くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 自然

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岩木山登山道長平コースの道中にあります。
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なお、登山道入口となる「ロックウッド ホテル&スパ」・「青森スプリング・スキーリゾート」から長平八十八ヶ所手前の石神大神(石神様)までの道中に関しましては、『石神様(石神神社・岩木山長平コース)』の記事を参照ください。
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当記事では石神様の奥宮鳥居と登山道が分岐する地点からの紹介になります。
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左の登山道を進みます。
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左側は沢(大鳴沢)です。
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かなり下の方です。
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石がいくつかあります。人の手が加わっているように見えますね。
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こちらの石は…
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明らかに何かが彫られているように見えます。
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自然にできた傷なのかな…私には魚のようにしか見えません。
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特にこの部分。
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歩いてきた登山道。緩やかです。
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分岐点で、登山道は右(ゲレンデ方面)へ続きます。
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左に行きます。
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目の前にはこのような冠木門があります。
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長平八十八ヶ所です。
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標柱には日天講社山籠所とあります。神道大教。
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平成30年7月22日。新しいですね。で、これは「大西洋」…氏名ですよね。
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付近の巨石。
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苔がいい感じです。
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沢へ降りる道…いや、沢に落ちる道。
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日天講社山籠所。この中に八十八ヶ所と関連するものがあるのか…わかりませんでした。
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周囲をうろうろしていると、奥に細い山道が続いていることに気付きました。長平八十八ヶ所 はこの先なのかな。
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ってことで少しだけ歩いて登りましたが、蜘蛛の巣が酷かったので途中で引き返してきました。結果として八十八ヶ所がどこにどのような形で存在しているのかわかりませんでした。
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石神様奥院の鳥居です。鳥居の横に登山道。ここから登山道を少し登れば長平八十八ヶ所があります。
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長平八十八ヶ所につきましては『長平八十八ヶ所(岩木山)』の記事をご覧下さい。
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鳥居の横に巨石。
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巨石に埋め込まれている写真。状態は良くありませんが恐らく木村健蔵氏の写真。
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写真下の碑文「石神三十三体大神」…『木村健蔵氏 右は明治三十四年六月十八日 西郡越水村大字三ツ舘に生まる 爾来農業に従事す 昭和十年七月青森五連隊に入隊広島より朝鮮に上陸し 漢口 天津 石家荘 娘子関 井隆炭鉱 河南省 河北省等に歴戦す 昭和十四年二月現地召集解除され帰郷の途中病に倒る 闘病生活二年 有余にして猶病愈らず 昭和十六年七月石神様に篭り六週間の苦行中神の尊い偉大なる力により病遂に全快し旦避災治病の霊験を授る 以来万人の病気災難を救うこと真に多し 依って信者一同神恩に感謝すると共に木村健蔵氏の行跡を後世に伝える為此処に之を記す 昭和四十一年旧六月十二日 発起人 角田兵助 武田由夫 小山内文雄 髙橋重三郎 中村國雄 佐野万之助 福井健三郎』上記の新しい案内板とほぼ同じ内容ですね。
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こちらも巨石に埋め込まれていました。『金琪乗 太田龍造 太田きせ 四大五常 勉其祗植 地水火風をあつめ一身となり 仁義礼智信の五常を守りて忠孝の道に勉め■人を立て家運の興隆を祈願す 昭和四十四年旧八月一日』
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巨石前にあった双頭白蛇の碑。裏面碑文「西郡鯵ヶ沢町浜町 父坂本君義二十八才 兄坂本純一三才 弟坂本善和一才 昭和五十一年旧八月一日建立」。
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さて、鬱蒼していそうな鳥居の向こうへ行きましょう。
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急勾配ですが、思ったほど鬱蒼としていませんでした。
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上まで登ると正面に巨石が見えます。
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こちらはその手前の巨石。
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正面の石はかなりの大きさです。
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大き過ぎてすべてが繋がっているのかどうかもわかりません。
