くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 遺構・遺跡・痕跡・城址・廃墟・碑等

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腹が減っては戦ができぬ!ってことで、まずは腹ごしらえでそば処四季へ。レディースセットやにしんとろろそばが人気のようでした。広東そばという変わったメニューも。お店側のおすすめはぶっかけそば、にしんとろろそば。
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私が注文したのは天ざる。920円でエビ3本とししとう。天つゆは別で漬物付き。大量のネギ・天かす・薬味(辛味)・わさびが大量に付いて、更にうずらの卵も付きます(ほぼ使わなかったけど)。下調べもなしに突然入ったお店ですがコスパに大変満足しました。
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大手門跡。標柱より…『久保田城の正門にあたる大手門の跡である。城下町から外堀に架かる上土橋を渡りかぎの手を左に曲がった所に二層の大手門があったが明治初期に取り壊された。』
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外堀。
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5.5
唐金橋跡を通り黒門跡へ。
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6.5
黒門跡。
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案内板「久保田城跡」…『久保田城は秋田20万石佐竹氏の居城である。秋田初代義宣(よしのぶ)が慶長7年(1602)入部し、翌8年現在地に築城した。天守閣と石垣のない城として知られている。本丸は明治13年(1880)7月の火災で全焼した。同23年公園として開放され、その後千秋公園と称し、現在に至っている。公園面積162,300平方メートル。昭和61年3月秋田市』
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案内板より。
1.中土橋門跡
2.大手門跡
3.穴門橋跡
4.穴門跡
5.唐金橋跡
6.松下門跡
7.安楽院.境目方役所.勘定所跡
8.鐘楼跡
9.黒門跡
10.長坂
11.二ノ門(長坂門)跡
12.物頭局
13.一ノ門(表門)跡
14.多門長屋跡
15.白洲跡
16.出シ書院跡
17.埋門跡
18.裏門坂
19.裏門跡
20.奥庭跡
21.隅櫓跡
22.帯曲輪門跡
23.土門跡
24.金蔵跡
25.不浄門跡
26.馬場跡
27.厩跡
28.大手北門跡
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黒門跡の先の桝形。
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二の丸跡。
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佐竹史料館。内容は省略。現地でご覧ください。観覧料100円です!秋田市ってこういうところの観覧料がとても安い気がします。下の資料はパンフレットより。
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佐竹氏略系図。
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初代藩主佐竹義宣所用人色皮包仏胴黒糸縅具足。
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三代藩主佐竹義処所用紺糸素懸縅二枚胴具足。
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秋田初代藩主佐竹義宣書状。
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佐竹史料館は安楽院、境目方役所、勘定所跡。佐竹史料館裏に鐘楼跡。
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太平山三吉大神崇敬之碑(御大典記念・昭和3年11月・正四位勲三等侯爵佐竹義春書)。昭和天皇の即位を記念して秋田市河辺出身の田近勇蔵が建立。台石は安山岩、粘板岩の碑だけで高さが約6mあり千秋公園内の碑では最大。
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鳥人聲華騰騰。
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ブロンズ像「空」(北村治禧作)。昭和45年10月15日建立。芸術院賞・文部大臣賞・日展特選賞を受けた北村治禧(日展理事)の代表作の一つ。題字北村西望書。
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台座より…『空は雄大である 人が大きな望みを抱くとき まず 眺めるものは空である 青く澄みきった大空を仰ぐとき ひしひしと迫りくるものは 誇り高い闘志であり あすへの 飛躍する意志である 空は 青少年諸君の心のふるさとであり 大きな希望と 真実を求める勇気をはぐくみ たくましい意志と実行力をわきたたせ 寛容の心をうえつけずにはおかない 緑ふりそそぐ千秋の森にたつこの像は 大空の清純さを生きる青少年諸君に 輝かしい未来へのよびかけを約束するにちがいない われら 秋田ライオンズクラブの全会員は 結成十周年の記念として 青少年諸君に 空のような豊かさと 果てしない希望と 大きくふくらむ夢の実現を期待して ブロンズ像「空」を贈呈しよう』
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牧水・旅人父子歌碑「鶸めじろ山雀つばめなきしきりさくらはいまだひらかざるなり 牧水」「旅さなか秋田にやどりし父のうたふかきゑにしに今日きざまれぬ 旅人」(平成7年10月21日建立)。福島産の吾妻御影石製で高さ約2.3m。
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案内板より…『若山牧水(宮城県東郷町出身)は、旅と酒をこよなく愛した漂泊の歌人である。当然、酒のくに・秋田にも大正5、6年の2回、足を運ばれ、数首を詠まれている。この酒の取り持つ縁で平成7年10月、秋田ライオンズクラブの篤志によって「千秋公園での一首」が歌碑となった。さらに平成11年10月16日、秋田市制施行110周年記念事業の一つとして、長男旅人の一首を加えた父子碑が実現した。父子の大らかで平明暢達な歌風がいつまでも人びとに愛されることを希う。平成11年10月16日秋田市長石川錬治郎』
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長坂。
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24.5
長坂を上ると二ノ門(長坂門)跡。
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25.4
25.8
標柱「長坂門跡」より…『長坂門は本丸の玄関口である表門(一の門)の前に設けられており、二の門とも呼ばれていた。現在、久保田城跡に唯一残っている御物頭御番所(秋田市指定文化財)がこれらを管理していた。長坂門の名称は、二の丸から本丸へとのぼる長い石段「長坂」にちなんで名付けられたものである。』
