くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:寺・神社 (弘前市) > 寺・神社 (旧岩木町)

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県道30号線沿い。追の沢マス釣場の近くです。
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土風里の森、百笑宮。Laugh and grow fat!
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リンゴのオブジェ。
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「一願成就」碑。平成18年9月吉日寺島忠義建立。
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案内板…『宇宙と地球にルーツを持ち波動のパワーストーンが存在する山、世人の幸福と幸運の願いを叶え導く、奇跡的パワーを呼び与える山。土風里の森百笑宮』
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『福神さん 全員集合 大願成就 瑞氣集門 健康 しあわせ ゆめ お金 全部招いて どんどん招吉』
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金華山百笑宮。
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「百姓」と「百笑」とかけているのでしょう。「金華山ありがとう」とあります。金華山といえば宮城県の金華山ですが、津軽で金華山といえば禅林街にある金華山泉光院ですね(※山号は宮城県の金華山から)。百笑宮が実際に関係しているのかはわかりませんが、泉光院は農家との関わりが強い寺であり、また、守護神として岩木山大権現(岩木山の石)を祀るお寺としても知られています。
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裏側はよく見えませんでしたが、「宇宙の未知国から…」云々と書かれていました。恐らく先程の案内板と似たような内容でしょう。
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屋根は鰹木3本で、内削ぎの女千木。
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菊花紋のオブジェ。
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七福神。
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一木造。
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周囲にある7本の柱の上部の…
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この丸い溝に…
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このように七福神をそれぞれセットし…
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穴から岩木山を拝むのでしょう。美味しいリンゴが実りますように…
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正面に岩木山を見ることができます。
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拝み終わったら七福神を元の場所に戻しましょうね。
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周囲を散策。
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いくつか不明の石が置かれています。
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どうやら百笑宮前は庭園風になっているようです。
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水は抜かれていますが大きな池があります。
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池の中には縁起物の三段亀。親亀、子亀、孫亀…長寿と子孫繁栄を願ったものでしょう。
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フクロウ。
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池の近くには手水石的な石と井戸。
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井戸の上にはコップが。
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中を覗いたら蛇口でした。
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境内にあるもう1つの建物。
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紫電庵。
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「坐禅」とあります。坐禅をする場所かな(←そのまま)。
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百笑宮は以下のサイトにて動画で紹介されています(「ゆき」とありますが私ではありません笑)。動画のセリフが楽しいです。
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上弥生と同じく戦後の開拓。第二次世界大戦後、敗戦により食糧増産が急務となり、耕地開拓は国家的事業となり、岩木山麓では杉山、上弥生、羽黒、瑞穂、小森山、平和などの地区が開拓されて開拓集落となりました。つまりその後の創建と考えられます。
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弘前市常盤野の瑞穂神社や弘前市弥生の保食神社のように昭和に入って入植者により開拓された地区には産土神としての神社が祀られています。案内板がある大山祇神社の由緒からその背景が伺えるかと思います。
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ちなみに杉山神社といえば神奈川県を中心に多く存在しますが、その杉山神社とは異なり、この地区の名前から命名されたものと思われます。
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手水石。
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境内にあった石。
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注連縄がかけられ磐座のようです。
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本殿。
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高屋字福田の集落にある曹洞宗和光山吉祥寺。初め賀田村に開庵され、昭和23年に山号を得るまでは吉祥庵と称していました。文禄3年(1594)津軽氏の堀越進出に伴って廃庵となるも、天保3年(1832)に高屋村(坪貝村福田。国誌によりますと坪貝村は賀田村に続いていて一村のように見えると記されます。)に再建。
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本尊の阿弥陀如来像は室町期の作(恵心僧都の作)といわれ県重宝に指定。本尊は元新法師村の太田家で祀られていたという伝承があります。現在弘前市立博物館に保管されています。よって当寺に来ても拝観することはできません。弘前市のHPで写真を見ることができますよ。
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壊れた案内板がありました。ギリギリ読めそうです。
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『阿弥陀如来像。鎌倉末期の90糎の木像恵心僧都の伝えあり。昭和37年(1962年)に県指定文化財となる。治承年間に延暦寺座主明雲の弟子蓮印が新法師に安置したといわれる。吉祥寺』
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吉祥庵再建記念碑。
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裏面に紀年銘(昭和9年5月)と発起人名。
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地蔵尊。
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石碑が3基。
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南無阿弥陀佛(嘉永2年5月15日)。
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餓死供養塔(南無阿弥陀佛・天明3、4卯辰年3月24日)。
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こちらは…読み取りにくかった。
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「文化7年(1810)」「當庵■々」などの文字。紀年銘は明治かな。
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