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鹿角市尾去沢軽井沢。史跡尾去沢鉱山方面。
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社号標。
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裏面碑文「昭和十三年十月遷座」。
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参道。
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灯籠三対(昭和13年10月)。
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参道赤松。
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狛犬一対(石工:花輪町田中清一)。紀年銘は蜘蛛の巣が邪魔で読み取り断念。
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御祭神は大山祇命、金山彦命、豊受姫命、天之鈿目命、照皇大神、埴山姫命、猿田彦命、稲倉魂命。例祭日は5月15日。
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慶長年中、南部重左衛門(北十左衛門)創立。言い伝えによりますと、正徳6年領主が再興し、鉱山の産土神として祀られました。明治6年村社。明治40年1月10日神饌幣帛料供進神社。
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明治44年3月2日、尾去沢鉱山字獅子無格社神明社、同大盛神社、字三ツ矢沢同稲荷神社、同平野神社、同44年8月、字田郡無格社山神社、同年9月字赤沢無格社山神社、大正15年10月14日無格社両社山神社合併の認可を得て、同年12月4日合祀。
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昭和7年10月24日神社名を両社山神社改称の認可を得て、昭和13年10月現在地に移転遷座。
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手水舎。
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手水石。
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灯籠一対(昭和13年10月12日)。
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拝殿。
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幣殿・本殿。
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拝殿内。私的には結構珍しい造りに思えました。何より明るくていいですね。
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山ノ神を祀るとされる両社山神社の祭礼の奉納演舞からめ節金山踊り(鹿角市指定無形民俗文化財・昭和61年1月16日)は、この地帯に江戸時代からあった尾去沢鉱山の発展と安全を祈って行なわれたものです。からめ節は別名金山節もしくは石からめ節とも呼ばれ、抗夫や選鉱婦の仕事のなかから自然に生まれた作業歌。からめとは良い鉱石を細かく打ち砕き、笊で水洗いし、白金(精選した鉱石)を採取する人の手による選鉱作業のことで女の仕事でした。からめ節というように唄い手による唄もつけられ、かつての舞い手は女性ばかりでしたが現在は男女の別がありません。からめ節にあいや節、花見帰りもおこなわれています。歌詞には方言が多く取り入れられ、踊りは槌と笊で選鉱作業を真似たもので、楽手の奏でる三味線、鉦、太鼓の旋律に合わせて演舞されます。踊りの衣装は、ハンテンを着て、タスキをかけ、モンペを履き、前掛をし、頭には手拭であねさん被りをします。囃子は三味線、小太鼓、鉦からなります。毎年5月14日と15日に鉱山の守り神である両社山神社祭典で奉納踊りが行われます。
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至福万年幸運の亀石(平成8年6月9日、両社山神社氏子一同)。
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亀の形です。
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境内社の笹小屋稲荷神社。
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社殿。
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手水石。
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向拝。
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木鼻。
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脇障子。
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向って右側は破損。
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笹小屋稲荷神社の経緯…『江戸時代、盛岡藩領の頃、尾去沢は尾去村、尾去沢銅山、三ツ矢沢村に分区していた。各村の集落には山神社や稲荷神社がそれぞれ祀られていた。銅山区域の集落(田郡・元山・下夕沢・西道・赤沢・獅子沢・笹小屋)にも稲荷神社が祀られていた。明治元年(1866)の神仏分離令後、神社の統廃合が進み以後、欧米文明の取入れで鉱山技術は進展、大正・昭和年代に至り鉱夫の住居環境も変様、山峡の集落は平地部に移転、これに伴い神社など次第に消滅したが笹小屋の稲荷神社は残っていた。昭和11年(1936)中沢鉱滓ダム決壊で下流の集落は流失したが一部残っていた笹小屋集落もその後移転したので鉱山の繁栄と共に栄えてきた神社の存続を希い昭和26年有志により現在地に遷座した。奉納棟札「正一位稲荷五社大明神」創建年月不詳。現在の社殿は中沢にあった山神社の旧神殿(山神社は中沢ダム決壊惨事後現在地に新築)を譲り受け再建したもので、木鼻象・獅子などの彫刻は秀作。収蔵品に棟札類(寛政9年銘他)神鏡・女神石像・神狐安政4年銘の祭祀証書、その他、獅子沢にあった獅子権現堂や神明社の鰐口、石造の獅子頭・木造の能面などがある。嘉永2年(1849)蝦夷の探検家松浦武四郎は、尾去沢銅山を見学した折、稲荷神社に立寄り其の建方甚奇麗也と鹿角日誌に著しており当時の賑わいを知ることができる。平成20年12月尾去沢文化財保存会』
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神社入口付近にあった看板です。大森親山獅子大権現舞(県指定無形民俗文化財)は、尾去沢鉱山発見伝説に因む「大森親山獅子大権現御伝記」に由来し、文明13年(1481)頃から続くと伝えます。約2時間に及ぶ舞は、素舞(前舞)、本舞、米汲みの順に行われます。米汲みの舞は、獅子頭が旧暦元旦に若水を汲んで飲むというもので、伊勢神楽に通ずる県内他地域に見られない特異なもの。開催場所は鹿角市尾去沢八幡神社。大直利大太鼓は織豊時代の大阪夏の陣に出陣した武将が帰郷した際に伝えたものといい、戦太鼓に由来すると伝えます。そのため戦死者の供養の意味もあるとされ、山神社に奉納した後、圓通寺の境内で演舞して魂入れをします。その後、集落を巡り演舞して廻ります。演目は2つで、打ち込みの太鼓・大直利大太鼓があります。直利というのは優良な鉱脈をさすというもので、鑿と鎚を手に取った動作で太鼓を打つものとされてきました。
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