くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (鯵ヶ沢町)

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元田浦村で、最初は坂本(坂元)村と称しており、貞享検地に際して田浦村と改称しているようです。菅江真澄は外浜奇勝の中で「上埜、坂本、舞戸、かくて鰺ヶ沢の里ちかづきて」と記しています。
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貞享4年検地水帳によりますと田浦村には稲荷社地が見え、これが地内上野の当稲荷宮。明治初年に一時舞戸正八幡宮に合祀。
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御祭神は倉稲魂命。
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社殿と狐一対。
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現代的な社殿です。
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周囲は森に囲まれています。
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社殿横にあった石碑。
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岩木山神社(大正10年正月1日)。
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末社。
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庚申塔3基。
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結構大きな石です。
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保食神社。
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中には「大祖保食神 癸丑 嘉永六年七月十七日」と刻む石碑。
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ちなみに『水神竜神 十和田信仰』によりますと、同上野地区には「八大竜王を祀る八竜神社があり(以下略)」とありますが、それがどこにあるのかはわかりませんでした。
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また、鰺ヶ沢町真南4km程の場所にある行人沼にも竜神を祀っているとのことですが、それも見つけることができませんでした。
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南金沢郵便局付近から山へ登って行く感じです。
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参道は草木がありますが、まぁ歩ける感じです。
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しばらく上って行くと白い鳥居が見えます。
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この白い鳥居から次の赤い鳥居までの間は急勾配で、木の階段は朽ちており危険です。
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ゆっくり上りましょう。
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御祭神は高皇産霊命。元和2年(1616)村中安全のために勧請。旧村社。明治39年7月17日に旧社地の床夏より現境内地に移転。
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かつての金沢村で、地名の由来は津軽氏の祖大浦光信が延徳3年(1491)に種里に入部し、この頃義父金沢右京亮家信に当地域を統治させたことによる説のほか、金沢という豪族が住んでいたことに由来する説もあります。
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はじめは目内崎村の枝村で、享保11年(1726)に分村して独立。安政2年神社書上帳によりますと、慶長3年(1598)創建の貴野宮と、同じく慶長3年創建の御岳観音堂があります。
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神仏分離の際に貴野宮が軻遇突智神社となり、観音堂が高倉神社となりました。明治6年に種里村八幡宮に合祀されるも後に復社。
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猿田彦大神。
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末社。
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一之鳥居と手水舎。
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ここから本殿までは想像した以上に距離を感じると思います。
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途中にあった石碑。かなり丁寧に祀られていますね。
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文政6年(1822)幸神。
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鳥居奉納記念碑。
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距離はありますが参道は綺麗にされており、歩きやすいです。
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鳥居も多かったです。
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同じ鳥居なので何番目の鳥居かわからなくなります。
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わかりにくいかも知れませんが、下の写真の鳥居の右側に、草むらですが本殿横まで繋がる道がありました。
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もう一息。
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到着。
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青森県神社庁HPによりますと、御祭神は軻遇突智命。火産霊神ともいう火の神で、火を守護せられる神を祀っています。神社庁の写真には石燈籠が写っていますが、無くなっていました。
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創立年月日不詳。
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赤石川河口の旧赤石村に鎮座しており、農漁業の氏子による信仰が篤いそうです。
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例祭には津軽神楽が奉納されており、湯立神事も行われます。
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貞享4年検地水帳によりますと、地蔵堂地、熊野堂地がみえます。安政2年神社書上帳によりますと、延宝3年(1675)再建の貴野宮と永禄5年(1592)創建の熊野宮がみえます。
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つまり木野宮以前は地蔵堂だったようです。国誌によりますと、明治初年には水波能売命を祀る赤石村貴船宮がみえ、熊野宮などを合祀しています。水波能売命ってことで、現在とは御祭神が違いますね。
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祠掌奈良冨之進、祖主水貞親と伝えます。代々種里八幡宮の祠官なりしが明治6年免職となり、同4月27日当社の准祠掌となります。新撰陸奥国誌には「貞親より今の冨之進まで十七代なりと云ふ」とあります。
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本殿の本懸魚に狐がいました。
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社殿内。
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社殿内の神額には三社宮とあり、左右にも2つの祠があります。
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これは憶測ですが、左右の絵馬から察するに稲荷宮と龍神宮かも知れませんね。もしくは合祀された熊野宮かな。
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社殿横の手水舎。
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竜口からは山の水が豊富に流れ出ていました。
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