くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 遺構・痕跡・城址・廃墟・碑等

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秋田県鹿角市花輪新田町。道の駅かづの(あんとらあ)へ。「あんとらあ」は英語で鹿の角です。サッカーの鹿島アントラーズ的な感じです。
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青垣の門。
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垣のように周囲を取り囲む木の青々と茂った山を青垣山といいますが、鹿角盆地も山々に取り囲まれており、石川啄木が「鹿角の國を懐ふの歌」の冒頭にて「青垣山を繞らせる天さかる鹿角の國をしのぶれば、涙し流る。今も猶、錦木塚の大公孫樹、月良き夜は夜な夜なに、夏も黄金の葉と変り、代々に伝へて、あたらしき恋の譚の梭の音の、風吹きくれば吹きゆけば、枝ゆ静かに、月の光の白糸の細布をこそ織ると聞け…」と詠んでいます。
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全館案内図。手づくり体験館は令和元年5月末日に閉館したようです。建物に囲まれた中央のふるさと広場(駐車場)はかつてスケートリンクがあったそうです。私がこの案内図を見ていたら地元の方らしき人が子どもにそう説明していました。
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まずは腹ごしらえ。きりたんぽ、比内地鶏、鹿角牛、八幡平ポーク、稲庭うどんなど、絵に描いたようた秋田メニューでした。ってことで比内地鶏の親子丼を頂きました。ちなみに別の日に訪れた時には稲庭うどんや、夏季限定のみずのたたき丼なども頂きました。みずのたたき丼は初体験でしたが、中々大人な味でございました。見た目は良くないので写真は載せません笑
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ドルチェは北限の桃ソフトクリームです。
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かづの北限の桃のやさしい甘さと香りが広がる、あんとらあオリジナルソフトクリーム。
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祭り展示館。花輪ばやしの十町内の屋台全部を展示しているそうです。
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祭り展示館前にあった樽。
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この樽は、当市花輪にて味噌醤油の醸造元として歴史のある株式会社浅利佐助商店が明治30年代に作成し、平成7年末までの約100年間の永きに渡り味噌樽として使用してきた30石樽です。この30石樽の味噌の量を、1世帯分の年間味噌消費量(平均消費量約10kg)で計算すると500年分に相当します。
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祭り展示館内へ。豪華絢爛!
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日本三大ばやしの一つ「花輪ばやし」の屋台が一堂に展示されている祭りの展示館です。花輪ばやしは花輪の産土神・幸稲荷神社の祭典に奉納される祭りばやしです。総勢十町内の屋台が市街の各所をまわりながら運行します。一番の見どころは屋台が勢ぞろいする駅前行事ですが、その後も夜通し繰り広げられる各所の行事も必見。各町内の若者が溢れんばかりの体力と情熱で練り歩く様は、血湧き胸躍るまさに熱響の感動を観るものにもたらします。サンサは花輪ばやしの独特の手締めで、祭神への挨拶、讃える言葉とも言われています。「さん・さん・さんとせ~」から始まり3回繰り返します。駅前だけではなく、他の場所でも観ることができます。
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花輪ばやし屋台はとても綺麗ですが、現役で使用されている屋台とのことです。十町内すべての屋台が展示されています。
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この大きな扉から出発するのですね。
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案内板より。
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花輪はやし…『日本三大ばやしの一つ「花輪ばやし」は、8月19日・20日の両日に行われる幸稲荷(さきわいいなり)神社の例祭に出る祭り屋台ばやしですが、優雅で情緒豊かなものとして、今や全国的にその名が知られています。平安末期からの歴史を刻み、洗練されたメロディ、華やかなリズム、華麗な笛と勇壮な太鼓の響きは、無形民俗文化財としての歴史と伝統を象徴するものです。「花輪ばやし」の素晴らしさはまた、けんらん豪華な屋台です。十町内からなる屋台は、それぞれ異なり、けやきや桂を材料に使って、金ぱく、総うるしの仕上げで、いずれも伝統的な風格をそなえたものです。』
