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弘前大学医学部附属病院。
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弘前大学医学部附属病院入口塀の右角にあります。
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植え込みの木に三方を囲まれて建っています。以前紹介した時に比べ、かなり鬱蒼としていますね。
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碑文…『明治天皇行在所御遺蹟 明治神宮宮司陸軍大將從二位勲一等功二級一戸兵衛謹書』
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明治14年9月9日、明治天皇が東北地方御巡幸の折、この地にあった豪商金木屋呉服店に宿泊されたことを記念して、昭和2年12月4日、武田清七の弟元七が尽力して建てたもの。裏面の建碑由来記は、旧制弘前高等学校の成田衡夫教授の撰文による漢文が刻まれていて、その揮毫は従臣の馬渡新吾によるものです。行在所の内命を事前に受けた金木屋十三代当主武田清七は、邸内に御殿を新築し栄誉に答えました。平成18年11月3日、武田家の子孫によって石碑の前に御殿の写真と記念碑の解説文を記した碑板が建てられました。後に天皇が宿泊された建物は弘前市愛宕山橋雲寺の護摩堂として寄進され現存しています。
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明治天皇が宿泊された建物(行在所)。
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明治天皇行在所記念碑解説板より…『明治十四年、明治天皇が東北御巡幸の折、この地に宿泊された。この事は笹森儀助らの強力な運動によって実現し、維新の後、衰退していた城下町弘前を活性化へと導いた。時移りこの地は弘前市の所有となり、その事実を人々が忘れ去ろうとしている事を嘆き、武田清七の弟元七が大正十五年に私費を以て記念碑の建設を市に請願し、それが認められこの碑が建設された。石碑の裏側に刻まれている文章を現代用語に簡約すると下記のようなことである。「日本は世界の中の小さな島国であった。世界主要各国の国王は国内各地を回り民情を視察していたが日本の天皇はその様なことをしていなかった。しかし明治天皇は立派な方で山形、秋田、青森、北海道等各地を視察され明治十四年九月九日弘前に宿泊された。事前に内命を受けた豪商金木屋武田清七は邸内に自費で建物を新築し天皇陛下をお泊めした。」天皇が宿泊された建物は弘前市愛宕山橋雲寺に寄進され護摩堂として現在に至っている。尚、昭和二十二年、青森医学専門学校の弘前移転に伴い、本敷地は弘前市より国に寄付され、現在は弘前大学の所有となっている。参考文献は「吉村和夫著金木屋物語」「新編弘前市史」他がある。碑文簡約及び解説板寄贈者(武田家子孫)鎌倉市池田冨士太 弘前市武田雄次 協力者(武田清七曾孫代表)板柳町安田昭子 2006年11月3日』
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