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柳津虚空蔵尊(登米市)』からの続きです。
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山門・仁王堂。
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今からおよそ250年程前に千葉某という人がおり、日頃から虚空蔵尊を信仰していましたが、あるとき病気になり、病状が日毎に悪化して死を待つのみとなってしまいました。そんなある夜、夢の中で虚空蔵菩薩が枕辺に立ち「柳津虚空蔵尊の境内に二又人参あり。これに手持ちの薬草を混ぜ、黄土山より流れる黄金水を以って、煮じ飲めば一夜にしてたちまち治癒す。」と言いました。すぐに人を使わしてこれを用いたところ、さしもの大病も薄紙をはぐ様に数日を経て全快したので、千葉某はその恩に報いるため、本堂前の御霊木のけやきで仁王一対を刻んで奉納しようと思いたちました。当時、樹齢20000年にも及ぶ古木で、行基開山当時より人々に親しまれておりましたが、斧を入れてみると樹間より血がにじみでてきたので、祈願の旨をふくめ7日間の斉戒沐浴の後、仁王を彫み堂を建立して安置しました。このような名木をもって彫んだ仁王なので衆人の信仰は厚く、何時の頃よりか病傷の箇所に紙をつばで濡らしあてれば、忽ち平癒すると伝えられています。ちなみに仁王堂側面には、文政、天保、嘉永等の墨書きがあるのをみると、いかに当時の信仰が厚かったのかを知ることができます。
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弁天堂。美貌・学芸と財運の神様。
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鐘楼。
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絵馬がたくさん掛けられています。虚空蔵菩薩は本地垂迹説によると雲南神になるといわれ、その雲南がうなぎに転じたという説や、うなぎの雲にのって虚空蔵菩薩が現れる、また、虚空蔵菩薩を信心していた人がうなぎに助けられた逸話など、数多くのうなぎに関する話があります。絵馬には願い事を御本尊様へ届ける役目をしているといい伝えられるうなぎが描かれており、殺生してはいけないことになっているため、住職をはじめ、その家族は皆、うなぎを食べないそうです。私には耐えられない…。
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柳津虚空蔵尊縁起…『行基菩薩は、天皇から勅を受け東国を巡遊してこの地に来て、御修法21日間一刀三礼を勤めて自ら虚空蔵菩薩を刻みます。丈、一尺二寸にて、天下泰平、国家安穏を祈り、翌月13日一宇を黄土山の嶺に創立し、安置して法を7日間説き、一村の守護仏として尊崇しました。その後、宝亀3年(771年)3月、大伴家持が宮城郡多賀城にありし時、黄土山に登山してご本尊様を拝して「日本三所の秘仏である、かくも尊いものなれば、33年目毎に開帳する外、みだりに衆人これを拝すること恐れあり」と言われました。そして弘仁9年(818年・第52代嵯峨天皇)5月3日、弘法大師が比の堂に籠り、21日間密行を勤めて、大黒天長さ八寸のものと、毘沙門天長さ一尺二寸のものと2体を刻し、本尊の左右に安置して本堂を今の地に移すこととなります。さらに後に、中古にいたってはしばしば野火にあいましたが、幸いにして本尊の安泰をえており、貞享2年(1685年徳川綱吉の時代)3月13日智積院大法王来山して、仏像を拝して、行基の作であることの鑑書を受けました。大祭は4月・10月の13日で、平成28年には37回目の御開帳が行われました。』(公式HPより)
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歴史『寺伝では神亀3年(726)9月、行基が勅命を受けて東国を巡遊中に当地に寄り、大きさ1尺2寸の虚空蔵菩薩を刻んだ。翌月黄土山の嶺に創立したとされる。宝亀2年(771)、多賀城に赴任していた大伴家持が会津、山口、当地に安置される仏像とも行基の作であることから33年毎に開帳するように進言し定まったとされる。弘仁9年(818)に弘法大師が当地を訪れ、長さ8寸の大黒天、1尺2寸の毘沙門天を安置し、本堂を現在の地に移した。中世はしばしば野火にあったが、現在に至り、最近では平成28年(2016年)に開帳が行われた。境内には多くの建築物(本堂、山門・仁王堂、なで牛、なで寅、子安観音、子育延命地蔵尊、弘法大師堂、稲荷堂、弁天堂、薬師堂、天神堂)が点在している。』(wikipediaより一部抜粋)
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手水舎。
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手水石(寛政12年4月)。
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七不思議・黄土山の黄金水…『行基菩薩が、黄土山頂上で秘法を行い、地に錫杖をシャンシャンと三度つき湧き出た水で無病息災の水です。現在でも遠方より多くの方々が黄金水を汲みにいらっしゃいます。』
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狛犬一対。
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石灯籠一対。※本堂前参道に5対ほどあったと思います。
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本堂。江戸末期に建設され、以前はかやぶき屋根でしたが、昭和54年にお屋根替えが行われ、現在は銅版の屋根になっています。古くからウナギの絵馬を納める風習があり、現在も古いウナギの絵馬が多数納められています。天井画やアマビエ様もご覧になって下さい。
