くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:寺・神社 (平川市) > 寺・神社 (旧尾上町)

平成25年(2013)に行われた新鳥居の竣工式の際に、取り壊した古い鳥居から台輪に「明應4年(1495)」と記されているのが発見されました。その後の調査結果は未だにわかりませんが、神社の由緒に係る重要な発見です。 御祭神は大國主神、経津主神、事代主神、天鈿女神、 ...

御本尊は不動明王(ほかに文殊菩薩)。 卯年の一代さま。 津軽弘法大師霊場第21番札所。 初代住職蒔田照正僧正の夢の中に龍に乗った白髪の老人が現れて、「赤倉の地にお堂を建てよ」と告げられ、赤倉の地に一代堂(昭和35年)、大師堂(昭和40年)を建立。金剛寺本堂は ...

かつての蒲田村。 かつて拝殿右側に大木がありましたが台風で倒れたとのこと。当社の創建及び由緒等は不明ですが、延宝時代の記録あり。御祭神は倉稲魂神。祭日旧6月10日(現7月10日)。 貞享4年(1687)検地水帳によりますと、専太夫抱えの稲荷社(拾四間・拾三間・六 ...

御祭神は天照皇大神、譽田別尊、天児屋根命。相殿神に大己貴神、少彦名神。 鳥居の水色の個性的な鬼コがいる神社です。 境内の周囲には用水堰が流れています。 草創の年月日は不詳。 古くより中津軽郡和徳村俵元の高山治助氏邸内に祀られ、 明治13年5月8日に許可を得て ...

「山神社(大山祗神社・平川市金屋)」の記事はこちら。 今回は先日紹介しました山神社の更に奥にある大石神を目指します。地図で行けば水色&黄色のルートになります。水色の道も存在しましたが、どうやら緑のようなルートも存在し、最も近いのは本殿裏手からのルートかと ...

今回は冒険心を高めるため、少し古い地図だけを手にして、先日紹介した南田中の熊野宮から山神社(金屋の産土神、金屋字上早稲田)を目指してみました。 南田中の熊野宮の記事:『熊野宮 & 田中館 (平川市南田中)』 青いルートを見れば「ただ真っ直ぐ行けばいいだけじゃ ...

南田中字村内。かつての田中村。 天正8年(1580)に津軽藩祖為信の臣で太郎五郎吉祥の子田中惣右衛門宗久の領地となり居館が置かれたことにちなむ地名。 宗久は新屋村にも知行地を持っていたために、本田中村とも称したといいます。 田中館跡地は現在の熊野宮境内で ...

尾上町八幡崎は田圃を隔てて北に新山村、東に猿賀村、南に杉館村、西に日沼村、北西に蒲田村があります。 この地区は史跡八幡崎遺跡があり、その上に鎮座。 集落西端の宮本にある旧村社八幡宮は誉田別命を祭神とし、享和3年(1803)の寺社領分限帳によりますと、大同2年 ...

さてさて、猿賀神社探索シリーズの最後です(笑) 「猿賀石は旧猿賀字石林39番地から明治36年に移されたもので、古代人の巨石崇拝の遺物であると推定され、元あった場所は古代人の斎場遺跡と考えられ、猿賀・石林の地名もこれから起こった。丑石は字明堂238番2号地の丑盛から ...

猿賀神社及び盛美園裏手に「弥生遺跡」「小田崎」「五ツ盛」「七坊跡」とあります。 田舎館の弥生垂柳遺跡は有名ですが、弥生人が住居したのは高台と言われています。それが猿賀の高台。さて向ってみましょう。 盛美園の庭の構造は中央部分には木々が無く、裏の田園遠くの ...

猿賀神社といえばかつての猿賀館の跡地としても知られています。 境内に標柱が立っています。一度冬に訪れたら、まったく遺構がわかりませんでした(当たり前) 雪がない季節に訪れましたら、標柱の奥にはっきりと猿賀館の遺構が残っていました。 社殿の西側。土塁と空堀で ...

奥州津軽の霊地、猿賀神社 (奥州猿賀山深砂大権現堂)。御祭神は上毛野君田道命。相殿神保食神。旧県社。江戸時代までは深沙宮・深沙大権現と呼ばれました。また、別当寺と一体で猿賀神宮寺とも言われます。『津軽ふるさと散歩(小舘衷三)』には次のようにあります。『( ...

猿賀山深沙大権現堂は猿賀村の南寄りに鎮座。 寺門(仁王門)はもと神社参道正面にあった旧神宮寺山門。明治4年の神仏分離令の際に現在地に移されています。 古くから猿賀山深沙大権現堂の別当の猿賀山長命院神宮寺。旧神宮寺遺物の深砂大王の額、大浦為信寄進の梵鐘の一 ...

猿賀神社拝殿東側の鏡ヶ池湖畔に鎮座。水天宮水波能売神を祀ります。  社の天井には大蛇が二匹。祠の後方に龍があり、そこから水が流れ出ています。 弘前の胸肩神社のものと同じですね。 なぜ蛇?… 猿賀神社の祭神は、蝦夷討伐の将で仁徳天皇55年(367年)に伊峙水門( ...

猿賀神社の境内社。 こちらは冬の胸肩神社。 鏡ヶ池内の中島に鎮座しています。やっぱり蓮の時期に限りますね。池は凍って白鳥がいっぱいいました。 古くは水を司る弁財天を祭る弁天宮が建立され市杵島姫命と神仏混合、明治初頭に神仏分離にて胸肩神社に改称。 こち ...

現在は愛宕神社境内ですが、昔の津軽為信の陣所跡地になります。 地蔵堂が神仏分離令にて愛宕神社になりました。愛宕といえば勝軍地蔵で、戦国時代には武家の信仰が強かったといいます。また、秋葉神社と共に火伏せの神としても知られていますね。 かつては高木館、高木地 ...

↑このページのトップヘ