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大木平小中学校善光寺平分校跡地隣りに古びた木造のカトリック教会「善光寺平カトリック教会」があるとの情報を得たため、確認しに行ってきました。なお、マリア清水の由緒として、「八甲田山の南、標高約700㍍地点にある善光寺平は人参、大根、キャベツなど高冷地野菜の産地であります。戦後、日本は満州を失い、満州から帰ってきた人や板柳町から入植してきた人達の開拓地である。開拓当時、善光寺平には小さなキリスト教会があり、とてもおいしい清水が沸いているところにマリア像を建てました。」とあります。
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で、結果から言うと見つけることができませんでした。以前、大木平大和神社に参詣した際に学校跡らしき門だけは見かけましたが、やはり学校も教会も見当たりません。
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大木平集会所があるだけです。
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善光寺平カトリック教会は昭和32年4月に黒石カトリック教会が善光寺平開拓民を対象として布教伝道の拠点として建立したもの(昭和33年6月落成)。カトリック教会がこの地の布教に乗り出した経緯は、大木平小中学校に赴任された教師の中に川村郁子教諭がいたからです(昭和30年10月-昭和32年2月、昭和34年9月退職。昭和37年11月27日ご逝去。
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墓所は黒石市柵ノ木(一本木平墓地分骨)。川村教諭は当時苦難にあえぐ開拓地の住民をキリスト教の教えで少しでも救えたらと考え、黒石カトリック教会と連絡をとり、神父を招いて熱心に伝道させるようにしました。毎月1回位布教に来ており、信者は31人に及んだといいます。現在布教活動は停滞し、教会も閉鎖されているとのこと。建物は古びた木造で、建坪108㎡程、一部二階(33㎡)建ての下見坂、表面は白いモルタル塗り。
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前回も紹介した石碑(我等が大地・校歌)です。昭和56年11月大木平農業生産組合建立。
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裏面は入植者氏名(昭和21年-相馬弘尚、大沢久作、山口喜蔵、中田喜之助、阿部竹四郎、芳賀正雄・昭和22年-滝本惣吉、中田金造、広瀬長三郎、山口千代三・昭和25年-成田文三郎、山口由吉・昭和26年-工藤誠三、福原千代吉、鹿内義美、工藤兼右エ門・昭和28年-谷川作太郎、谷川友作、谷川健作・昭和29年-三浦健作・昭和31年-長尾光郎・昭和34年-谷川兼市)
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近くにあった地蔵堂。
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結局何も見つけられず、ちょっとした高山ドライブとなりました。道中、道幅が狭いので帰り道も車とすれ違わないことを地蔵様にお祈りしておきました…効果あり!
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