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虚空蔵菩薩は丑年・寅年の一生一代の守り本尊であり、また十三仏の最後三十三回忌の本尊です。更に「智恵と福徳」の仏様で、智恵の欲しい者、人々から愛されたい者、名声を上げたい者は、虚空蔵菩薩の真言を唱えれば願いが叶えられると記されております。(智恵・記憶をつかさどる菩薩であり、空暗記・空んじるの語は虚空菩薩の空からきている)
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向拝の柱に「奥州宮城柳津福智満虚空蔵大菩薩」と書かれています。
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子育延命地蔵尊(地蔵堂)。
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子供を守るお地蔵様。地蔵菩薩は本来密教的にいえば大地が万物を育成する徳を仏格化したもので、虚空蔵に対して考えられたものとされているそうです。また、当寺のお地蔵様は木でできており、一般的なお地蔵様の可愛らしい姿とは異なり、当寺独特の精悍な凛々しいお顔をしています。
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子安観音堂。子供を抱いている姿からマリア観音ではないかといわれています。観音像では珍しく石でできており高さは2尺程。右手にピンクの蓮の花、左手には子供を抱いています。
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七不思議・雫の桜(樹齢約400年)…『葛西公の奥方が追われて落ちて行く時、「しだれ桜」の鉢を割り植えて行きました。晴天の日でも葉先からしずくを落とし、それがさながら奥方を慕う涙か、はたまた奥方の悔し涙かと言われています。現在は枯れてしまい幹のみとなっています。』
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七不思議・片葉のよし…『仁王門をくぐると左手に小池があります。この池に今のかねつき堂の所を通り本沢より真直に沢を掘り水を注いだのは今から200年程前のことです。この沢に生えたよしは、一方にのみ葉が生じて、さながら本堂に頭をたれたように見えたということです。大伴家持の庵の跡に生えたといわれており、現在は残念ながら絶えてしまいました。』
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玉こぶの欅(縁結びの欅)。
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平成18年に一部焼失し、現在は炭化した状態に屋根をかけ保存。燃えた時は、青光りする炎が木の中から煙突のようにあがり、普通の炎とは違っていたそうです。炭はあらゆる空中の無機物を吸収する性質をもっており、炎焼後の今、神々しさを尚増しているように見えます。
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七不思議・玉こぶのけやき…『弘法大師が密行を終え、けやきの枝を折り、この地にさして去りましたが、活着し亭々として成長したと伝説のあるけやきです。イボ取り、こぶ取り、縁結びの霊験新たなりとして信仰されており、縁結び絵馬で願うと恋が成就の御利益がございます。』
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江戸時代に建てられた歴史ある旧庫裏。お寺Cafe夢想庵。台風19号の影響でお休みでした。
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天神堂。御祭神は菅原道真公(※道真は当山の御本尊さまが守る丑年生まれ)。
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一夜の松は、本堂屋根替えの時に一夜にして虚空蔵菩薩様が曲げたといわれています。元和元年に虚空蔵尊が建立され、当時は若木だったのか、一次才に成長して枝がお堂の屋根をおおい、傘のようであったので、村人は「虚空蔵尊の傘松」として珍重して地方の名物になりました。幾年か過ぎ、本堂の屋根替えとなった時、和尚、職人、村人たちが心配したのは、この松の木が邪魔になることでした。協議が幾日となく続きましたが、ついに名案は浮かばず、いよいよ明日切られるとなり、その夜、和尚が眠りにつくと夢の中で仏のお告げを受けました。「あの松は今まで虚空蔵堂を雨風から守ってきたのだ。明日までには屋根替えの邪魔にならぬ様にしてやるから、幾久しく大切にする様に」。夜明けを待って、和尚がお堂の前に立って松を見ると、木は幹の中断からよじれ、お屋根替えの差障りのないようになっていました。
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七不思議・一夜の松…『江戸時代、本堂のお屋根替えの時、邪魔になるため切ろうと決まった日の夜。当時の住職の夢枕に虚空蔵菩薩様が立ち「邪魔にならぬ様にしてやるから、幾久しく大切にする様に」といわれてました。朝みると反対側に幹がぐにゃりと曲っていました。』
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七不思議・月見の井戸…『弘法大師が黄土山より下山し此の地に来た時「かかる仙境に水なきは不便なり」と錫杖をふり経を読み法をねること七日経ちしある夜、杖地底に徹し、湧水天に沖しのち鎮まり、昼間なれど、月影をのぞんで星のまたたくのがみえました。大師は「これ、仏尊の興えし水なり」と言って去って行きました。のちには井戸に映る美しい月が見られたということです。』※現在の井戸は土砂にうづもれてその深さは昔の数分の一ですが、数十年前までは夜、月を見ることができ、その美しさはたとえようがなかったといわれています。
