くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:寺・神社 (弘前市) > 寺・神社 (旧岩木町)

由緒等は以前の記事もご参照下さい。『白山姫神社 (弘前市鳥井野)』『白山姫神社(弘前市鳥井野):鬼コ』白山姫神社…『白山系の神社は祭神が白山比咩命であるが、のちに加賀の白山が修験道の霊場とされて、修験僧の入山が盛んになった頃より、菊理媛命・伊邪那岐命・伊邪 ...

『岩木山(8-9合目)鳥海山』、『岩木山山頂』からの続きです。標高1,625m。岩木山は津軽国定公園にあり、「津軽富士」と呼ばれ、また青森県で一番高い山として古くから人々に親しまれてきました。この日は快晴でしたが眺望はありませんでした。雲一つない快晴といえども山頂 ...

弘前市大字常盤野上黒沢。津軽岩木スカイライン入口付近。まず常盤野村についてです。江戸期には津軽郡鼻和庄のうち。弘前藩領。村高は「天保郷帳」では改称前の村名である枯木平村と見え81石余、「旧高旧領」9石余、駒越組に属しました。天保12年-文久2年の間、士族中村茂助 ...

青森県弘前市大字百沢字山田。岩木山総合公園・津軽カントリークラブ百沢コースの南。さて、弘前市街地から岩木山神社や嶽方面に向かうにはいくつもの経路があります。私も嶽きみシーズンやお山参詣などの時は大変混み合うので、東目屋・西目屋方面から農道などを使っていき ...

青森県弘前市大字高岡神馬野。隣接する「高岡の森 弘前藩歴史館」(休館日:毎月第3月曜日(その日が祝日の場合はその翌日)、年末年始(12月29日-1月3日)、展示替え期間中は臨時休館)の住所は弘前市大字高岡字獅子沢。弘前藩4代藩主津軽信政を祭る高照神社には、信政の遺品 ...

弘前市五代沼田。旧岩木町。古最勝院の五代(大)尊を安置していたことに因む地名。庄屋紋兵衛書上によりますと、地内に才兵衛地蔵、戦国末期勧請の五大堂、白山堂、蔵王権現堂などが見えます。 五代尊は仏教における信仰対象であり、密教特有の尊格である明王のうち、中心 ...

森山は津軽カントリークラブの横にある小さな山です。小森山(標高325m)と森山(標高403m)がありますが森山の方。 ミズナラ、イタヤカエデなどを主とした夏緑広葉樹林となっており、また、カタクリ、シュンラン、ホタルカズラなどの群落があります。特にカタクリの花を見 ...

県道30号線沿い。追の沢マス釣場の近くです。 土風里の森、百笑宮。Laugh and grow fat! リンゴのオブジェ。 「一願成就」碑。平成18年9月吉日寺島忠義建立。 案内板…『宇宙と地球にルーツを持ち波動のパワーストーンが存在する山、世人の幸福と幸運の願いを叶え導く ...

上弥生と同じく戦後の開拓。第二次世界大戦後、敗戦により食糧増産が急務となり、耕地開拓は国家的事業となり、岩木山麓では杉山、上弥生、羽黒、瑞穂、小森山、平和などの地区が開拓されて開拓集落となりました。つまりその後の創建と考えられます。 弘前市常盤野の瑞穂神 ...

高屋字福田の集落にある曹洞宗和光山吉祥寺。初め賀田村に開庵され、昭和23年に山号を得るまでは吉祥庵と称していました。文禄3年(1594)津軽氏の堀越進出に伴って廃庵となるも、天保3年(1832)に高屋村(坪貝村福田。国誌によりますと坪貝村は賀田村に続いていて一村のよ ...

詳細は以前の記事も参照下さい。 以前の記事『高照神社と高岡街道 (弘前市)』令和元年再訪記事『高照神社 (弘前藩歴史館)』 高照神社…『吉川神道を信奉した弘前藩四代藩主の津軽信政は、自らの葬地を高岡と定め、宝永7年(1710)に弘前城で死去した。五代藩主信寿は ...

詳細は以前の記事を参照ください。 『岩木山神社 (青森県弘前市百沢)』 『岩木山神社社務所 (青森県弘前市百沢)』 『奥富士出雲神社・稲荷神社・白雲神社 (岩木山神社 / 弘前市百沢)』『守山神社 (森山 / 弘前市百沢)』 五本杉。 奥富士出雲神社。 大黒様と ...

弘前城下から岳に至る百沢街道沿いにある村。 かつて五代村から新法師村を通り、百沢村までの間に874本の松並木が植えられていました。現在も63本が残っており、藩政時代の面影を伝えます。 関連記事:『百沢街道 (弘前市)』 新法師村に鎮座する大山祇神社。 御祭神 ...

旧岩木町の葛原に鎮座する春日神社。 春日神社らしく狛鹿さん(昭和7年1月11日)がおります。 いい表情です。 春日神社の御祭神は天児屋根命、武甕槌命、伊波比主命(経津主神・斎主神)、比売大神(天美津玉照比売命)。 創建不詳。 青森県神社庁に ...

真土村は東は近名村、北は二本木村、西は竜ノ口村に接し、南は岩木川を挟んで悪戸村に相対します。 寛永17年(1640)の津軽百助宛の津軽信義黒印知行宛行状に「一真土村之内」とあり、村内に津軽百助の知行地がありました。 語源は良質の土を産するところに由来し、藩政時 ...

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