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屋台…『花輪ばやしの屋台は演奏者が歩行する型式で、通称「腰抜け」とも呼ばれています。昔はこの「腰抜け屋台」の他に二階造りの「本屋台」があって、豊作の年は「本屋台」で、平年作の年は、「腰抜け屋台」で演奏する習わしでした。現在、「本屋台」は保存されていませんが、数年に一度行われる「しゃぎり」の屋台も本来は、「本屋台」と同じ造りでした。』
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意匠をこらした屋台の各部名称…『【正面の鬼瓦】住まいでいえば鬼瓦にあたり、木製の棟飾りを指す。邪気をはらう厄除けの意味がある。【正面の懸魚】破風の拝みの下に付ける装備。棟木、桁の先端を隠す役割がある。【破風】屋根の切妻につける合掌形の飾り板。古くは神社などにも用いられた。唐破風、千鳥破風などがある。【蟇股】屋根の重さを支えるための部材。下方が開いてかえるの股のような形をしている。【三斗組】大きな木の上に枠を十文字に組み、さらに桁などを渡して屋根の支点にしたもの。唐招提寺など大きな寺院の建築にも用いられている。【勾欄】宮殿の廊下などの端のそり曲がったてすりを模したもの。高欄ともいい、貴人が使用した牛車の前後の口の下に張り渡した低い仕切り板のこと。』
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太鼓。
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花輪ねぷたの灯ろう。この灯ろうは、毎年陰暦7月7日と8日に行われる七夕祭"花輪ねぷた"に登場するものです。ねぷたは正面に「王将」、背面に「武者絵」を描いた将棋の駒形の大灯ろうが、各町内から繰り出し、笛に合せた大太鼓の独特なリズムにのって町中を練り歩きます。
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鹿角の祭り(花輪ばやし・大湯大太鼓・毛馬内の盆踊・大日堂舞楽)。説明は省略。
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イベントホール内。
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以下パンフレットより…『【見どころ・祭りのハイライト】8/19夕方、駅前に集結。駅前運行(午後7時50分頃)夕焼けの名残の中、各町内の屋台が本ばやしの音と共に駅前広場へと向かいます。スタートから約2時間後に、十の屋台が駅前広場に集合。町踊りも披露され駅前は祭り特有の熱気に包まれます。屋台の豪華さと迫力あるお囃子の音色、そして演奏する人の気迫が見事に調和した花輪ばやしの第一の見どころと言えます。8/20稲村橋詰(午前2時5分頃)桝形に詰めるため、いったん十の屋台は稲村橋に整列します。8/20(午前3時15分頃)朝詰(20日未明の祭りのハイライト)。暁闇をついて行われる朝詰は、花輪ばやし最大の見どころです。華麗な屋台が若者たちの手によって町内をねり歩き、桝形と呼ばれる神輿の控え所に詰める様は、まさに豪華絢爛。途中、他町内を通過する際、町内の代表による「町境の挨拶」が行われます。闇間に響く本囃子の太鼓の音に町中が興奮のるつぼと化します。8/20(午後8時40分頃)駅前運行。祭り2日目も鹿角花輪駅前へ全町内が集結し、熱い演奏と優雅な踊りを観光客の皆様へ披露いたします。8/20(午後11時35分頃)赤鳥居詰。いよいよクライマックス。赤鳥居へ詰め、サンサ。これでその年の花輪ばやし祭典の幕がおろされます。全町が解散するのは21日の未明です。』
【花輪ばやしのスケジュール】
〇第1日目〇19日
11:00~交通規制開始
17:30~18:35御旅所詰出発。のろしを合図に御旅所に向かってパレード開始。
18:35~18:55御旅所。サンサが見れます。かづの銘酒前で子供はやしコンクール審査。
19:00~19:50町おどり。駅前広場にて、花輪美人による町踊りで屋台到着を待つ。
19:50~21:15駅前行事。花輪ばやし一番の見どころ!!
21:15~23:00自町内に向かってパレード開始、踊りが一緒に付きます。
0:00~朝詰パレード。桝形に向け組丁から朝詰パレード開始。
2:10~2:40稲村橋到着。深夜行事の一番の見どころです。
2:55~4:00桝形行事。躍動的なパレードと趣向がかわり、一転、厳粛な神事となります。神様への各町内が奉納曲を演奏します。サンサも見れます。
4:00~6:00自町内に向かって運行します。
〇第2日目〇20日
11:00~19:00町内自主運行。
19:00~赤鳥居詰パレード。赤鳥居(組丁)詰パレード開始!!
