くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (黒石市)

その美しさから紅葉の名所、京の嵐山にちなんで、小嵐山とも呼ばれる中野もみじ山。弘前藩主が京都から百本あまりのもみじを移植したのが始まりとされ、山一面を彩る紅葉は人々を魅了します。イザベラバードも「ここは非常に美しく、秋には無数のカエデが緋色や深紅に色を付 ...

黄檗宗宝厳山法眼寺。詳細は以前の記事も参照ください。『宝厳山 法眼寺 (黒石市)』法眼寺境内にある黒石市指定文化財…『〇法眼寺開山堂(市指定有形文化財・平成4年7月7日指定)南宗元頓を祀った一間四方の小規模な建物であり、当時は「赤御堂」と呼ばれていた。内部には ...

県下有数の紅葉の名所。 亨和2年、弘前藩主の津軽寧親公が京都から百余種の楓苗を取り寄せ移植して以来、モミジの名所として親しまれています。 林の中には中野神社、不動舘城跡があり、彩り豊かな紅葉は滝と渓流に映え、鮮やかな世界を展開。紅葉期間中はライトアップが ...

下山形村は黒石城下の東南にあたり、花巻村の東、築館村(上山形村)の西に位置します。 正保2年(1645)の津軽知行高之帳の平賀郡に山形村とあり、上山形と下山形に分記されるようになるのは、元禄2年(1689)の黒石平内巳年郷帳が初めです。 下山形村の西北に支村中村 ...

寺町は江戸期は黒石城下の1町。黒石陣屋の東北に位置し、明暦2年の検地帳の名請人に寺町の町人が記され、陣屋の成立当初から町立てされていたと思われます。町内には寺院が多く並んでおり、享保3年寺社領分限帳によりますと、浄土宗名越派紫雲山来迎寺、浄土真宗大谷派齢松 ...

寺町は江戸期は黒石城下の1町。黒石陣屋の東北に位置し、明暦2年の検地帳の名請人に寺町の町人が記され、陣屋の成立当初から町立てされていたと思われます。町内には寺院が多く並んでおり、享保3年寺社領分限帳によりますと、浄土宗名越派紫雲山来迎寺、浄土真宗大谷派齢松 ...

お墓等色々と残っておりますので跡地と言うには語弊があるかもしれません。かつての徳兵衛町で、明治初年の国誌によりますと、町の規模は東の中町より西の大工町まで長さ4町25間・幅2間3尺、ほかに北の門前小路に通じる寺小路は長さ63間・幅1間1尺、その西に並ぶ保福寺通は ...

かつての徳兵衛町で、国誌によりますと、門前小路に浄土真宗大谷派照林山円覚寺があり、油川の昭林山明行寺8世念西の隠居所として明暦3年に開基したと伝えます。 寺小路の東にあり門前小路に至る円覚寺通は長さ63間・幅2間。 また、円覚寺境内には東松山宗信寺が天明8 ...

寺町は江戸期は黒石城下の1町。黒石陣屋の東北に位置し、明暦2年の検地帳の名請人に寺町の町人が記され、陣屋の成立当初から町立てされていたと思われます。 町内には寺院が多く並んでおり、享保3年寺社領分限帳によりますと、浄土宗名越派紫雲山来迎寺、浄土真宗大谷派 ...

青荷沢にある八坂神社。 鳥居等もなくなって、かなり傷みが激しくなっていますね。 御祭神は素戔雄命。例祭は6月13日。当地区で管理されています。昭和27年に常盤村大字福島の八坂神社から勧請したもので、入植者全員で創建。 社殿内の神像や七福神など。神仏混合感があ ...

浅瀬石川沿い、龍ノ口に鎮座。 かつての浅瀬石城跡付近。 「水神竜神 十和田信仰」(小館衷三)には以下のように書かれています。 『高賀野の貴船神社はやはり十和田神社と称しているが、開創は文明年間(1469-1486)というから大変古く、浅瀬石城主-政久が信仰したも ...

板留村の北の山手に鎮座する少名彦神社。御祭神は少名彦命。 南津軽郡是によりますと、宝永元年(1704)勧請。明治初年の国誌には寛永年間(1624-1645)の創建とあり、宝永元年再建ということでしょう。明治以前には薬師如来も安置しており、薬師様とも呼ばれていたそう。 ...

弁慶マタギ伝承の地。江戸時代には木樵・炭焼などの山仕事を主業として、農業やマタギを副業としており、大川原のマタギは黒石陣屋に熊皮と胆を納めていたそうです。 また、県無形民俗文化財である大川原の火流しでも有名です。火流しは御醍醐天皇の第三皇子宗良親王を長年 ...

かつての上十三村。貞享4年検地水帳によりますと、常是院抱えの八幡堂社がみえますが当神社との関連は不明。 上十川八幡宮の御本尊は大杉村大字徳妻子村(現青森市浪岡大字徳才子)に所属 していたそう。 御本尊と境内が失われた後、十川村の岩間彌五兵衛の親に度々枕 ...

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