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岩手県二戸市石切所晴山。国道4号線で境内が分断されており、一の鳥居と境内が離れています。
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歩道橋手前にあった石塔。何かはわかりません。
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途中で国道4号線上を陸橋(歩道橋)で渡ります。但し、一の鳥居からの参拝にこだわらないのならば、境内まで車で行くことも可能です。地図によっては「深山神社鳥居」「深山神社」「深山神社入口の石碑群」「荒神社」などと記されているかと思います。いずれも深山神社境内です。
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歩道橋から見た一の鳥居と大崩崖。一枚の砂岩が長い間の水食を受けて山塊に露出したもの。崖上には蒲生氏郷の甥である氏綱公の奥津城があるそうです。
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歩道橋を渡って左の鳥居が深山神社社殿へ続く鳥居です。右側にも石碑等色々ありますが後半で紹介します。
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手水石と狛犬一対。
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魅力的な狛犬さんです。
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紀年銘は明治30年2月20日。
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更に鳥居と狛犬一対。
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深山神社神楽殿。深山神社神楽は無形民俗文化財です。
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由来は山伏神楽で、九戸の乱にてこの地方の山伏が南部氏に加勢し、その功に対し南部氏から領地が与えられ、神楽も盛んになったそうです。「南部藩主利直公時代の能狂言の正統にして舞はその時代の明」と記録もあり古くから踊り継がれてきました。
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金毘羅山、庚申・廿三夜塔、不明の石。
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石切所の深山神社の御祭神は保食大神。例祭日は旧7月17日。
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慶長19年(1614)、一説には天正の頃、九戸郡軽米町晴山から分霊したといわれ、また一説にはそれ以前には観世音を祀っていたといわれています。
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明治30年(1897)に一切の記録を紛失しており、それ以上のことはわかっていません。例祭は旧7月17、18日に行われています。
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拝殿内。
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社殿前石段下に手水石と石灯籠一対、石段上にもそれぞれ一対。
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「深山神社と石碑群」標柱より…『この神社は慶長19年(1614)、一説には天正の頃、九戸郡軽米町晴山から分霊したと云われています。祭神として、衣食住・五穀の守護神である保食大神を祀っていますが、商売繁盛・厄除開運・無病息災・延命長寿にも御神徳があるそうです。「しんざん」は、「新山」、「深山」、「真山」とも書きますが、元々、藤原清衡が奥州二国一万個村に寺を建て、總て新山寺と称した時の名残です。修験的な行事を行う熊野山系の寺でありましたが、明治初年の廃仏毀釈により、神社になるか廃寺になるかの選択を迫られました。この神社の境内は石碑の宝庫で、入口から十和田山碑・山神石・出羽山碑等が並んで建ち、離れて庚申碑があるなど、貴重な文化遺産の宝庫です。』
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大黒天(平成11年8月吉日)。
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大黒天御真言「おんまかきやらやそわか」
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忠魂碑。
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末社。棟札は暗くて見えず。
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八幡宮。
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天照大皇神。
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萬神堂、狐、不明の石祠、権現様。
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聖徳太子碑(大正10年4月11日)。
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石祠。この付近から冒頭の歩道橋の先右側になります。石碑群というだけあり、たくさんありましたので細かくは見ていません。
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左右山神社。
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狛犬及び石灯籠一対。
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由緒等はわかりませんが、左右山とは男神岩(左)・女神岩(右)のことなので察しはつきますね。
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三宝金神と不明の石祠。
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庚申・廿三夜塔と狛犬。
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荒神社。
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石や人形が祀られています。棟札はよく見えませんでしたが、1つには「成田山新勝寺」の文字が見えました。
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石祠。こちらもわからず。
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山神。
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山神前のこちらは説明できず。
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金毘羅山(万延2年)。
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石祠(不明)。
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十和田山碑と「元治元年子七月晴山種藏」と彫られた碑。十和田山は、十和田湖に龍神が棲むと云われており、江戸時代中期から信仰されました。特に雨乞いの時には、精進潔斎し、十和田湖から汲んできた水を池や沼に流したり、石碑に直接かけて祈祷したそうです。
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馬頭観音。古くから馬を飼っていたこの地方の馬を守る神仏として信仰。馬を祀る神社の多くは旧暦6月1日が縁日で、馬を着飾り参詣し、境内の笹を馬に食べさせると病にならないと云われたそうです。
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出羽三山碑。山伏信仰の名残りを感じさせます。
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八幡社。
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石灯籠一対(文久2壬戌8月15日・當村安全)と石祠(不明)。
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卵塔場もありました。
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かつては修験的な行事を行う熊野山系のお寺でした。
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