くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (弘前市)

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青森県弘前市大字新寺町。行岳山金光院西光寺。
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由緒等については以前の記事を参照下さい。
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地蔵菩薩。ちなみに手前の看板には「書の学舎 瑞韻書院 随時受付 工藤大玄」とあります。
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銘『この地蔵菩薩は、昭和19年10月28日、当山第三十八正誉昌瑞代に西光寺檀家西村進氏により無縁仏供養の為に寄進されたものであるが、老朽化に伴い、平成5年檀家一同の浄財により補修を行う。その後も破損等が進み、この度改修工事を行い、現状をここに留める。平成23年仏歓喜日西光寺第三十九世大誉昌樹』
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石垣金光上人遺跡。
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南無阿弥陀佛開山金光上人八百年遠忌上酬慈恩とあります。
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石垣金光上人塚。
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南無阿弥陀佛。
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正牛塚って何だろう。
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六角の地蔵堂。
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六地蔵。
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山屋長太夫墓…「究竟院殿讓譽必至正眞居士 山屋長太夫墓 文政三庚辰年九月十二日 正真院殿讓譽必至妙道大姉 同室 天保二辛夘年四月十二日」※山屋長太夫は津軽史に名前が掲載されているので有名な方。詳細は調べていません。
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裏面…「是為山屋君墓君諱英正字秀方姓藤原藩大夫也葢君未弱冠為書院郎以特秀之資轉遷者八矣竟為參政實文化五年也於是祇役東都者三供赴京師大坂者一矣皆有功勞君為人温良有惻怚之愛況毅有斯決之才好善如渇徙義如流和順内積威望外發是以衆■畏而懐之性■■■明於治道達於事情是以居官能理位髙而愈恭功■而■■■■■■是以■■不誠良大夫哉文政三年春■公在東京召■■■■■■■■■■■■■來與以寵異之人莫不以為榮既而還途雖■■■■■■■■■■■■■■月十二日卒葬西光寺先塋之側■■院郎至于■■■■■■■■■■■■■間宮氏有一女無男而歿再娶猪俣氏無子■公■■■■之子正直為■■■其女生二男一女曰俊八日佳蔵而正直先死於是以俊心為嗣文政五年壬午秋九月石岡健謹撰工藤行敏書」※自信ありません。
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青森県弘前市大字高岡神馬野。隣接する「高岡の森 弘前藩歴史館」(休館日:毎月第3月曜日(その日が祝日の場合はその翌日)、年末年始(12月29日-1月3日)、展示替え期間中は臨時休館)の住所は弘前市大字高岡字獅子沢。
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弘前藩4代藩主津軽信政を祭る高照神社には、信政の遺品や歴代藩主が奉納した絵馬、明治時代に旧藩士たちが納めた武具や刀剣類など、数多くの宝物が収蔵されていましたが、その宝物を収蔵公開していた「高照神社宝物殿」が老朽化したため、弘前の歴史や文化を伝える貴重な文化財を恒久的に保存し、展示活用することを目的に高岡の森弘前藩歴史館が計画されました。
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平成22年度より調査事業を開始し、平成26年度用地取得、平成27年度現地建設着工、平成29年12月建築工事が竣工し、外構工事及び展示工事は平成30年2月に竣工しました。施設名称は平成29年7月に公募し、8月に審査を経て「高岡の森弘前藩歴史館」と決定しました。更に馬場(高照神社馬場跡)について、江戸時代に神馬奉納が行われた馬場の土塁などを復元。馬場の広さは、東西約156メートル、南北約15.6メートル。
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かつての宝物殿については以前紹介しております。今回の宝物殿の内容については省略します。是非現地で見て頂きたいと思います。
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なお、高照神社の由緒等についても以前の記事を参照ください。
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以前の記事
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拝殿内へ。
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高照神社の拝殿内の絵馬は何度見ても立派です。
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写真暗くてすいません。説明書きもあるので現地でじっくりご覧になって下さい。
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時間内であれば自由に見ることができます。
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獅子口。古く中国より伝来した伎楽面の一つ。眉も口髭も顎髭も彫刻されて盛り上がったり、それが、仏像の髪のようにうずをまいている。この獅子口は、獅子といってもライオンではなく、優しさ、慈悲深さの一面をそないている高麗犬との事。