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まさに石神様といった感じですね。
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もしかして何か彫られていたりするのかな…
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と思ってじっくりと観察しましたが、私が見た限りでは特に何も無いように感じました。
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石の上へも行けそうな感じがしましたが、石神様奥宮の磐座だと思うのでやめておきました。
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巨石の下に祀られている奥宮。
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覆屋です。
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奥宮。状態はあまり良いとは言えませんが、場所が場所だけに致し方ないでしょう。お供え物などから崇敬の篤さは伺えます。
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岩木山登山道長平コースの道中にあります。登山道は長平コースで、登山口は「ロックウッド ホテル&スパ」・「青森スプリング・スキーリゾート」になります。
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ちなみに私は登山道の途中(長平口)まで車で行こうと思っていたのですが、何やら「北のドレコン」というイベントが盛大に行われており、この日は登山口にすら車で行くことができませんでした。
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仕方なく「北のドレコン」というイベント会場内を歩いて横切ってきました。私には何をやっているのかよくわかりませんでした。皆さん車の写真を撮ったりしています。
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一応カメラ片手に参加者を気取りながら歩いてきましたが、絶対に浮いていたと思います。
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ってことで、この付近が登山口(登山道入口)。
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ちょっとわかりにくいかと思いますがここです。
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案内板「登山道(長平コース)案内」より…『長平コースは昭和30年代までは、お山参詣や薪炭作業道に利用されてきた地区の重要な里道です。岩木山北斜面のスキー場と大鳴沢の稜線を登れば、眼下に日本海、津軽平野、遠くに北海道、西には白神山地を望むことができます。比較的勾配が緩やかで山頂までは約4時間半で登頂できます。』
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種蒔苗代(神様の池)…『小さな湧水池と祠が現れ、とても神秘的です。』
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御花畑…『岩木山固有のミチノクコザクラの群生地です。可憐な花が出迎えてくれます。』
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案内板では、石神様まで「登り約1時間、下り約50分」となっていますが、最終目的地が山頂ではなく、石神様までならばそこまで時間もかからず、結構余裕で着きます。勾配も緩やかです。っていうか最終目的地が山頂ではなく石神様という方は皆無かと思いますが。【※注意※】私は岩木山山頂まで何度か登っております。普段から焼きそばとか焼き鳥とかを平均以上のペースで食べているので、山を登るペースも平均以上かと思います。体力、体質、体調等にはかなり個人差がありますので注意して下さい。山では天候にも大きく左右されます。『空と山のあいだ』(田澤拓也)を読んだ方ならば石神様付近がどういう場所なのかご存知のはず。山頂を目指す方は少なくとも案内板通りのペース配分を守り、何より安全を考慮なさってください。
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それではLet's go!
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しばらくは車1台なら余裕で通れる道が続きます。
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周囲には誰もいませんが、北のドレコン会場の音が響いています。
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これなら熊の心配も無さそうです。
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これが使えれば…
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きのこ。きのこには詳しくありません。
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比較物が無いので伝わらないと思いますが、めっちゃ大きいきのこでした。
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ゲレンデ。
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分岐。左に行きます。仮に車で来たとしても、この分岐の手前までが無難です。
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この先も車で行けますが、道はこのような感じです。
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分岐。右に行きます。
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壊れた鳥居が見えてきます。
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鳥居。
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石と石祠。石は完全に苔生しています。
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石神様まではもうすぐです。
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途中の分岐。この方向(下の写真)には行きません。
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道は更にひどくなっていますね。私なら運転する気になれません。
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車を停められるスペースはあります。但し頑張ってもここまでですね。
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石神様が見えてきました。
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社号標「石神大神」。