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奥の院まで370m(やくよけ不動尊・稲荷堂)。
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いつもの私なら迷わず突き進むところですが、上記のように台風の被災状況を把握していなかったため何となく断念しました。よって奥の院と厄除け不動尊については紹介致しません。
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稲荷堂は目の前に見えていたので紹介します。稲荷明神をお祭りしているお堂。「おいなりさん」として親しまれ、穀物 ・農業の神様として知られておりますが、産業全般の神としても信仰されています。
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稲荷堂の裏にあった碑。色々彫られていますがちゃんと見ていません。梵字と一念不起、阿弥陀彌陀などの文字が見えます。紀年銘もありますがちゃんと見ていません。天保3年8月8日かな。
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撫で丑。
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なで丑…『古来より素焼で造った臥した牛の像のことで、商家などに祀り撫でれば家内安全・商売繁盛・如意吉祥の古事があるといわれ、永年信仰の対象として崇拝されてきました。近年、古事は勿論のこと、自分の患部と同じところを撫でると病気平癒するといわれております。神牛に念願を懸け一心に撫でお祈りください。「心願を懸けて祈らば願い事何一つだに叶はざるなし」』
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撫で寅。
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なで寅…『虎は、一瞬で千里の道を駆け巡り、また一瞬で戻って来ることから、なで寅の頭を撫でると、お金を使ってもまた戻って来ると言われております。特に、とらの日になで寅の口にお賽銭を入れて一心に撫で祈ると金運財運向上すると言われております。金運招耒』
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弘法大師堂へ。
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本堂の横、裏手の方にあります。前回の記事に載せた柳津虚空蔵尊案内板でご確認下さい。
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40.5
弘法大師(空海)が祀られています。弘法大師は今の香川県にお生まれになり、18歳の時に出会った一修行僧(勧操)に虚空蔵求聞持法を教えられ、大いなる智恵を得たといわれています。
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はじめから上手にいかず、3度目の挑戦で「満願の日、口の中に明星が飛び込んできたような状態になった」と三教指帰にあるように明星をご覧になりました。弘法大師はこの秘法により悟りを啓いたといわれています。
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なお、斎灯サトル画伯の龍の天井画があり、龍のあるところに描かれている「ハート」を見つけると良縁成就するといわれているそうです。天井画自体に気付かなかった私…。
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柳津虚空蔵尊のカヤ(イチイ科・津山町指定文化財)。
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『カヤはイチイ科カヤ属の常緑高木で、樹命が長く耐陰性の強い植物である。本樹は本堂とお札売り場の渡り廊下の裏手に繁っており、成長の遅いカヤとしては珍しいほどの巨木である。広壮森厳な境内の一角に、典型的な樹冠をひろげている樹姿はまことにすばらしい。推定樹齢300年、樹高30m、幹周3.6m。津山町教育委員会』
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寺務所・お守り授与所。
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ダルマ。
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薬師堂。薬師如来を祀っています。大医王仏の異名からもわかるように医学・薬学の仏様。
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山門付近の石碑。
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復興地蔵とウサギ。
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庫裡、信徒会館「交譲木」。
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以上、柳津虚空蔵尊でした。
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