くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:寺・神社 (青森市) > 寺・神社 (旧浪岡町)

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かつての北畠館跡地。
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御祭神は倉稲魂命。
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創建及び由緒等一切不詳。
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但し、貞享4年検地水帳によりますと、観音堂と稲荷社がみえます。
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これが現在の馬頭観音堂と稲荷神社かと考えられます。
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猿田彦大神。
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成田三雄君之碑(大正11年3月)。『先に吉内公園(吉内字山下77)の地に建立されてありしが、終戦により個人所有地となりたる為に彰徳碑は吉内稲荷神社境内に移転する事になり昭和43年秋基台を縮小し建立落成する。あらためて先祖、成田三雄氏の遺徳を偲び感慨無量であった。昭和58年秋日 三雄孫 成田要次郎記』と基台に説明がありました。
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狐様二対と石燈籠一対。
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狛犬。
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台座が二段になっており、二段目は勾配があるので津軽構えが引き立ちます。
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紀年銘は大正4年。
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社殿。
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木鼻。
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社殿内。
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石燈籠付本殿。
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馬頭観音。
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御神馬一対と石燈籠一対。
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傷みは激しいですね。
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馬頭観音堂内。
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左八幡宮、右馬頭観世音。
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郷山前村は浪岡川と十川の合流点の東、梵珠山系の丘陵斜面にあります。
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吉野田村の南西佐渡から浪岡川までの広大な土地を江戸時代初期に江三枚萢といい、その北が下江三枚で郷山前の元の集落がありました。
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旧村社八幡宮は延宝6年(1678)、鈴木治右衛門勧請と伝えますが、工藤九平勧請説もあります。いずれも郷山前村の開祖と考えられている方。また、青森県神社庁HPによりますと、創建不詳で、村中で崇敬してきましたが、自然と信仰が衰微し社殿荒廃したものを延宝3年 (1675) 6月14日鈴木次右衛門が再建とあります。御祭神は譽田別尊。
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享保12年(1727)、樽沢村分離の時に雨覆(さや堂)を村中で建立。
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明治6年4月、吉野田八幡宮へ合祀されますが、明治8年2月復社。明治41年10月、幣殿、拝殿を新築し、御神体を勧請。
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八幡宮から西の傾斜地をバンヂ屋敷といい、藩政中期頃にアイヌが住んでいたそうです。
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馬頭観音。
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郷山前村の馬頭観音は安永8年の建立で、同所にある地蔵尊と二十三夜塔は、幹が3本に分かれている御神木であった三本柳(野沢小学校校庭)と共に焼死した大蛇の供養塔との話を聞きましたが地蔵尊はなく、この馬頭観音のことかはわかりません。
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二十三夜塔と岩木山三所大権現碑など。
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青森市浪岡大字下石川平野。
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下石川村は梵珠山系の山麓にあり、浪岡村と原子村(現五所川原市)を結ぶ道に沿い、西北は高野村(現五所川原市)、南は吉野田村に接します。
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鳥居がぐにゃ。
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創建は不詳。
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貞享4年検地水帳によりますと、熊野堂地6畝12歩が見えます。
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平野にある旧村社熊野宮の御祭神は伊弉諾命、伊弉冊命。
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明治6年(1873)、高野村の広峯神社に合祀し、明治8年2月復社。明治9年12月村社。
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明治42年8月神饌幣帛料供進指定神社。
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馬頭観音。
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地内上福田にあります旧村社の白山神社。鶴田の産土神。
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右側はすぐ車道となっていて、ちょっと狭い参道・境内です。
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百万遍。
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手水舎。
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参道に狛犬二対。
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御祭神は伊弉諾命、伊弉册命。菊理媛命は祀っていないんですね。
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延宝5年(1677)、高屋敷村中にて創建。
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寛保2年(1742)上様御安全、五穀成就、村中安全のため、村中にて再建。一時、高屋敷村の旧村社神明宮に大石神・加茂神と共に合祀。
