くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (大鰐町)

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青森県南津軽郡大鰐町。茶臼山公園。
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油川貞憲頌徳碑(篆額工学博士唐津曽根達藏)・玉川長吉大工棟梁顕頌徳碑。裏面碑文は読んでおりません。
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大鰐温泉つつじまつり開催中の参詣。
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八幡宮の詳細については以前の記事(下記リンク)を参照ください。
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石灯籠一対。
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手水舎(大正5年)。
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狛犬一対(大正7年6月15日)。
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社殿。
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拝殿向拝。
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大鰐温泉つつじまつり開催中には拝殿に休憩所が設置され、自由に休憩できるようになっております。
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但し、休憩所のお座敷が拝殿内中央に設置されているため…たまに拝まれます笑
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拝殿内絵馬。
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古そうな絵馬もあります。
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こちらは明治29年11月15日。
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御神馬。
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境内末社。
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1つはよく見えず。羽黒山祈祷大麻かな。わかりませんが。
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もう1つには勧請東北稲荷大明神。
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阿闍羅山は他界信仰の山であると同時に水神信仰の山でもあります。
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阿闍羅山大権現から竜神宮へ。
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かつてここには鳥居が建っていました。
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現在は倒れたままです。
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ここから15間ほど下ります。
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細い山道です。
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うわ、細い道なのに…
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気持ち悪い蛙が道の中央に陣取って動きません…蛙苦手…しかも大きい…足元注意です。
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そっと跨いで…池到着。
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小十和田池と竜神宮。竜神宮は草創不詳。昭和52年の再建。
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一番休みでも紹介しましたように、阿闍羅山は水神信仰の山でもあります。
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江戸時代には大鰐・蔵館の両村の老若打集で願所成就を願い、懺悔を唱えて登山し、山頂の祠を拝し、次いでこの小池小十和田を拝し、小さな白紙に三粒の米を包んで池中に投げ、沈めば納受ありて願望成就、浮けば心願叶わずと後来を戒慎、或深く信じるものは池中に霊牛の影を見るといいます。なお、『水神竜神 十和田信仰』にも同じ記述があります。
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残念ながら何も見えませんでした。
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ちなみにここから下方の麓中腹には坊屋敷と呼ばれる中世の伽藍と本坊の遺跡があります。
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阿闍羅山大権現に戻りまして…阿闍羅行者修業のみち案内板。
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阿闍羅山大権現からの景色。
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ゴンドラ終着地点。
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展望休憩所(パノラマ)…開いてませんでした。
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っていうより廃墟状態。
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リフト終着点。もちろん動いていません。
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ってことで、帰りも歩いて下ります…修行修行!!
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最後にもう少しだけ阿闍羅山を紹介。
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こちらは雨池国際コースの途中にある水神を祀る祠。雨池コースというだけあります。
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『水神竜神 十和田信仰』には次のような記述があります…『(前略)アチャラとは、不動明王の梵名である。中腹に雨池があって昔は水神を祀っていたようだが、近年は地元の虹貝の人も詣らなくなったという。』
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こちらは島田方面に下っていく途中にある山神の碑。
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以上、阿闍羅行者修行の径シリーズでした。
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三番休みから上ってくると最初に見えてくるのが一の鳥居。
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これが一の鳥居なのか、現在これだけが残っているのは不明ですが。
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笠木部分は下に落ちてました。
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ここから少し登れば到着です。阿闍羅無線中継所が目印。
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あじゃらいただきの森トレッキング案内看板。
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トトロン迷宮の森には入りたくないですねぇ…方向音痴だし。お弁当広場がいいけど、説明によると「ウサギのウンコがあるので注意してください」とのこと。お弁当を食べる気分が失せる説明です。
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阿闍羅無線中継所。もう一息!
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二の鳥居が見えてきました。
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阿闍羅山大権現はまさに阿闍羅山の頂上に鎮座しております。
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鳥居と参道。
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阿闍羅山頂…『ここは標高709メートルである。中世のころ、山頂に蔵館大円寺の阿弥陀如来像の大日堂、古懸の不動堂、久渡寺の観音堂の三堂が建てられ「阿闍羅千坊」と言われていたと伝えられている。阿闍羅の地名は仏教とかかわっている。』
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大権現宮。
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社号標の横には紀年銘(大正8年8月1日)。再建時に奉納されたもの。
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明治24年村有志建立。明治22年に弘運海が2人の若い僧を連れて阿闍羅山頂に篭もった時、夢に岩木山頂本尊観音(金銅)が現れて、お告げがあったといいます。それで大鰐講中は神仏分離令で岩木山から遷された岩木山頂本尊を求め、苦労してようやく大鰐に勧請。その時、岩木山頂と同じように阿闍羅山頂へ大権現宮を建立し、岩木山頂仏を祀りました。
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御神体の元岩木山頂観音像は専稱院の阿闍羅堂に祀られ、建立年から始まった阿闍羅山お山参詣の日には阿闍羅山大権現宮に遷されるそうです。なお、祠内には本地仏の聖観音像が安置されているそう。
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石燈籠一対(八万舘村)。大正10年81日。
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秩父宮殿下御登山記念碑(昭和3年9月2日)。
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阿闍羅山頂整備記念碑(平成2年9月建立)。
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津軽霊峰阿闍羅山海抜709.1m(平成元年8月31日建立)。
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北門鎮護寳塔。北門鎮護の塔については平成9年発刊の「日精寺のあゆみ」に詳しく記されています。弘前市図書館で読むことができますよ。右面には北門鎮護寳塔碑文…『聖地阿闍羅は平安京の鬼門封じに三千坊を建立せりと傳ふ所本州の北端に磐石不動の神相を顯現して聳えたり戦局愈々危急の秋阿闍羅文化集談會は廣く浄財を集めて神州護持の大信念を標徴する北門鎮護の寳塔を山巓に建立し窮局の為協力する萬民の實相と郷土現況の大要を碌して塔中の秘筐に藏々是を後昆に傳へんとす醜虜何者ぞ朝暾夕暉に燦く寳塔を仰ぎ愈々大雄猛心を結集し以て怨敵退散皇土安穏を祈願し奉ると爾云ふ 松露山人撰文』※松露山人は葛西覧造氏の俳号。
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左面には立正安国。
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裏面…昭和21年8月1日建立。發起者:阿闍羅文化集談會。
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四阿。
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境内はちょっとした広場になっています。
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境内からの風景。
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先週は見えなかった岩木山がくっきりと見えます。
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リベンジしてよかった。
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