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昭和48年旧9月12日建立。寄贈者石工、北郡鶴田町工藤一二。
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比較的新しい石碑「石神様」。紀年銘は平成30年10月です。現在もなお信仰の篤さを感じます。
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境内はこのような感じです。石碑を一つひとつ拝んでいきましょう。すべて紹介しますが、私には詳細な説明はできません。
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まずはこちらです。説明はできません。着飾った女神です。特に首回りの装飾は細かく描かれています。しゃがんでいるようにも見えますし、亀か何かに乗っているようにも見えます。
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裏面碑文「昭和四拾九年旧六月拾五日、安田正勝建立」。
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こちらは馬の上に座っている女神です。台座には「大石大神」とあります。
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裏面碑文「昭和五十年旧六月十五日、佐野万之助、〃シモ建立」
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こちらは弘法大師像。石灯籠一対付です。
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台座上段には「奉納弘法大師」、下段には「南無大師遍照金剛」とあります。
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台座下段裏面碑文「昭和四十八年五月、太田龍造建立」。名前の下に「九才」と見える気がしますが、「九十才」かな。九才でも九十才でも凄いですけど。
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小祠。道中の壊れた鳥居にあった石祠と同じ種類に見えますね。
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龍神大神。台座正面に「太郎」「八所」の文字が見えますが、苔によって部分的にしか読み取れませんでした。裏面碑文は「昭和四十八年旧九月十二日、勝野ハルエ、勝野寿人建立」
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こちらの石碑はまったく読み取れませんでした。
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鳥居。
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山姫大神です。卍と書かれた白い布を掲げていました。たまたま布が裏返っているのでハーケンクロイツに見えてしまいますが。裏面碑文「昭和四十八年旧八月一日建立、信仰者一同」。
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不動明王。石灯籠一対付(内一基崩壊)。
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台座裏面碑文「昭和四十八年七月十二日、大西世鎬建立」。
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木村健蔵先生像。石灯籠一対、ブロック塀型瑞垣付。
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状態も良く、表情もリアルです。台座には「長寿記念 石神三十三大 大神様 木村健蔵先生81才」とあります。木村健蔵氏については下記参照。
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建物がありますがすべて施錠されております。
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窓の外から見た感じでは堂宇のようですね。
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建物の横には崩壊した小祠などがありました。
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建物の裏手には道のような場所もありますが通れる状態ではありません。仮に道だとしたら方角的に大鳴沢へ降りる道になりますね。
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こちらは倉庫的な建物。
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案内板「石神様」より…『正式名は石神三十三体大神という。開祖は木村健蔵翁である。右は明治34年6月18日に西郡越水村大字三ツ舘に生まれ、以来農業に従事していたが、昭和10年7月、青森五連隊に入隊となり、広島より朝鮮に上陸し、中国の漢口、天津、石家荘、娘子関、井隆炭鉱ほか河南省、河北省を歴戦する。昭和14年2月、現地で招集解除されるも帰郷の途中、病に倒れ二年あまりの闘病生活でも治らず、昭和16年7月、石神様にこもり、6週間の苦行を行うと、神の尊い偉大なる力により、ついに病が全快した。ここに木村健蔵翁は避災治病の霊験を授かり、この地に開祖したのである。以来、石神様は万人の病気災難を救うとして祀られている。長平町内会』
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今回紹介してきた場所から登山道を挟んでもう1基鳥居があります。石神様奥院の鳥居です。長くなりましたので奥院については次回の記事『石神様奥院 (岩木山)』で紹介します。
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にかほ市象潟町。唐戸石は象潟夕日の宿さんねむ温泉の向かい、海苑蕉風荘さんの裏側にあります。
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唐戸石(にかほ市指定史跡・昭和48年6月8日指定)。安山岩。上部2.4mの部分に波の浸食跡があります。
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かつては寄港する船が岸辺の波の状態を見る目安にしました。「えびす岩」という別名もあります。
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九十九島が潟湖だった頃を描いた江戸時代の象潟図屏風には、海面から少し頭を出した唐戸石の姿が描かれています。
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案内板より「揺れて、持ち上がった?-象潟地震と地盤の隆起-」(鳥海山・飛島ジオパーク)…『「唐戸石」は、高さ4.3m、幅5.0mの大岩で、海岸にたくさんある岩の中でひときわ目立っています。じつはこの大岩はジオサイト「九十九島」と同じく、今からおよそ2,500年前(紀元前466年)に発生した鳥海山の山体崩壊によって山頂付近から大量に流れてきた岩石の一つなのです。1804年7月、象潟沖を震源とするマグニチュード7(推定)の地震が発生しました。象潟付近の揺れは震度7、約5mの津波に襲われ、ほとんどの建物が倒壊し、多くの死者が出る大災害となりました。象潟一帯の地盤は約2m隆起し、海の中にあった唐戸石も陸上にその姿を表しました。岩の上部には海中にあった頃にできた波の侵食跡が残っています。』
