くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (鯵ヶ沢町)

1
岩木山登山道長平コースの道中にあります。
2
なお、登山道入口となる「ロックウッド ホテル&スパ」・「青森スプリング・スキーリゾート」から長平八十八ヶ所手前の石神大神(石神様)までの道中に関しましては、『石神様(石神神社・岩木山長平コース)』の記事を参照ください。
3
当記事では石神様の奥宮鳥居と登山道が分岐する地点からの紹介になります。
4
左の登山道を進みます。
5
5.5
左側は沢(大鳴沢)です。
6
かなり下の方です。
7
石がいくつかあります。人の手が加わっているように見えますね。
8
こちらの石は…
9
明らかに何かが彫られているように見えます。
10
自然にできた傷なのかな…私には魚のようにしか見えません。
11
11.5
特にこの部分。
12
歩いてきた登山道。緩やかです。
13
分岐点で、登山道は右(ゲレンデ方面)へ続きます。
14
左に行きます。
15
目の前にはこのような冠木門があります。
16
長平八十八ヶ所です。
17
17.5
標柱には日天講社山籠所とあります。神道大教。
18
平成30年7月22日。新しいですね。で、これは「大西洋」…氏名ですよね。
19
付近の巨石。
20
苔がいい感じです。
21
沢へ降りる道…いや、沢に落ちる道。
22
日天講社山籠所。この中に八十八ヶ所と関連するものがあるのか…わかりませんでした。
23
周囲をうろうろしていると、奥に細い山道が続いていることに気付きました。長平八十八ヶ所 はこの先なのかな。
24
ってことで少しだけ歩いて登りましたが、蜘蛛の巣が酷かったので途中で引き返してきました。結果として八十八ヶ所がどこにどのような形で存在しているのかわかりませんでした。
25
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ
 

1
2
石神様奥院の鳥居です。鳥居の横に登山道。ここから登山道を少し登れば長平八十八ヶ所があります。
3
長平八十八ヶ所につきましては『長平八十八ヶ所(岩木山)』の記事をご覧下さい。
4
鳥居の横に巨石。
5
巨石に埋め込まれている写真。状態は良くありませんが恐らく木村健蔵氏の写真。
6
写真下の碑文「石神三十三体大神」…『木村健蔵氏 右は明治三十四年六月十八日 西郡越水村大字三ツ舘に生まる 爾来農業に従事す 昭和十年七月青森五連隊に入隊広島より朝鮮に上陸し 漢口 天津 石家荘 娘子関 井隆炭鉱 河南省 河北省等に歴戦す 昭和十四年二月現地召集解除され帰郷の途中病に倒る 闘病生活二年 有余にして猶病愈らず 昭和十六年七月石神様に篭り六週間の苦行中神の尊い偉大なる力により病遂に全快し旦避災治病の霊験を授る 以来万人の病気災難を救うこと真に多し 依って信者一同神恩に感謝すると共に木村健蔵氏の行跡を後世に伝える為此処に之を記す 昭和四十一年旧六月十二日 発起人 角田兵助 武田由夫 小山内文雄 髙橋重三郎 中村國雄 佐野万之助 福井健三郎』上記の新しい案内板とほぼ同じ内容ですね。
7
こちらも巨石に埋め込まれていました。『金琪乗 太田龍造 太田きせ 四大五常 勉其祗植 地水火風をあつめ一身となり 仁義礼智信の五常を守りて忠孝の道に勉め■人を立て家運の興隆を祈願す 昭和四十四年旧八月一日』
8
巨石前にあった双頭白蛇の碑。裏面碑文「西郡鯵ヶ沢町浜町 父坂本君義二十八才 兄坂本純一三才 弟坂本善和一才 昭和五十一年旧八月一日建立」。
9
さて、鬱蒼していそうな鳥居の向こうへ行きましょう。
10
急勾配ですが、思ったほど鬱蒼としていませんでした。
11
上まで登ると正面に巨石が見えます。
12
こちらはその手前の巨石。
13
正面の石はかなりの大きさです。
14
14.4
14.8
大き過ぎてすべてが繋がっているのかどうかもわかりません。
15
15.5
まさに石神様といった感じですね。
16
16.5
もしかして何か彫られていたりするのかな…
17
と思ってじっくりと観察しましたが、私が見た限りでは特に何も無いように感じました。
18
石の上へも行けそうな感じがしましたが、石神様奥宮の磐座だと思うのでやめておきました。
19
19.5
巨石の下に祀られている奥宮。
20
覆屋です。
21
奥宮。状態はあまり良いとは言えませんが、場所が場所だけに致し方ないでしょう。お供え物などから崇敬の篤さは伺えます。
22
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ
 