20:00~20:40鹿角の郷土芸能。駅前広場にて、鹿角の郷土芸能を披露、屋台到着を待つ。
20:40~21:30駅前行事。花輪ばやし一番の見どころ!!全町内揃い踏み円陣を組みお囃子の共演など。駅前行事終了後、赤鳥居(組丁)へ出発。
23:30~23:45赤鳥居行事。幸稲荷の神さまへ祭り終了の挨拶。最後のサンサが見れます。
23:45~21日2:30各町内へ。途中、下5町内は保健センター前、上5町内は御旅所前で囃子の共演や演芸などを行う予定です。
5:00交通規制解除
※時間は目安です。
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花輪ばやしの歴史…『幸稲荷神社の祭礼は、古くからの花輪の人々の厚い信仰とともに「花輪祭礼」「稲荷神社祭典」「豊年祭り」「豊年花輪祭り」「花輪祭」など様々な呼称で綿々と引き継がれ、祭礼ではお囃子が奉納されてきました。幸稲荷神社の祭礼で、お囃子がいつの頃から奉納されるようになったかは定かではありませんが、伝承されている曲のいくつかは江戸時代前期以前の古い時代から伝えられてきたと言われています。花輪ばやしに関する最も古い記録は、江戸時代中期1765年(明和2年)の尾去沢銅山の休日に関する定め書に「花輪稲荷之祭礼」として残されています。江戸時代の「南部藩家老席日記」や尾去沢銅山の管理に携わった役人の記録にも、その記録を見ることができます。明治時代には、「本屋台」、「サギリ屋台」、そして時には武者などを飾った約10メートルもの「人形屋台」と様々な屋台が繰り出されて、屋台や舞台で芸者衆が芸を披露するなど賑やかさを増していきます。かつては大町・谷地田町・六日町の3町が屋台を繰り出していましたが、他の町内からも屋台が出されるようになりました。昭和以降、花輪以外の地での演奏やラジオ放送の機会が生じ初めて、花輪のお囃子として花輪ばやしという呼称が生まれました。戦後、県外での演奏も増え、お囃子としての花輪ばやしの名称は全国的なものになりました。1977年(昭和52年)フランス、ニースのカーニバル公演に始まり、以後サンフランシスコのサクラまつりパレード、上海国際交流フェスティバル、ミネソタでのアメリカジャパンウィークと海外でも花輪ばやしは高い評価を受けました。1978年(昭和53年)秋田県無形民俗文化財に指定。2014年(平成26年)「花輪祭の屋台行事」として国重要無形民俗文化財に指定されました。2016年(平成28年)12月1日、「花輪祭の屋台行事」として、京都の祇園祭など全国33の行事と共に、日本の「山・鉾・屋台行事」としてユネスコの無形文化遺産への登録が決定しました。』
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谷地田町屋台(昭和4年)。
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谷地田町サギリ屋台(昭和36年)。
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六日町屋台(昭和36年)。
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旭町屋台(昭和20年代~30年代)。
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六日町屋台(昭和36年)。
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祭り展示館を出て、ふるさと広場から祭り展示館を挟んだ裏側へ。
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この地はかつての花輪高等女学校跡地です。「花輪高等学校跡地」の碑は草にまみれてよく見えませんでした。
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「女学校通り」という名の道が現在も残っており、更に当時の校門もそのまま残されております。
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校門。
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更に門の横にシダレカツラ(鹿角市指定天然記念物)が2本あります。シダレカツラは昭和5年に旧花輪高等女学校の校舎落成記念として、瀬川宗吉先生によって校門横に植えられたもので、当時の校門とともに残されています。樹高は左右とも約15m、目通り幹囲左2.2m、右2.8m。興味のある方は裏側にも足を延ばしてみて下さい。
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35.5
標柱「シダレカツラ二本(昭和52年2月4日指定)」より…『この2本は、昭和5年、旧花輪高等女学校新校舎落成記念として植樹されたものである。当時、幹囲3センチ程の稚樹であったものが、現在、樹高約15メートルに成長し、樹勢も盛んで立派な大樹となった。細い糸枝があたかも美女の垂れ髪のように長く垂れ下がって樹容が美しく名木というにふさわしい。』
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案内板「鹿角観光ふるさと館あんとらあ」…『この地に昭和3年(1928)県立花輪高等女学校(戦後、花輪高校となる)が創立され、舟場通りにつながる女学校通りと家並みができた。かつての校門脇に、昭和5年(1930)校舎落成記念として「シダレカツラ」2本<市指定天然記念物>が植樹されたもので、樹高約15mの大樹として生長している。昭和44年(1969)花輪高校が東の段丘上、明堂長根に移転、その後、市役所仮庁舎となったが、昭和60年(1985)市役所移転の跡に平成元年(1989)6月に鹿角観光ふるさと館「あんとらあ」がオープンした。』
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昭和40年代の旧花輪高校(写真提供富樫正一氏)。
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青垣の門売店にて味噌付けたんぽを頂きました。箸は秋田杉で造られているそうで、食べ終わったら持ち帰って、是非菜箸などとして再利用してくださいと袋を渡されました。
