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青森県黒石市大字内町。
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名勝「金平成園(かねひらなりえん)」、別名「澤成園(さわなりえん)」。
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主屋などの建物内も常時見学可能となりました。
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開園日:4月中旬-11月30日。休園日:月曜日(国民の祝日にあたる場合はその翌日)。開園時間:午前9時30分-午後4時(入園は閉園30分前まで)。入園料:大人400円(10名以上の団体は350円)、高校生200円(10名以上の団体は170円)、中学生以下無料。※令和2年現在
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旧加藤家住宅は主屋・離れ・茶室で構成されており、主屋と離れは明治35年、茶室は明治44年以前に建立されたと推測されています。
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釘隠と蔵。
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欄間。
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弘前市出身の日本画家である野沢如洋のふすま絵などを鑑賞できます。
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野沢如洋。元治2年4月3日生。日本画家。青森県弘前市生まれ。旧姓一戸、幼名太郎、のち三千治、初号仙蘭。父は弘前藩士。明治9年に郷士の画家三上仙年に師事し、仙蘭の号を受けます。明治27年に京都で今尾景年に学び、日本美術協会展など多くに入賞。その山水画は橋本雅邦や竹内栖鳳から高い評価を得、円山派を加味した独自の水墨画を展開。山水、馬などの水墨画を描き「馬の如洋」と呼ばれました。昭和12年6月歿。
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個人的には大石武学流庭園より、ふすま絵の方が見応えありました。どうぞ建物内も見学なされてください。
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群鶴図襖(野沢如洋筆)。
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群鶴図襖…『12.5畳の和室で、30体程度の鶴が12面に渡って描かれています。欄間にも鶴が透かし彫りされていることから、「鶴」を意識して作ったと思われる部屋です。襖絵の作者は、弘前出身の日本画家・野沢如洋(1865-1937)です。年代は、絵に「庚子年」と書かれていることから、明治33年(1900)頃と考えられます。旧加藤家住宅内には、この襖絵の他に鷲と竹が描かれた襖絵もあります。全て襖に直接描かれていることから、この住宅のために描かれたと思われます。襖絵が描かれた経緯は不明ですが、加藤宇兵衛と如洋の交流が窺える貴重な資料です。』
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庭園西側にあるこの旧加藤家住宅は、明治35年に建築された主屋と離れ、明治44年以前に建てられた茶室があり、これらは宇兵衛の別荘や迎賓館として使用されていたと考えられています。当初、離れは平屋でしたが、明治45年頃に2階が増築されたそうです。
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貴族院議員で実業家加藤宇兵衛の別荘だったお屋敷で、2015年に改修工事が終わり期間を区切って一般公開が開始されました。私が訪れた時は大変丁寧なボランティアガイドが付きましたが、ガイド時間等は各自ご確認ください。
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旧加藤家住宅主屋から見た離れ。
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主屋と離れを繋ぐ渡り廊下から見た庭園。
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主屋に座って寛ぎながら見る庭園。
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主屋の座敷前には2つの沓脱石(くつぬぎいし)が置かれ、そのうちの1つから飛石と呼ばれる幅約50cmで凹凸のある石の列が3筋配置されています。
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そのうちの1筋は礼拝石と呼ばれる大きく平らな石へと繋がり、残りの2筋は自然石で製作された蹲踞(つくばい)と、外部に続く門へと繋がっています。
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また、もう1つの沓脱石から延びる飛石は、池の中心にある中島を通り、敷地南側中央部に位置する薬医門へと続いています。
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礼拝石。大石武学流庭園の中で最も重要な石です。庭園に宿る神仏を礼拝するための石とされ、この上に立つことは禁じられています。
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金平成園(澤成園)は、「大石武学流」と呼ばれる、津軽地方で広まった流派で作庭された庭園。大石武学流は津軽地方でも特に弘前市、黒石市、平川市に多く見られ、瑞楽園(弘前市)や盛美園(平川市)など文化財指定となっている庭園も多数存在します。
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作庭年代:明治35年(1902)。作庭者:高橋亭山(武学流3代目)、小幡亭樹(武学流4代目)、池田亭月(武学流5代目)。面積:5,662.32㎡。名勝指定:平成18年1月26日。