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長坂下にあった案内板「千秋公園(久保田城跡)」より…『千秋公園は、秋田藩主佐竹氏が12代約270年にわたって居城とした久保田城跡を、明治期の造園家長岡安平の設計によって整備した近代公園である。公園整備は、本丸御殿の御池や城内の土塁・通路などの遺構を活かして行われ、明治30年(1897)に近代的な城跡公園として千秋公園が完成した。長岡は、その後も城跡公園などの設計を多数行ったことから、近代公園の先駆者と呼ばれている。城跡を本格的に公園化する事業は、全国でも初の試みであり、千秋公園は、全国の城跡公園および近代公園のさきがけとして貴重であることから、秋田市の名勝に指定された。平成20年3月25日指定秋田市教育委員会』
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秋田犬ふれあい処in千秋公園。運よくこの日がオープンだったようで、夕方のニュースにもなっていました。千秋公園では5月11日から「つつじまつり」が開催されており、それに合わせてのオープンだったようです。
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ちなみに私はつつじまつりの情報すら得ていないまま、11日のお昼に訪れたのでラッキーでございました。
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29.5
秋田犬保存会の会員が飼育する5頭が交代で登場するそうです。今回お会いできたのは北宝丸(1歳・オス)。触れることもできます(手は要消毒)。
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記念バッジも無料で貰いましたよ。
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ってことで長くなりましたので『久保田城跡(千秋公園)其之弐』へ続く。
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32.5
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秋田県秋田市大町3丁目。旭川沿い。川反三丁目街区公園内。川反の各町には共用の水汲み場がありましたが、現在も残っているのはこの水汲み場だけです。久保田城下の名残りを感じられるスポットです。周囲には防火並木(けやき)が残ります。古い歴史を持つ那波家が火災発生時に飛火を防ぎ、延焼をくい止める防火樹として保護管理してきたもので、推定樹齢は100年(※昭和49年10月11日の案内板より)。
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標柱「那波家の水汲み場」より…『江戸時代のものであるが、建設年代は明らかでない。江戸時代から明治にかけて、外町の飲み水は、ほとんど旭川の川水を使用した。川反の各町には、「カド」と称する共用の水汲み場があったが、現在はすべて消滅し、残っているのは、この水汲み場だけである。旭川は水運に利用され、多くの舟が上下した。川反の川岸で物資の積みおろしが行われ、kの水汲み場も、それに利用されたと思われる。』
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パンフレットより…『地下水に恵まれなかったこの地域では、明治40年代に上水道が通じるまで、旭川の清流を生活用水として利用。古くは何カ所もあった水汲み場のうち現存するのはこの場所だけです。』
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4.5
旭川へ下る石段。
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暉崚桐雨句碑「盃の中に花あり泪阿里 桐雨」。
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撰文…『暉崚康隆(てるおかやすたか)。明治41年2月1日-平成13年4月2日。鹿児島県に生まれる(享年93歳)。早稲田大学文学部卒業、同大学教授、名誉教授。井原西鶴・松尾芭蕉など近世文学研究の第一人者。大学の粋を越えた社会的活動と発言で知られる。日本ほろよい学会・初代会長として日本酒振興にも尽力。最晩年迄一日一合の常温酒を嗜み、酒仙学者と称せられる。桐雨と号して俳句を楽しむ。桐雨句集-暉崚康隆置土産-あり。ライフワークとして「暉崚康隆の季語辞典」を遺す。晩年、秋田の地と酒と人々を愛し、竿燈祭りにも参加。ここに先生の学恩を享けた者達が相集い、先生の酒と祭りの句を刻み遺徳を後世に伝えようとするものである。平成25年10月11日。暉崚桐雨句碑建立会石川錬治郎』
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青森県三戸郡新郷村。戸来松木田の赤坂森。標柱はありますが環状列石が見当たりません。新郷村史(平成元年出版)の写真では、恐らくこの標柱の後方にストーンサークルがあるように見えますが何も残されていません。新郷村史には「考古学を専攻している東京の学生達が多く訪れるが、現場が狭いため保存が心配である。」と書かれており、その心配通りになったのかも知れませんね。なお、赤坂森環状列石は斜面の段差にストーンサークルが2ヶ所存在するといいます。非常に急な坂道で、長い年月では土砂が流れ落ちるであろう場所なのに今もって保存されており、下の方のサークルは埋もれた感じがあり、上方部は30年前と変わらず保っているといいます。
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ってことで、この標柱の場所から山道を少し登ってみました。俗称松木田部落の故奥山辨治氏の所有の宅地内にあるといいます(新郷村史編纂時)。と言われてもわからないので、下のストーンサークルから見て上部にあたる付近を散策。
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色々と探索した結果…これですかね。
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何やら立っている石もありますし。
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大湯環状列石みたいのを想像していました。
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周囲には特に案内板などはありません。その場でネット検索してみるも特に何もヒットせず。恐らくこれがもう1つの赤坂森環状列石!!
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赤坂森環状列石は小規模のものであり、はっきりとしたことはわかっていないようです。太陽の昇る方向に一つの方向性を示していることから、太陽崇拝の礼拝所ではないかとの説があります。この点では大石上の方位石と共通点を持っています。
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昭和59年度よりパトロール遺跡から外して、県文化課独自で調査するようになりました。ストーンサークルの西側からは縄文後期の甕形土器や晩期の土器が多量に出土。
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なぜこのような場所にストーンサークルが!?って思われますが、実際にその場に立つと、倉石村の古川代や宮代下が一望に見られる高台であり、眼下には広々とした平野が開かれていることから、ここが居住地として適していたと考えられます。
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