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唐戸石前から日本海。
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移住者急増で近年人気の飛島は見えませんでした。いつか行ってみたいですね。
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この日は唐戸石近くの「象潟夕日の宿さんねむ温泉」に宿泊。朝食のみのプランで予約。
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温泉でゆったりできました。いいお宿です。
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源泉。
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無色透明の硫黄泉(単純硫黄冷鉱泉(低張性・弱アルカリ性・冷鉱泉))。
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象潟小唄。
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昭和30年に公民館事業として郷土の歌を募集したところ、同町の浄専寺住職である結柴宗人氏の作詞が選ばれました。
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そして芭蕉の奥の細道で紹介されている象潟を慕って古賀政男氏が数日滞在された同33年に作曲され、古賀氏のあっせんで歌は島倉千代子さんがレコードに吹込んでコロンビアから発売。
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近くにお店が無さそうだったので、さんねむ温泉さんのフロントにてお店を紹介・予約してもらいました。「料理は魚介メインで、安くてお酒も美味しい地元のお店(*’∀’人)」という突然のわがままを伝えて紹介して頂いたのは「めし肴・・・」というお店。ちなみに「・・・」で「てんてんてん」と読むようです。
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料理は3000円コースで頼んだのですが、次から次へとお料理が出てきました・・・しかも全部おいしい・・・
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写真はコースの一部ですが(※象潟産天然岩牡蠣のみ別注)・・・3000円とは思えないほどの内容で大変満足致しました・・・
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総じてお酒がすすむ内容でございます(※季節によって内容は変わると思います)・・・
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ってことで日本酒に切り替えます・・・
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ねむの故郷象潟銘酒「潟の松風」。鳥海山からの伏流水と象潟産のお米を使用したお酒・・・
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1人で尾頭付き(鯛・カサゴ)を2匹食べましたよ・・・
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更に〆のそうめん(うどんも選べます)にも・・・
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一匹・・・
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ちなみにこちらはレイシガイ(この地域ではニガダマと呼ぶそうです)・・・
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こちらは岩モズク揚げ・・・
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お店の方も常連と思しきカウンターのお客様たちも気さくな方々で・・・色々と観光情報を教えて頂きました・・・ありがとうございました&ごちそうさまでした・・・大満足です・・・
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岩木山(8-9合目)鳥海山』、『岩木山山頂』からの続きです。
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標高1,625m。
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岩木山は津軽国定公園にあり、「津軽富士」と呼ばれ、また青森県で一番高い山として古くから人々に親しまれてきました。
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この日は快晴でしたが眺望はありませんでした。
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雲一つない快晴といえども山頂からの眺望ばかりは何とも言えません。
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時間の経過と共に急に見えてくることもあります。
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7.5
岩木山は津軽平野に独立峰としてそびえ、北は遠く北海道の松前崎、津軽半島の権現崎と十三湖、なだらかな弧を描く七里長浜、そして鯵ヶ沢から大戸瀬へとひと目で見渡せます。
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ほら!見えるでしょ?
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9合目リフト降り場(写真右下)。
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数分の内にはっきり見えるようになったり…
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のんびりしていれば見えている景色も変わっていきますね。
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倒れている碑「大正八年八月一日奉納西郡中村大字芦萢青年團」。
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大町桂月歌碑「四方八方の千万の山を見下して心にかかる雲もなき哉」(大正11年10月14日)。
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社号標「岩木山神社奥宮」。
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昭和30年7月8日建立。
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奥宮社務所再建予定地。
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奥宮前の何か彫られている足元の石。ちゃんと見ませんでしたが宮司の名が彫られています。