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宝暦13(1763)年10月、寛政4年(1792)4月、天保7年(1836)3月の棟札があります。
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本殿。
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本殿前狛犬一対。
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末社。
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神像と御神馬。
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一之鳥居横にある庚申塔。
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かつての五本松村です。
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古くは七日町とも称していました。これは中世末期に浪岡城下の一部であったことの名残りと考えられます。
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美人川公園。
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美人川伝説…『平安時代の終わりごろのことである。京都の公卿、近衛関白にたいへん器量の悪い福姫という娘がいた。なかなかお輿入れの機会に恵まれないということで、両親はことのほか心配していた。そんな両親が、娘の良縁を願って、清水観音へ願掛けにいったところ、ある日、不思議なお告げがあった。それは、津軽の外ケ浜で炭焼きをしている藤太のところへ嫁ぎなさいというものだった。両親から事の次第を告げられた福姫は、意を決して、一人津軽へと旅立った。はるばる津軽へと足を踏み入れたところで福姫は、まだ見知らぬ自分の夫に会えるのかと思い、身なりを整え、かたわらの川の流れで顔を洗ったのだった。そして、そこで拾った杉の葉を楊子にしてお歯黒をつけようと、ふところから取り出した鏡をのぞき込んだ。驚いたことにそれまでの醜さとはうってかわって、世にも美しい娘に変じていたのである。世にもまれな美人となった福姫は、やがて出会った藤太という炭焼きと結ばれたのだった。藤原一族の流れをくむ高貴な名門の出であった藤太は、外ケ浜におちのびて炭焼きに身をひそめていたのでした。藤太に嫁いだ姫は、献身的に夫に尽くし、二人はやがて津軽地域の有力な豪族となったのである。この伝説にちなみ、姫が顔を洗った川は「美人川」と、呼ばれるようになり、また、お歯黒をつけた楊子の葉はいつしか根付いて今では巨大な杉の大木に生長し、「楊子杉」と呼ばれるようになったという。その杉は今も羽黒神社の境内に残っている。』
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「青森の伝説」には次のような記述があります…『昔、京都の近衛家の姫君で福姫と申す方が、生まれつきの不器量で、年ごろになっても縁組みがない。陰陽師の占いによって、夫になる人がみちのくの外が浜にいると知らされ、はるばる津軽の国へ旅をして来た。さて、この浪岡の五本松あたりまで来て、わが尋ねる人はこんな所にいるかもしれぬと思いながら、そばを流れる小川のほとりで顔を洗い、水鏡に映して見ると、これまでの醜さがすっかり変わって、玉をあざむく美女となっていた。これも神仏の加護と喜び、川を美人川とよぶようになった。今わずかに面影を残す美人川の土手に、四かかえ余もある杉の大木がある。これは福姫が美人川で化粧をしたとき、杉の小枝を折って、お歯黒をつける楊枝にして使った。それをお堂のそばにさして行ったのが、根を生じ枝葉が茂るようになったので、楊枝杉とよんだ。またこのあたりを羽黒平、お堂を羽黒神社というようになった。』
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美人川へ。
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美人川の水が…(ノД`)・゜・。
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カラッカラ。
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こちらには僅かに水がありますが顔を洗うには大変な勇気が必要でございます。
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トンボさんも困ってるよ。
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川の畔に古い案内看板もありますが、こちらは読み取ることができませんでした。なお、「源常平のいちょうと美人川」・「炭焼き藤太と銀杏」については、浪岡町史別巻に詳しく載っています。
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美人川の畔にいくつかの小祠があります。
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こちらの祠には金の龍と鏡が祀られていました。
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こちらは龍に乗った水神が祀られています。
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美人川のすぐ横の丘の上に上ります。
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丘の上に羽黒神社が鎮座。
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御祭神は倉稲魂神。
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もとは七山羽黒大権現。
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草創は不詳。
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村中にて再建してきました。例祭日は4月2日・12月2日。
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本殿。
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狛犬一対(昭和12年4月19日)。
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楊子杉です。
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天和4年(1684)の村絵図によりますと、境内には大杉が記入されています。
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伝説に登場するだけのことはあり、結構な巨木です。
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社殿に向かい合っている鳥居。
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こちらは山神でしょうか。
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拝殿新築記念碑(昭和9年12月2日)。
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十五夜・二十三夜塔。
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社殿横の小祠。
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観音像一体が祀られており、祠下には石が詰められていました。
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社殿手前にあるこちらの建物には…
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立派な獅子頭が見えました。
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