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石英安山岩(DACITE・ANDESITE WITH QUARTZ)。
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石英脈に黄銅鉱と黄鉄鉱含有。
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鉱石運搬。各切羽(採掘現場)より鉱石を積込んだ鉱車を連結し中央鉱井(貯鉱場)まで搬出する作業。
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私を搬出してください…。
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急にイルミネーション。
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このように立入禁止となっている岐路もたくさんあります。
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三ツ留支柱。落石盤圧を防ぐ保安施設。
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ミネラルルーム。案内マップを見て、何かを食べることができる場所と思っていましたが、尾去沢鉱山の資料室でした。
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一部だけ紹介します。
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尾去沢鉱山の沿革…『尾去沢鉱山の歴史は古く、和銅元年(708)に発見されたと伝えられている。このことは、「大森親山獅子大権現御伝記」(天保7年に旧記を伝写したもの)中に伝説として記されている。天平感宝年間(749年)には長坂金山-尾去沢鉱山赤沢地内-が発見され、その産金が朝廷に献上して、奈良東大寺の大仏の造営に使用されたと伝えられている。このことは、南部藩士、伊藤嘉次右衛祐清の手記である。「祐清私記」の中の「鹿角金山はじまり之事」に伝説として記されている。また、平安時代の後期(1100年)における奥羽藤原三代の繁栄には尾去沢の産金が大きな貢献をしたと伝えられている。安土桃山時代(1590年)に南部氏の所領となる。』
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12.4
12.8
尾去沢鉱山全景。
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尾去沢鉱山選鉱場全景(昭和16年頃)。全盛時東洋一の処理能力(月10万t)を誇った選鉱場。
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こちらも選鉱場(昭和16年頃)。
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坑内休憩所の昼食時の状況。
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ほぼ全裸に見えます。
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さて、ミネラルルームの先へ進みます。
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火薬庫。
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ある一定量以上の火薬類は火薬庫に貯蔵しなければならないと法律に定められています。火薬による事故の発生を防止するため、貯蔵できる火薬類の、種類・数量・方法及び盗難防止措置、更にはその構造についても厳格な基準が定められており、その基準によって1級-3級、その他の種類に分けられています。この火薬庫は、火薬類の貯蔵量が最大20tまでの、地中式2級火薬庫に属し、厚さ20cmのコンクリートの壁で出来ており、万が一火薬庫内で爆発事故が起きても、外部への影響を極力少なくするような構造となっています。
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鉱石の破砕には当初ダイナマイトが使われていましたが、1964年頃より、より安全且つ安価なANFO(アンホ爆薬…硝安94%と軽油6%から成る粒状爆薬)が使われるようになりました。
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銅鉱脈…夘酉𨫤(東西のこと)13割の1鉱脈。脈巾平均約60cm、銅品位14.6%、全長(走行東西)約250m、黄鉄鉱品位31.3%。この鉱脈は下2番坑(60m下部)より上2番坑(60m上部)まで連なっています。
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出口まで300m!!
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南部藩西道金山奉行所。
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奉行所内。
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尾去澤金山御敷内二七ヶ條。
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まだゴールじゃないのね。
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石切沢通洞坑・金屏風。ちょんまげ坑道開穿の為、遊歩道掘進中に発見された銅鉱脈の壁面。
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深っ!怖っ!
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慶長年間の金鉱採掘跡。からめ場です。採掘した金鉱石を細かく砕き、篩にかけた粉鉱を水流し、椀かけで鉱泥を流し、沈澱した金を採取する工程。
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古来より椀かけの金にあやかり、水槽の中に投げ銭をすれば金運が開けるとの言い伝えがあります。
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からめ節。
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慶長年間金鉱採掘坑道(1596-1614)その1。これから旧坑の総ては、今から約380年以前に金を採掘した坑道です(江戸時代までの手掘り跡(二尺三尺坑道))。
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鉱石運搬の場。採掘現場から、鉱石をあてしこ(鉱石運搬・道具入れ・採掘現場での腰布団などに利用された)に入れ、坑外に搬出している場面。
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慶長年間金鉱採掘坑道その2。金工(金工自身或いは配下の掘大工(先手)を引連れて鉱脈採掘作業にあたります。)・掘大工・女掘子(掘子は大工の掘った鉑や硑を「えぼ」に入れて坑外に背負い出し、鉑は金場に硑は所定の場所に運ぶ作業にあたります)。
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このままでは凍死するので先を急ぎます!
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慶長年間金鉱採掘坑道その3。俗称「たぬき掘」跡。
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金掘大工。当時、たがねと鎚で鉱脈を、1日約30cm掘り進むのが精いっぱいでした。
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支柱組立。岩盤の弱い所を杉丸太等により枠組保護し、落盤・崩落を防ぐためのもの。
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段欠場面。上段は金掘大工。がんぎ梯子を登っているのは留大工。下で鉱石を掻き集めているのは掘子(金工手子)。
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地下水による坑道の水没を防ぐため木製の桶を使い人力によって汲上げ坑外に排水を行っており、昼夜交代の重労働でした(水替人足)。
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隠れ切支丹。切支丹に対する弾圧は島原の乱(寛永14-15年・1637-1638)の後、しゅん烈の度が加えられ、諸国の切支丹宗徒はへき地の奥羽地方、ことに鉱山に潜伏しました。これは山法の一つとして鉱山に認められていた治外法権的慣習が宗徒の潜状に適していたからです。
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進行方向左側2番目の旧坑約10m先の側盤に隠れ切支丹宗徒の刻んだ十字架が残っています。
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十字架。
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苔チェック。
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金塊。
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この牛を優しく撫でると造財、家内安全に御利益があるそうです。御祭神は大山祇神、金山彦命。両社山神社
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ってことでようやくゴール。
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外に出てもしばらくの間は、カメラのレンズがこのような状態になって戻りませんでした。
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出発前は「こんな猛暑日に外でラーメン食べる人なんているのかよー!」って思っていた私ですが、ゴール後は完全にラーメンを欲していました。最後に尾去沢鉱山の感想を簡単に述べますと「昔の人は凄い!そして私は寒い!」。以上、尾去沢鉱山でした。
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