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真言宗豊山派長命山幸徳院笹野寺。山形県米沢市笹野本町。置賜三十三箇所観音霊場19番札所。御本尊は千手観音(千手千眼観世音菩薩・総高153cm)。脇士(総高91cm)には地蔵菩薩と毘沙門天が再建時に仏師横山権六昌興の手により刻まれました。紫陽花(約2000株)の名所として知られており、別名「あじさい寺」と呼ばれています。7月中旬頃が見頃のようです。観音堂の境内には文化財も数多く残されており、参道北側の石の地蔵菩薩像は、米沢城下の大商人渡部伊右衛門が450両余をかけて建てた延命地蔵菩薩で、蔵王山の麓から運ばれた約30個の石で組み立てられているそうです。また、本坊位牌堂には平安末期頃に作られた木造釈迦如来坐像が安置され、千体地蔵堂には相良人形による千体地蔵が安置されています。このほか、松尾芭蕉と地元俳人の句碑があり、堂内には置賜の俳人104名による俳句の懸額が納められています。
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仁王門。天保11年に民家からの出火で類焼。現在の仁王門は明治6年に米沢の豪商の渡部伊右エ門広繁と二代広豊親子が南原の常慶院より金10両で買い受けて移築して再建したもの。
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金剛力士阿形。
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金剛力士吽形。
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仁王門正面。
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扁額。
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笹野観音堂由緒…『本尊は千手観音を奉安し開基は田村将軍である。人皇50代桓武天皇の御宇に当り時の征夷大将軍坂上田村麻呂利仁国家鎮護の為め観世音を勧請せられたものと云ふ。大同元年4月新に本堂を建立し弘仁元年7月落成したので入仏供養を行った。当時別当長命山幸徳院徳一和尚を中興と称した。・永正年中宥日阿闍利を招請して新刻の千手観世音像を安置した。・天正5年4月伊達正宗公開帳供養せられた・慶長6年上杉景勝公堂宇修理せらる。・寛永11年8月上杉定勝公堂宇修理せらる。・元禄3年9月上杉綱勝公修理せらる。・天保4年正月火災に罹り本堂焼失す。・天保14年6月10日本堂再建落成し遷座供養修行した。幸徳院』
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仁王様の堅固な身体にあやかり、健康や足が丈夫になるよう願い、下駄や草鞋などの履き物が奉納されています。
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9.4
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巨大草鞋。
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10.5
仁王門背面の算額(復元)…『奉納「今有如圖圓内畫同規之菱之上下菱尖外圓周三所接其左右罏容円不知其箇數仮畫菱七個初徑若干次徑若干問圓數幾何」答曰「術曰以初徑除次徑名定内減一個余自乗之加八個開平方以減三個余以除定加一個開平方乗圓周率乃用直載内減四個不畫捨之得圓個數合問」今井権之助忠明「今有如圖球覓責等三段截之中段以等圓環畫之乃隣円上下相接只言球徑若干鋸道至少問黒覓積幾何」答曰「術曰置五個開平方加一個名極自乗之内減一個餘開平方以減極餘五之以減一個餘以極除之乗球徑冪及圓周率乃用直載得黒覓積合問」山口源次郎徳政「今有如圖弧内容六圓只言甲圓徑若干乙圓徑若干問丙圓徑幾何」答曰「術曰以乙圓徑除甲圓徑開平方加一個以除甲圓半之得内圓徑合問」足立安次重朝「今有如圖圓璹減弧環内容十個球甲球徑至少璹徑若干問外積幾何」答曰「術曰置三個開平方名天以減二個余開平方百四十三之以十二除之名地置天加二個乗圓責率以減地余乗璹徑再乗冪及圓積率四除之得外積合問」齊藤新蔵智方「今有如圖方内側圓錯交而其内容圓方面若干側圓長徑若干短徑若干問圓徑幾何」答曰「術曰置長徑自乗之内減方面冪余名天加短徑冪開平方以減方面余自乗之以天除之以減一個余開平方乗短徑得圓徑