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秋田県大仙市協和境下台。唐松神社別宮の唐松山天日宮。
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狛犬一対(今野希依誕生記念・平成10年6月21日生)。
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関連記事『唐松神社(大仙市)
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「杜深く海川山野の石をつみ父の造りし宮居涼しも 長照」・「唐松山物部長照 明治丗一年長元大人寿女刀自の八子として生る十八才にて俳道三十才にて歌道に入るほとんど獨歩たり賀を迎ふるに当り杉■同人町芸文協の賛助の元に之を建てる 昭和52年10月15日 六郷町山田松藏石材謹刻之」
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御祭神は饒速日命、登美夜毘売命、玉鉾神、愛子神。例祭日8月24日。唐松神社に伝わる「韓服宮物部氏記録」によりますと、天孫降臨伝説が存在し、物部氏の祖先である饒速日命は鳥海山に降臨したといいます。
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「静かさや巨木の中の宮にしび」蘇想
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唐松大神、愛子大神、夛福大神、百雷軣熹天池等と彫られた石碑。
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苔チェック。
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スギゴケがいい感じ。
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しばし観察。
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社務所の門。
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物部家邸宅兼社務所。
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扁額「光雲」※唐松山光雲寺別当社
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庭園内にある社殿。
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崇敬者の寄進による玉石で築きており、周囲は池に囲まれています。
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正面。
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手水石2基。
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池には錦鯉がいました。
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物部氏神様。社殿の後方には直接お詣りできる御神体があります。願い事を心の中で唱えながら、男性は右回りに進み、裏の「玉鉾石」、女性は左回りに進み、抱石男石と玉鉾石にそれぞれ触り、これを3回繰り返すと御利益が得られるといいます。
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神社庁より…『太古より大和にて物部家の氏神として祀られ、延宝8年佐竹義処公唐松神社下宮を現在地に建立せる時、唐松山光雲寺別当社として現在地に祀る。現社殿は大正3年に改築、崇敬者の寄進による玉石で築き、社殿は剥面神明造り。社殿後ろに古来よりの抱石三体を奉祀して、多くの崇敬をうけている。』
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wikipediaより…『唐松神社に隣接する物部家邸宅の庭園内に位置する物部家ゆかりの神を祭る神社。佐竹義処の唐松神社の移転の際に唐松山光雲寺を別当として現在の場所に建てられたが、神仏分離令により郷社、後に氏神とされ秋田物部氏の邸内祭神となった。現在の社殿は大正3年(1914)に再建された剥面神明造りで、かつて大和の地に建立されたものを再現したものといわれる。石垣は講中や崇拝者から奉納された天然石数10万個を積み上げて造られたもので、庭園は昭和7年(1932)に完成。唐松山天日宮裏手にある抱き石と由緒を刻した石碑。左から抱石男石、玉鉾石、女石。社殿の裏側には子を授かる「抱石男石」、縁結びと安産をかなえる「玉鉾石」、子宝に恵まれる「女石(子宝の石とも)」の3体の抱石があり、御神体に直接お参りすることができる。お参りするときには願い事を唱えながら男性は右回りに進んで玉鉾石を、女性は左回りに進んで抱石男石と玉鉾石を触るという手順を3回繰り返す。』
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狛犬一対。
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穴が不思議。
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社殿裏へ。
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向って左から抱石男石(授かる)、玉鉾石(結縁子安)、女石(安産)。
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抱石男石。生殖器崇拝ですね。女陰石。
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玉鉾石。
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女石。男根石。
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由緒を刻んだ碑もありましたが字が細くて読みにくかったのでパス。※読めなくはないです。
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繋がっていますがもう一つ池があります。
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中央及び池の中に石塔があります。
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石塔に近寄ることはできません。
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大きな石には「天日宮 玉鉾神社 唐松神社」などの文字が見えます。小さい石には「高天原」と見えます。
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池の中の石塔。
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こちらも陰陽石のように感じます。
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裏に道があります。苔生した道。
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池の後方に道が続いています。
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唐松神社の記事で紹介したように、この道は唐松神社(山神社経由)へと続いています。
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玉鉾大神。
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郷土の先人物部長穂博士記植樹。「我が国の水理学、土木工学第一人者」。
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こちらも陰陽石(陽石)ですね。
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以上、近年パワースポットとも称される唐松山天日宮でした。
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