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岩木山神社奥宮。鳥居紀年銘は平成25年8月31日(中村町内会会長北川康一、中村青年団)。決して古い鳥居ではありませんが、やはり頂上なので傷みますね。
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鳥居を振り返るの図。
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創建については諸説がありますが、最も古い説によりますと宝亀11年(780)、岩木山山頂に社殿を造営したのが起源とされます。
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延暦19年(800)、岩木山大神の加護によって東北平定を為し得たとして、坂上田村麻呂が山頂に社殿を再建。坂上田村麻呂は父の刈田麿も合祀したとされています。その後、十腰内地区に下居宮(おりいのみや=麓宮、現在の厳鬼山神社)が建立されて、山頂の社は奥宮とされました。
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寛治5年(1091)、神宣によって下居宮を十腰内地区から岩木山東南麓の百沢地区に遷座し、百澤寺と称したのが現在の岩木山神社です。岩木山山頂に阿弥陀・薬師・観音の3つの堂があり、真言宗百沢寺岩木山三所大権現と称して、付近の地頭や領主らに広く信仰されました。天正17年(1589)の岩木山噴火によって百澤寺は全焼し、以後、再建が進められることとなります。
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江戸時代には津軽藩の総鎮守とされ、津軽為信・信牧・信義・信政らの寄進により社殿等の造営が進みました。特に、信義、信政の時に現在の拝殿(当時は百澤寺本堂)や本殿(当時は下居宮)が再建されました。明治の神仏分離により寺院を廃止、津軽総鎮守岩木山神社とされ、明治6年(1873)に国幣小社に列格。
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祠には3体の銅像と1体の石像が祀られているといいます。
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狛犬一対。
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26.5
磐座。
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その下にある石碑等。大きな標柱には「運転傷害無事故祈願」と見えます。
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石碑には岩木山神社と彫られており、紀年銘は昭和26年8月1日。
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剣(昭和58年9月7日・附田建設㈱附田義美)。
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さてそろそろ降ります。
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周囲の景色を楽しむのもいいけど…
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32.5
足元には気を付けましょう。
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岩木山について…『標高1,624.62m。円錐形の成層火山。山頂は3つの峰に分かれ、弘前側から見て右が巌鬼山(岩鬼山)、左が鳥海山とされますが、これらは火山活動により生じた外輪山の一部。三峰の中心にある岩木山は鐘状型の中央火口丘で、山頂に一等三角点が設置されています。元々山頂にあった直径800mの破壊された火口に溶岩ドームが生じて、現在の三峰のもととなり、それらの溶岩ドームは1万年より新しいもの。岩木山の西麓や南麓にも3個の側火山があり、他にも山腹に多数の爆裂火口がみられます。山頂から北東にある赤倉沢の馬蹄形火口は大規模な山体崩壊を示しており、北東山麓の岩屑なだれ堆積物には、かつての崩壊の影響による多数の流れ山地形がみられます。地質は安山岩からなります。津軽富士とも呼ばれている郷土富士で、太宰治はその山容を「十二単を拡げたようで、透き通るくらいに嬋娟たる美女」と喩えています。富士山と同様に古くから山岳信仰の対象とされ、山頂には岩木山神社奥宮が置かれています。江戸時代には弘前藩の鎮守の山とされ、歴代の藩主が岩木山神社に寄進を行ったため、その社殿は荘厳なものとなり「奥の日光」とも呼ばれました。』※山岳信仰やお山参詣についての説明は省略。
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火山活動史。西暦1600年以前の活動は不明点が多いです。気象庁によると山頂の溶岩ドームは1万年より新しいとします。約1万2000年前以降の活動は山頂での噴火が中心。
70万年前-山体崩壊。
30万年前から20万年前-噴火と山体崩壊(岩屑なだれ)を繰り返し山体を形成。
20万年前から1万年前-山麓に側火山を形成。
約5万年前から-西法寺森溶岩ドーム、岩木山頂西と鳥海山ドーム、山頂ドームと中央ドームを形成。
約6000年前-マグマ噴火(岩木山頂西と鳥海山ドーム)。
約3000年前-マグマ噴火。
約2000年前-マグマ噴火。鳥ノ海溶岩ドームを形成。
1600年(慶長5年)2月22日-鳥の海火口で水蒸気噴火。
1618年(元和4年)1月31日-水蒸気噴火。
1782年(天明2年)11月~1783年(天明3年)6月-水蒸気噴火。天明の大飢饉の遠因のひとつ。
1845年(弘化2)4月4日-噴煙、硫黄噴出。
1863年(文久3)3月23日-小規模な水蒸気噴火。
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御倉石。
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対馬正美君殉難の地。
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対馬正美殉難の地…『右奥100米鳥の海火口底。遭難月日昭和35年9月4日。青森県立弘前工業高校機械課程3年。17才。冥福を祈る。対馬信一』
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大館鳳鳴高校山岳部遭難者慰霊碑。
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39.5
大館鳳鳴高校山岳部遭難者慰霊碑…『第二学年石田隆司君、乳井孝司君、畠山勉君。第一学年金沢吉郎君。昭和39年1月6日岩木山にて遭難。雪山に逝きし若き御霊を永久に慰めん。平成16年10月8日秋田県立大館鳳鳴高等学校 鳳鳴会』
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鳥ノ海噴火口。
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41.5
鳳鳴ヒュッテ。
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眺望。
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以上です。良い年をお迎えください。
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