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旧制弘前高等学校外国人教師館の小公園内にあります。
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太宰治(津島修治)は弘前大学の前身校の一つである旧制弘前高等学校の卒業生で、平成21年の太宰生誕100年の節目の年に、太宰と弘前大学との縁を恒久的に伝えるため、弘前大学の60周年記念事業(平成21年6月6日)の一つとして建立されました。
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碑面には、昭和19年の作品『津軽』の序章の一節「私には、また別の専門科目があるのだ。世人は假りにその科目を愛と呼んでゐる。人の心と人の心の觸れ合ひを研究する科目である。私はこのたびの旅行に於いて、主としてこの一科目を追及した。」と刻まれています。この碑文は、津島園子さん(太宰治の長女)の意向を最大限に尊重し選定されました。人生へ寄せる太宰の真摯な思いが凝縮された言葉の連なりで、津島さんご自身が最も好きだという一節。
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「やさしくて、かなしくて、をかしくて、他に何が要るのでせう。」太宰治。
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反射して見にくいかも知れませんが、太宰治の旧制弘高時代の写真があります。この写真は弘前大学附属図書館から発見され、全国的に話題となりました。碑文…「太宰治。本名津島修治。1909.6.19~1948.6.13。北津軽郡金木村(現五所川原市)生まれ。弘前大学の前身、旧制弘前高等学校卒業。[弘前大学附属図書館蔵]入学に際し提出された証明写真。弘前大学創立60周年、太宰治生誕100年にあたる2009年(平成21年)に公開された。(正面)弘前大学創立60周年記念太宰治文学碑。1944年(昭和19年)5月、太宰は3週間にわたって津軽半島を旅しました。彼はその折にふるさとに暮らす旧知の人々との再会を果たします。あたたかいもてなしを受け、自分が喫水の津軽人であることを改めて自覚した太宰はこれら懐かしき人々との心の触れ合いを『津軽』に書きました。(左側)弘前大学創立70周年記念。太宰治文学碑。レリーフは、旧制官立弘前高等学校に在学中、寄宿先である藤田豊三郎方(現「太宰治まなびの家」)で撮影された、くつろいだ姿の津島修治(太宰治)の写真に基づいています。弘前高校在学時の太宰は、尊敬する芥川龍之介の死、花柳界への出入り、左翼的思潮との出会いによる葛藤などを経験しながら、作家になることを目指して創作に取り組んでいました。背景には太宰治の小説『桜桃』にちなみ桜桃の花がデザインされています。」
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案内板より…『この小公園は、2003年(平成15年)「旧制弘前高等学校外国人教師館」(国登録有形文化財)を現在の場所に移築するにあたって、周辺の環境整備を行ったことにはじまります。弘前大学創立60周年の2009年(平成21年)には、生誕百年にあたった太宰治(本名津島修治)の文学碑を建立、2016年(平成28年)には外国人教師館の中に「弘大カフェ」を設けました。そして、大学創立70周年を記念して、新たな太宰治文学碑を建立するとともに、テラス周辺に一年を通して楽しめるように植樹を行い、また、バリアフリーのスロープを設置し、地域の皆様にも親しんでいただける空間とすることをめざしました。2019年(令和元年)6月。①旧制弘前高等学校外国人教師館…この建物は、1925年(大正14年)に建てられ、外国人教師の住まいとして使用されていました。2003年(平成15年)の県道の拡幅工事に伴い、現在地に移築されました。木造二階建で、背後に平屋建の付属棟が続き、屋根は半切妻造、正面に切妻壁を見せ、1階外壁は下見板張りに両開窓、2階はモルタル塗に上げ下げ窓を採用しています。また国の登録有形文化財、弘前市の趣のある建物・景観重要建造物に指定されています。②太宰治文学碑…正面の文学碑は、2009年(平成21年)に本学の創立60周年記念として、本学の前身校である旧制弘前高等学校の卒業生であった太宰治(本名津島修治)の生誕100年にあたる節目の年に建立されました。碑文には、小説「津軽」の中の一節が引用されています。左側の碑は、2019年(令和元年)に本学の創立70周年記念として建立されたものです。碑文には随筆「『晩年』に就いて」の中の一節と、19歳頃の太宰を象ったレリーフが飾られています。③羽のように、蕾のように…この作品は、本学の教育学部美術教育教授であった岡田敬司先生の退官記念作品として造られました。「羽のように、蕾のように」の命名由来は、日光に暖められた土壌から、無数に顔を出してくる植物の芽生え、という"若人"を連想しています。』
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案内図。
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