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金平成園の作庭は、黒石町出身の実業家・政治家であった加藤宇兵衛が、明治25年に失業対策の一環として武学流3代目・高橋亭山に作庭を依頼したことから始まります。しかし、亭山は庭園完成前に死去したため、弟子の4代目小幡亭樹、5代目池田亭月が跡を継ぎ、明治35年に完成。庭園の名称は「万民に金が行きわたり、平和な世の中になるように」という宇兵衛の願いから「金平成園」と名付けられました。加藤家が明治30年頃まで営んでいた酒造業の屋号「澤屋成之助」から「澤成園」とも呼ばれています。
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庭園は池の周囲を回遊しながら鑑賞する様式(池泉鑑賞兼回遊式)で、池泉は前後に細長く、奥行きを持たせた平面的な構成となっています。池の背後にある築山には豪快な枯滝組(かれたきぐみ)や巨大な月見燈籠(つきみどうろう)を配置、また、その南側奥には守護石と呼ばれる円錐形の巨石や、月見燈籠、岩木山を模した遠山石、野夜燈(やどう)など武学流に特徴的な石組が各所に置かれています。加えて、クロマツやサルスベリなどが植栽されており、石組と一体となって優れた景観を作り出しています。
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旧加藤家住宅…『加藤宇兵衛の求めに応じて建てられた建物で、加藤家が代々所有していました。主屋・離れ・茶室で構成され、加藤家の別荘などに使われていたと考えられています。主屋と離れは、庭園が完成した年の一年後である明治36年(1903)に建てられました。茶室の正確な建築年代はわかりませんが、明治44年(1911)以前に建てられたと考えられています。旧加藤家住宅は、昭和期には料亭として使われ、結婚式も行われていました。ところが、老朽化等により、文化財としての価値が失われる恐れがあったことから、平成18年度から平成26年度にかけて、庭園と同時に修理・復元が行われました。』
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墨竹図襖(野沢如洋筆)。明治33年頃。
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鷲図襖(野沢如洋筆)。明治33年頃。
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加藤宇兵衛(1862-1929)。造酒屋「沢成 (さわなり、屋号・沢屋)」の2代加藤成之助の長男として、陸奥黒石藩領津軽郡黒石上町に生まれました。明治23年から青森県会議員に5回、明治35年から衆議院議員に3回当選。更に明治39年には青森県多額納税者として貴族院議員に互選され、翌年1月18日から明治44年9月28日まで在任。郷里の教育に力を入れ、明治35年に黒石小学校校友会を設立し、会長を28年に渡り務めました。また、黒石町の幼稚園、黒石公園の開設や道路網の改修に尽力したほか、青森県参事会員、県農会名誉会員、黒石銀行頭取、津軽鉄道社長、津軽銀行、東北水産、東北生命保険、青森県農工銀行各取締役などを歴任。
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旧加藤家住宅を出て庭園に行ってみます。
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園内には、景観を構成するクロマツの高木が築山上をはじめ、園内各所に植えられています。
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また、茶室周辺や敷地南側にはモミジ、チャボヒバ、イチイ、サワラなどの他、低木であるハイビャクシン、シンパク等の常緑針葉樹が植えられています。
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こんな庭のある家に住んでみたいものです…除排雪業務員付で。
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枯滝組。
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野夜燈(やどう)。大石武学流の燈篭で、自然石と「たま」と呼ばれる円形に成形された石を組み合わせて作られたものです。
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遠山石。庭園の最奥に置かれる山型の石で、岩木山を模していると言われています。大石武学流庭園の中でも金平庭園の遠山石は傑作と評されています。
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ちなみに岩木山は庭園内から見て旧加藤家住宅の後方になりますが、この日は見えませんでした。
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庭園から見た旧加藤家住宅。
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薬医門。
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建築された理由は不明ですが、「大正14年6月施工者相馬武雄」という墨書が残されており、その頃の建築と思われます。
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池の水も綺麗ですね。地下水のようです。
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ここで庭園内散策写真と共に一応当ブログの関連記事を紹介。
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関連記事
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金平成園とは関係ありませんが、「金」繋がりで、「金の銀杏」でお蕎麦を食べて帰りました。ちなみに今までずっと「金のぎんなん」と言っていました…赤恥!
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そばつゆはほんの僅かで最後までおいしく頂けますね。
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万民に金が行きわたり、平和な世の中になるように…
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