合問」蓬日哲蔵友明「今有如圖圓内隔斜容累圓初圓徑若干終圓徑若干問累圓個數幾何」答曰「術曰以初圓徑除終圓徑得數自一位至尾位以位數為個數合問」髙橋秀四郎信義「今有如圖線上載六圓只云甲徑若干問乙徑幾何」答曰「術曰置三分六厘乗甲徑得乙徑合問」三上瀬兵衛近明「今有如圖圓内隔斜容六圓外圓徑若干問丙圓徑幾何」答曰「術曰置二百八十八個開平方加三十三個以除外徑八之得丙徑合問」樋口勝次郎兼俊「今有如圖盤上六圓錘内容大小球乃充内無動其麓以大小球各二個圓之乃大小球圓錘旁盤上面相接只云大球徑若干問小球徑幾何」答曰「術曰置三個開平方以除大球徑得小球徑合問」山吉清蔵義繁「今有如圖直内容四圓甲圓徑若干問乙圓徑幾何」答曰「術曰置一萬二千八百〇〇個開平方以減一百一十四個余乗圓甲徑得乙圓徑合問」山崎久太郎義俊「今有如圖圓内隔線容七圓乙圓徑若干丁圓徑若干問戊圓徑幾」答曰「術曰置丙徑乗丁徑以乙徑除之得戊徑合問」澤周吉秀邦「今有如圖以上下斜挾三角其傍容大小圓各二個大徑若干小徑若干問三角面幾何」答曰「術曰置三個開平方以除一個名東加一個名西加東乗大徑及小徑名南置大徑加小徑乗西半之名北乗之内減南余開平方加北得三角面合問」梅村常蔵行義「今有如圖圭内容等圓二個其上畫菱又容等圓子若干丑若干問い菱平幾何」答曰「術曰置子倍之加丑乗丑開平方加丑得菱比平合問」大橋熊次信泰「今有如圖帯直圓内容大圓一個小圓三個只云短徑若干小徑若干問長徑幾何」答曰「術曰置小徑以短徑除之名天自乗之以減一個余名地開平方名人置地内減天余開平方以減人余倍之乗小徑加短徑得長徑合問」後藤久米五郎義春「今有如圖圓内隔弧背容甲乙丙圓各二個乃弧背與外圓周同(矢+見)只云甲乙圓徑和若干丙圓徑若干問外圓徑幾何」答曰「術曰置只云數内減丙圓徑余倍之得外圓徑合問」多田進之助幸房』
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笹野観音堂(仁王門脇の案内板より)…『坂上田村麻呂の開基、奈良時代・大同元年(806)に法相宗の名僧・徳一上人によって中興されたと伝えられています。天正以来(1573年以来)、伊達氏・上杉氏の信仰篤く、現在の御堂は天保4年(1833)火災で焼失したものを天保14年(1843)に当時の藩主であった上杉斉憲公が再建したものです。総ケヤキ造り・彫刻の精巧さは、この地方では珍しい伽藍です。本尊は千手千眼観世音菩薩で置賜19番、米沢1番札所となっています。初夏には境内にあるアジサイが見事な花をつけるため、「アジサイ寺」の異名があります。』
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仁王門をくぐりすぐ右手の杉の古木の傍らにひっそりとたたずむ弁天堂。延享2年建立。
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紀年銘(昭和35年かな?)ははっきり見えませんでしたが「辨財天堂」の横に「子易明神」の文字も見えました。
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弁天堂内。暖簾で弁財天は拝めませんでした。
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石仏。馬頭観音かな…草で見えず。
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境内と参道。
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千体地蔵堂。
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千体地蔵堂前の石仏。
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19.5
千体地蔵堂は嘉永3年に隣の長厳寺より釈迦堂が移築され、焼失より28年後に再建。御本尊は「いびた地蔵」と呼ばれています。米沢で長患いして寝込むことを「いびた」と云い、中風除けの地蔵様として信仰され、その護符として中風除けのお箸(中風封じ白南天御箸)を授与されています。
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御本尊の周囲には米沢に伝えられている土人形の「相良人形」で造られた地蔵様が一面(796体・昭和38年調、他破損)に祀られています。
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