1
岩木山登山道長平コースの道中にあります。登山道は長平コースで、登山口は「ロックウッド ホテル&スパ」・「青森スプリング・スキーリゾート」になります。
2
ちなみに私は登山道の途中(長平口)まで車で行こうと思っていたのですが、何やら「北のドレコン」というイベントが盛大に行われており、この日は登山口にすら車で行くことができませんでした。
3
仕方なく「北のドレコン」というイベント会場内を歩いて横切ってきました。私には何をやっているのかよくわかりませんでした。皆さん車の写真を撮ったりしています。
4
一応カメラ片手に参加者を気取りながら歩いてきましたが、絶対に浮いていたと思います。
5
ってことで、この付近が登山口(登山道入口)。
6
ちょっとわかりにくいかと思いますがここです。
7
案内板「登山道(長平コース)案内」より…『長平コースは昭和30年代までは、お山参詣や薪炭作業道に利用されてきた地区の重要な里道です。岩木山北斜面のスキー場と大鳴沢の稜線を登れば、眼下に日本海、津軽平野、遠くに北海道、西には白神山地を望むことができます。比較的勾配が緩やかで山頂までは約4時間半で登頂できます。』
8
種蒔苗代(神様の池)…『小さな湧水池と祠が現れ、とても神秘的です。』
9
御花畑…『岩木山固有のミチノクコザクラの群生地です。可憐な花が出迎えてくれます。』
10
案内板では、石神様まで「登り約1時間、下り約50分」となっていますが、最終目的地が山頂ではなく、石神様までならばそこまで時間もかからず、結構余裕で着きます。勾配も緩やかです。っていうか最終目的地が山頂ではなく石神様という方は皆無かと思いますが。【※注意※】私は岩木山山頂まで何度か登っております。普段から焼きそばとか焼き鳥とかを平均以上のペースで食べているので、山を登るペースも平均以上かと思います。体力、体質、体調等にはかなり個人差がありますので注意して下さい。山では天候にも大きく左右されます。『空と山のあいだ』(田澤拓也)を読んだ方ならば石神様付近がどういう場所なのかご存知のはず。山頂を目指す方は少なくとも案内板通りのペース配分を守り、何より安全を考慮なさってください。
11
それではLet's go!
12
しばらくは車1台なら余裕で通れる道が続きます。
13
周囲には誰もいませんが、北のドレコン会場の音が響いています。
14
これなら熊の心配も無さそうです。
15
これが使えれば…
16
きのこ。きのこには詳しくありません。
17
比較物が無いので伝わらないと思いますが、めっちゃ大きいきのこでした。
18
ゲレンデ。
19
19.5
分岐。左に行きます。仮に車で来たとしても、この分岐の手前までが無難です。
20
この先も車で行けますが、道はこのような感じです。
21
分岐。右に行きます。
22
壊れた鳥居が見えてきます。
23
鳥居。
24
石と石祠。石は完全に苔生しています。
25
25.5
石神様まではもうすぐです。
26
途中の分岐。この方向(下の写真)には行きません。
27
道は更にひどくなっていますね。私なら運転する気になれません。
28
28.5
車を停められるスペースはあります。但し頑張ってもここまでですね。
29
石神様が見えてきました。
30
社号標「石神大神」。
31
昭和48年旧9月12日建立。寄贈者石工、北郡鶴田町工藤一二。
32
比較的新しい石碑「石神様」。紀年銘は平成30年10月です。現在もなお信仰の篤さを感じます。
33
33.5
境内はこのような感じです。石碑を一つひとつ拝んでいきましょう。すべて紹介しますが、私には詳細な説明はできません。
34
まずはこちらです。説明はできません。着飾った女神です。特に首回りの装飾は細かく描かれています。しゃがんでいるようにも見えますし、亀か何かに乗っているようにも見えます。
35
裏面碑文「昭和四拾九年旧六月拾五日、安田正勝建立」。
36
こちらは馬の上に座っている女神です。台座には「大石大神」とあります。
37
裏面碑文「昭和五十年旧六月十五日、佐野万之助、〃シモ建立」
38
こちらは弘法大師像。石灯籠一対付です。
39
台座上段には「奉納弘法大師」、下段には「南無大師遍照金剛」とあります。
40
40.5
台座下段裏面碑文「昭和四十八年五月、太田龍造建立」。名前の下に「九才」と見える気がしますが、「九十才」かな。九才でも九十才でも凄いですけど。
41
小祠。道中の壊れた鳥居にあった石祠と同じ種類に見えますね。
42
龍神大神。台座正面に「太郎」「八所」の文字が見えますが、苔によって部分的にしか読み取れませんでした。裏面碑文は「昭和四十八年旧九月十二日、勝野ハルエ、勝野寿人建立」
43
こちらの石碑はまったく読み取れませんでした。
44
鳥居。
45
山姫大神です。卍と書かれた白い布を掲げていました。たまたま布が裏返っているのでハーケンクロイツに見えてしまいますが。裏面碑文「昭和四十八年旧八月一日建立、信仰者一同」。
46
不動明王。石灯籠一対付(内一基崩壊)。
47
台座裏面碑文「昭和四十八年七月十二日、大西世鎬建立」。
48
木村健蔵先生像。石灯籠一対、ブロック塀型瑞垣付。
49
状態も良く、表情もリアルです。台座には「長寿記念 石神三十三大 大神様 木村健蔵先生81才」とあります。木村健蔵氏については下記参照。
50
建物がありますがすべて施錠されております。
51
窓の外から見た感じでは堂宇のようですね。
52
52.5
建物の横には崩壊した小祠などがありました。
53
建物の裏手には道のような場所もありますが通れる状態ではありません。仮に道だとしたら方角的に大鳴沢へ降りる道になりますね。
54
こちらは倉庫的な建物。
55
案内板「石神様」より…『正式名は石神三十三体大神という。開祖は木村健蔵翁である。右は明治34年6月18日に西郡越水村大字三ツ舘に生まれ、以来農業に従事していたが、昭和10年7月、青森五連隊に入隊となり、広島より朝鮮に上陸し、中国の漢口、天津、石家荘、娘子関、井隆炭鉱ほか河南省、河北省を歴戦する。昭和14年2月、現地で招集解除されるも帰郷の途中、病に倒れ二年あまりの闘病生活でも治らず、昭和16年7月、石神様にこもり、6週間の苦行を行うと、神の尊い偉大なる力により、ついに病が全快した。ここに木村健蔵翁は避災治病の霊験を授かり、この地に開祖したのである。以来、石神様は万人の病気災難を救うとして祀られている。長平町内会』
56
今回紹介してきた場所から登山道を挟んでもう1基鳥居があります。石神様奥院の鳥居です。長くなりましたので奥院については次回の記事『石神様奥院 (岩木山)』で紹介します。
57
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ
 

