌によれば石野村にははじめ法隆院とあり、寛政年間頃に蓮覚院に改称、文化・文政年間に寿円山蓮正院に改称しており、弘前の大行院の支配であったと伝えられていま ...

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