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ドルチェは北限の桃ソフトクリームです。勘違いしないでください。あんとらあには何度か訪れており、きりたんぽもソフトも別日に食べたものですよ笑
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桝形(枡形)は旧城下町にある町のつくりでカギ型の場所です。
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桝形標柱(昭和37年創建・平成11年3月改建)より…『城下町に出入するけじめのところ。旅行者などをここまで出迎え、或いは見送ったと云う。』
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桝形には地蔵井戸と地蔵堂があります。少し南へ行った左手には一里塚(標柱)もあります。花輪の一里塚は盛岡夕顔瀬橋を起点とした鹿角街道沿いに設けられました。
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地蔵井戸。
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『旧関善酒店・おせど・小田島家住宅』並びに『万山さんの井戸(萬三稲荷の水場)』と同じ通り沿いになります。
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上段が飲用、下段が野菜や飲み物等の冷却、その余水が洗い物用。
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井戸の上に枡形(ますがた)の案内板がありました。『「花輪ばやし」祭典で10町内の屋台は、20日午前0時を期して「朝詰」のパレードが始まる。暗闇の中、最初に稲村橋に詰め、次に舟場から新田町の枡形に向う。ここで御旅所から神幸した御輿の前で、一台ずつの神事が行なわれる。枡形は、「城かしら」と呼ばれる城下町に見られる町のつくりで、敵が一気に攻められないようカギ形状になっていた。近くに地蔵様や庚申塚などが並ぶ一角があり町はずれを思わせる。枡形は、旅立ちの際の送り迎えをした'境むかえ'が行なわれた所でもある。』
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昭和40年代の新田町。
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地蔵堂は地蔵井戸のすぐ裏にあります。
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地蔵堂。
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地蔵尊。
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枡形から少しだけ一里塚方面に南下すると庚申塚があります。
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庚申塚。
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庚申塔(安永4乙未歳5月14日)。中々古いものでございます。
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金毘羅大権現(嘉永7甲寅年10月10日)。
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裏面には「町内安全」と彫られ、下部に願主名が見えます。
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石塔が三基。
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1つは庚申塔(甲子)。紀年銘は文政7甲申年。
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もう1つは唐松大権現。紀年銘は安政6己未歳8月吉辰。
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真ん中の碑は状態が悪くて読み取れませんでした。
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小祠があります。
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2躰祀られております。お顔は見えますが、布で判断できず。
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石祠。
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こちらは庚申塔のようです。紀年銘は大正。下部は同じく布で見えず。
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石祠自体の方が古く、紀年銘は明治42年12月。横には名前等が彫られています。
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青森県八戸市大字十三日町。八戸には安藤昌益資料館もございます。三社大祭の時にたまたま見つけた標柱ですが、特にその痕跡たるものはわかりませんでした。
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標柱より…『江戸時代中期の医者であり、封建制批判の思想家として知られる安藤昌益(1703-1762)が居住していた場所である。生涯のほとんどが不明であるが、八戸藩日記には、延享元年(1744)櫛引八幡宮の祭礼で行われた流鏑馬の射手の病気を藩命で診療したことや翌年家老の病気を診療したことが記されている。また延享3年の宗門改帳によると、昌益44歳で男2人女3人の家族でこの場所に住んでいたことが知られている。昭和56年11月』
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