イメージ 1
元田浦村で、最初は坂本(坂元)村と称しており、貞享検地に際して田浦村と改称しているようです。菅江真澄は外浜奇勝の中で「上埜、坂本、舞戸、かくて鰺ヶ沢の里ちかづきて」と記しています。
イメージ 2
貞享4年検地水帳によりますと田浦村には稲荷社地が見え、これが地内上野の当稲荷宮。明治初年に一時舞戸正八幡宮に合祀。
イメージ 3
御祭神は倉稲魂命。
イメージ 4
社殿と狐一対。
イメージ 5
イメージ 6
イメージ 7
現代的な社殿です。
イメージ 8
周囲は森に囲まれています。
イメージ 9
社殿横にあった石碑。
イメージ 10
岩木山神社(大正10年正月1日)。
イメージ 11
末社。
イメージ 12
庚申塔3基。
イメージ 13
結構大きな石です。
イメージ 14
保食神社。
イメージ 15
中には「大祖保食神 癸丑 嘉永六年七月十七日」と刻む石碑。
イメージ 16
ちなみに『水神竜神 十和田信仰』によりますと、同上野地区には「八大竜王を祀る八竜神社があり(以下略)」とありますが、それがどこにあるのかはわかりませんでした。
イメージ 17
また、鰺ヶ沢町真南4km程の場所にある行人沼にも竜神を祀っているとのことですが、それも見つけることができませんでした。
イメージ 18
イメージ 3
イメージ 2

イメージ 12

イメージ 13
南金沢郵便局付近から山へ登って行く感じです。
イメージ 14
イメージ 15
参道は草木がありますが、まぁ歩ける感じです。
イメージ 16
しばらく上って行くと白い鳥居が見えます。
イメージ 10
イメージ 11
この白い鳥居から次の赤い鳥居までの間は急勾配で、木の階段は朽ちており危険です。
イメージ 9
ゆっくり上りましょう。
イメージ 8
御祭神は高皇産霊命。元和2年(1616)村中安全のために勧請。旧村社。明治39年7月17日に旧社地の床夏より現境内地に移転。
イメージ 7
かつての金沢村で、地名の由来は津軽氏の祖大浦光信が延徳3年(1491)に種里に入部し、この頃義父金沢右京亮家信に当地域を統治させたことによる説のほか、金沢という豪族が住んでいたことに由来する説もあります。
イメージ 6
はじめは目内崎村の枝村で、享保11年(1726)に分村して独立。安政2年神社書上帳によりますと、慶長3年(1598)創建の貴野宮と、同じく慶長3年創建の御岳観音堂があります。
イメージ 5
神仏分離の際に貴野宮が軻遇突智神社となり、観音堂が高倉神社となりました。明治6年に種里村八幡宮に合祀されるも後に復社。
イメージ 4
猿田彦大神。
イメージ 3
末社。
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
イメージ 2

↑このページのトップヘ