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小癋見(こべしみ)。一目見て印象的なのは、抽象的とも言える眉間の皺です。これは、きっと人間の一瞬の表情変化を眼でとらえ、的確に作ったように思います。作者の力量がそのまま面の力となってあらわれた好例でしょう。
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小面(こおもて)。女性面の種類も色々あるが、可憐にして端正、小面は華やかさの中に年若い女性の初々しさが、表現されている。中世の最も若き美しさを秘めた代表的な面。
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入口方面へ戻ります。
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案内板。以前紹介しているので省略。
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高照神社社殿(国指定重要文化財六棟)…『高照神社は、弘前藩四代藩主津軽信政の遺命によって吉川神道の思想に基づき建立され、信政自身が祀られています。社殿は岩木山麓に東西軸上に並んで配置されますが、吉川神道に基づいた社殿構成が当時のまま現存するのは、全国的にみて高照神社のみとなっています。』
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小祠や忠魂碑などがある場所。なお、小祠には戦没者を祀っており、一人ひとりの名前の木札が納められています。
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為信公三百年祭祀紀年碑(弘前市菓子商業會敬白)。明治39年9月5日建立。
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忠魂碑(陸軍大将一戸兵衛書)。大正10年、帝國在郷軍人會岩木村分會建設。昭和28年10月再建。
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こちらには日清・日露・大東亜戦役戦没者名(昭和28年10月5日、岩木村遺族會一同建立)、(昭和28年9月23日大浦遺族会建立)。
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忠魂碑(大正7年9月28日、帝國在郷軍人會大浦村分會建立)。
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忠魂碑統合記念碑「友よきかずや靖国の 杜のおくよりひびく声 おれの使命は果たしたぞ あとは君等にたのんだぞ」西條八十。昭和47年8月15日岩木町遺族会建立。
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弘前市水木在家字岩浪沢。旧中津軽郡相馬村。当記事で紹介する場所は推定です。
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皆様からの情報を得るべく『見つけることができない青森県内の神社』という記事にて情報を募ったものの結局わかりませんでした。私が数年前に頂いた情報としては、「通称田中山と呼ばれている」、「通称田中の庭と呼ばれている」、「20年以上も前から手入れはしておらず荒れ地になっている」、「昔は小さな鳥居があった記憶があるが、その時点で鳥居は既に壊れていた」、「今は何も残っておらず一切見るものは無いと思う」といった情報です。
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一方、地元の方々や知人・友人を通して探してもらったりもしましたが、結局見つかりませんでした。山奥まで探しに行ってくれた方々もいたようで、それでも見つからなかったので諦めることにしました。ご協力くださった皆様ありがとうございました。もし今後この記事を見て知っているという方がおりましたら情報お待ちしております。
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写真の場所は地元の方に教えて頂いて辿り着いた場所です。鳥居も堂宇も祠も石碑も無く、また、その痕跡も見当たりません。地図の場所は間違いなくこの付近なのですが、まったく痕跡らしきものが無いので納得ができないまま数年が経ちました。
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石大神祠堂・九頭竜大神祠堂・水源地守護神祠堂(弘前市水木在家字岩浪沢)は、田中(田中徳三郎氏)の庭と呼ばれています。昔は地元の小学校遠足場所でした。岩木山と、紙漉沢・坂市の人々が祀る大石神社と、湯口の大山祇神社を結ぶ一直線上に鎮座しています(※確認したところほぼ一致します)。
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水源地守護神祠堂について…『昭和54年10月10日水木防除用水組合設立発足、同年11月5日山村振興補助事業で総工費1270万円で施設工事に着工し、同年12月23日工事完了。水清くして豊かに湧き出る水源地蛇ダ沢湧水の恵みの偉大さに感謝し、永久に湧き出ることを念願して、祠堂竜神大明神を水源地の守護神としてこの地に祀奉るものなり。昭和56年5月18日水木防除用水組合建立。』
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水木在家の大石大神について…『岩木山と紙漉沢・坂市の人々が祀る大石神社と、湯口の大山祇神社を結ぶ一直線上に鎮座。大石大神については次のような由緒があります。五所の田中徳三郎氏は神信仰に非常に厚く、神様のいる庭といわれていた土地に九頭竜権現を祀りました。しかし、ある日のこと枕元に神が現れて、大石明神であると告げたそうで、更に大石明神の堂を造ったそうです。昭和25年に建立。田中の庭とも呼ばれているこの場所は小学校の遠足の場所にもなっていました。』
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